この容器には「特製 みそ入」 「京ばし木挽町一 中井酒店」という文字があって、昔の東京への町名が入っていて面白いので手元に置いていたものなのですが、先の今戸焼⑲のつゆ徳利同様、今戸焼である可能性もあるのではないかと思うようになりました。蓋があったろうと思いますが残っていません。
今戸焼とは断定はできなので?をつけました。底の土の色は赤っぽくはなく、白っぽい灰色とでもいうような感じですが、内側は赤っぽいのです。或いは味噌を入れていたから「味噌焼け」しているのかもしれません。まあ東京の土ではないようですが、今戸焼では製品によって土を使い分けていた作例もあるので、土色だけの判断はできないわけです。
白っぽく見えるのは化粧土の色ではなくて、白い釉薬のようですが、あまり高温による焼きではないようです。楽焼に近い?
さて木挽町というのは現在の歌舞伎座がある辺り。現在は中央区です。 明治11年、東京15区の中に京橋区ができました。そして昭和22年日本橋区と合併して中央区になったので、その間に造られたものでしょうか?時代幅がありすぎますね。
あと考えられるのは、店名、住所に電話番号が入っていないということです。戦前のマッチラベルなどには電話番号が入った店もありますから、商売している家だったら電話を持っていたのではないか、番号がないということは、電話が民間の店に置かれる前の時期に遡るのではないか、しかし、それはいつ頃か?電話があっても書かないという事もあるでしょうが、あれば広告として入れる方が普通ではありませんか?
最初に戻ってみて、これがどこで作られたかというと、やっぱりわからないのですが、感触というアバウトな推測のレベルで、今戸焼である可能性も捨てきれないと思っています。おわかりの方いらしゃいましたら、先のつゆ徳利の件と併せてご教示いただきたく思っています。
その実態は生活道具の生産が主で、中には茶道具などの高級品もありますが、所詮は地方窯のひとつという扱いです。美術的価値より庶民的知名度が高いというのが今戸焼の特色なのではないでしょうか。
当時の修学旅行の画像の最後に先生方の写真を付録で張ってあります。
http://4travel.jp/traveler/jiiji/album/10185186/
お邪魔して検索してみたのですが、道に迷ってしまいました。
また挑戦してみます。そうですね。私が在学していた当時でも、すごく昔からいらした英語の先生で橋本先生という方がいらっしゃいました。おそらく母の在学当時に近いのではないかと思います。