いなご家のだんご3兄妹~それぞれが輝ける未来へ~

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おばちゃんの一生

2015-09-16 10:10:01 | Weblog
叔母が亡くなりました。
脳の血管が切れ、寝たきりになってしまい、数年間介護施設に入っていました。
父の本家の奥さんで、小さい頃、盆正月に行くと、よくしかられ、怖い存在でした
でも、怖くても、たくさんの従妹に会えることがうれしくて、行くのをとても楽しみにしていました。
父の兄弟は、全部で6人。
叔母が嫁いだ時には、弟(私の父を含む)、妹が全員いて、舅、小姑もいたし、自分の子供も4人いたので、総勢何人いたんだ・・?
十数人の大所帯を切り盛りしていたわけです。
新婚生活なんて、なかったんだろうな~。
叔父は、厳格で、外面がよくいい恰好しいだったので、叔母は、かなり苦労したと思います。
弟、妹も出ていき、舅、小姑も亡くなり、やっと落ち着いたと思ったら、子供が借金でまた苦労・・。
その後、細々と暮らし、叔父が亡くなった後は、一人暮らしをしていました。
私と母は、よく叔母の元を訪ねていました。
昔の厳格な叔母の姿はなく、苦労を重ねて、潔さを身に着けた叔母に変わっていました。
母も、叔母の事が嫌いだったそうですが、お互い歩み寄ったのか、倒れる前には、かなりの仲良しになっていました
親戚の中でも、一番信頼されていたくらい・・。
なので、私も、実家に帰った時には、よく寄っていました。
そんな叔母が倒れ、息子家族がいる北九州の介護施設へ行きました。
実家から遠いころもあり、私が群馬から帰省した時、2回行っただけでした。
体は動かず、言っていることもよくわかりませんでしたが、行くと喜んでくれました。
体は動かず、しゃべることもままならず、でも、頭はしっかりしている・・となると、生きること自体が苦痛ではなかったでしょうか?
お見舞いに行くと、とても気持ちが暗くなりました。
九州に戻ってからも、何かと行く機会が無く、結局、お見舞いに行かずじまいでした。
そんな中、聞いた訃報・・。
もう一度、お見舞いにいっておけばよかった・・と、後悔しても遅いのですが・・。
天国で、今頃、おじちゃんと再会してるかな・・?
ご冥福をお祈りします・・。