今日から5月。天気もこの季節らしくてよかったですね。
冬が来る前に吸水鉢で水気を抜いておいた土をずっと発砲スチロールの箱に寝かせておいたのですが。今日久しぶりに出して練ってみました。
まだべとべとしているので、ブリッジにして板に並べ、外に並べていました。こうしておくと外気に当たるところからも、また下に下がった水分も板に吸収されていくらか締まってきます。取り込んでからまた練ったり、またブリッジにして固さを調節します。同時進行でどろどろの土も吸水鉢に入れ、水分を除いていました。
しろちゃんが不思議そうに様子を見ていました。
昔の今戸人形の再現を目指していますが、私自身、今戸焼職人の家柄の人間ではありません。
今戸焼屋さんならどこの土を使って何を作っても今戸焼になるでしょうが、、。それに昔の今戸人形は大方のところで地元の土を使っていたんです。昨日土は一度は箱にしまったんですが、使えるようになるまでには、もっと練らなければなりません。
私は古代瓦を探していたころがあります。
まだ志茂小のあるころの学校に寄付したのですが
どうなったやら?
古代瓦といっても 国分寺遺跡 国分尼寺遺跡で集めたものでした。
土人形では伏見で一体のみで ただいま行方不明
馬鹿馬鹿しいかもしれませんが、土は地元東京のものをと思って掘ってきます。
最近、清掃工場の近くに新しいスーパーができましたね。それ以前は自動販売機の会社でした。
その裏の道に小さな電気屋さんがあったのですが、そこが取り壊された際、ブルドーザーで土をかき回していたところから、まとまった粘土がありましたので、もらってきてキープして、現在どろどろに溶かしているところです。地元の昔のお話などご教示いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。
ここは田圃だったと言ってましたから。
建築のときも地盤がゆるくて。。
古い赤羽はお母さんがよくご存知では。
何しろ 昭和26年からでしたから
その時代の赤中の就学旅行の写真を廃校記念で探してるとの事で
スキャナーして寄贈しました、
ついでに 赤中最後の修学旅行へ生徒たちと一緒に行って来ました
れいのプログに一部作成してあります。
母からも地元の昔の話を聞きますが、その人によって視点が違いますから、母の知らないこともご存じなのではないでしょうか?たとえば小島百貨店の場所のそれ以前の話でも母はローラースケートはあったかもしれないという程度でした。