陶印があり、「白井善次郎」の作であることがわかります。今戸焼の歴史を事典などで調べると必ず「白井半七」の名前が出てきますが、今戸には白井家は3軒あり、この「善次郎」家が本家なのだそうで、「半七」家は「善次郎」家から7代前に分家し、現在今戸でただ一軒伝統を守っていらっしゃる「白井」さんもまた遡って6代前に「善次郎家」からの分家なのだと「民芸手帳」に書いてあったかと思います。当然「白井善次郎」の名前は今戸神社(旧今戸八幡)の文政5年の狛犬阿型の基壇「當町火鉢屋中」の連名の筆頭に刻まれています。
土色は白く、明らかに東京の土ではなく、中京や関西方面から取り寄せた土を使っているのがわかります。他の窯業の産地でもそうなのでしょうが、製品によって土を使い分けるのですね。ですから、東京の土(江戸在地系の土質)ではなくても今戸焼の製品は存在するわけです。
茶道については語る資格はありませんが、炉や土風炉に灰を盛るときに使う器を「灰器」と呼び、「半田焙烙」はそのひとつなんだそうです。「半田」は泉州「半田」という地名からきているそうで、ひとつの決まったスタイルなのでしょうね。
白井和夫さんの話(これは直接聞いたものではなく)では、「磨き」には「下磨き」と「本磨き」があって、「本磨き」には那智石(または鴨川石)と使うが、「下磨き」には蛤の殻を使う」んだそうだと、ゆうべ書いてあるものを見ました。
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