つい先日終えたアパートの引渡しの際ようよう自宅へ運び出した火入れです。とにかく大きくて肉厚で重いものです。持ち上げるだけでも結構な重量です。
この火入れについては今戸焼なのかな?と思って以前入手したものではありますが、未だ確証もなく何とも言えないものなのですが、今戸焼のカテゴリーの記事として取り上げてみたいと思います。ご覧くださっている方々のどなたかご存知のことがあったらお教えいただきたいと思います。
写真でははっきり見えませんが、素焼きの土の色は今戸といってもよいくらい似ています。入手した折には中に灰が入っていました。そのためか表面が灰で汚れて白っぽく見えます。
胴体を前後2枚の割型から抜き出し抱えている鉢の口縁部分をくり抜いています。頭は別の2枚の割型から、それと両耳もそれぞれ別の2枚の割型から抜き出してそれぞれ接合してあります。
この手あぶりは茨城県内の旧家から出てきたものだそうで、土の色とともに「今戸では?」と思ってしまう拠り所なのですが、都内の近世遺跡から同様のものが出土しているというのを聞いたことも観たこともないのです。或いは伏見人形にこうした型があったのかどうか?
昨日の朝、偶々観ていたNHKの朝のワイドショーで愛知県長浜市にある三州瓦の製作所からの中継で鬼瓦を作っている場面が流れました。そしてそこで作られている製品の数々が画面に現れた中に、この火入れとほぼ同じ構図のものがありました。(もっと小さなもので、瓦質のものでした。)
そうするとこの手あぶりと共通するものが三州にあるとして、今のところ三州との関わりが考えられるということになりますが、今戸焼の発祥についての話の中には三州が技術の先進地であったようなこともあったように聞いていますし、、。しかしこのタイプの布袋様、他でも作られていたのかどうか、、?何かしらご存知の方いらっしゃいましたらお教えください。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます