神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(237) 甲越 川中島血戦 64

2024年10月29日 18時51分36秒 | 甲越軍記
 かくして福島筋の武田勢、信繁、飫冨、長坂、栗原、市川、真田の勢も険難の切所を乗り越えて御嶽城に寄せ来り
そして鉄砲を撃ちかけて、鬨をあげて攻め寄せる

木曽方には、天野鬼十郎勝成が切所に陣を構えて、寄せ来る武田勢に激しく鉄砲を撃ちかければ、武田勢は面を上げる間もなく打倒されて、死傷数え切れず
武田左馬助信繁はこれを見て、「騎馬武者にて横合いより攻め崩すべし」と下知すれば、依田新左衛門、高木蔵人、諸部又兵衛、一番に馳せだせば、左馬助の旗本も負けじと横合いより攻め入る
栗原、市川、真田勢も同じく攻め入れば、木曽方も柵内より鉄砲を雨あられの如く乱れ打つ
これによって、寄せ手は鉄砲の的となり、百余騎がたちまち打倒されて、依田、高木も手傷を負って、仕方なく引き下がる

ここに長坂左衛門は飫冨兵部の脇備えとして控えていたが、味方の正攻法がかえって損害多きことに嘆き、「敵兵は防御固く、いかに攻め寄せても味方の損害が増えるばかりなり、ここは敵をおびき出して叩くのが上策」と信繁に乞えば、信繁もこれを許した
左衛門は我が一手にて功名を挙げんと、軍を柵近くに寄せて大声で「卑怯なリ、木曽勢は腰抜け武士ばかりと見た、だれぞ打ち出て我らと一戦を交えようという勇士はおらんのか、腰抜けばかりであるなら早々に我らに降参するべし」と挑発した

これを聞いて木曽方の勇士、天野鬼十郎はためらいもせず、この挑発に乗り、八尺の鉄棒をしごき、馬にまたがり百名の従者を率いて、長坂勢の真ん中に攻め込んだ
鬼十郎は身の丈六尺(180cm)の大剛の士、鉄棒を右に左に振り回し、当たる者みな粉砕すれば、長坂勢の手負いたちまち多くなり、長坂の三百余人は打ち崩されてこらえきれず敗走する
これを見た真田弾正は長坂を救わんと勢を出せば、天野勢は掛け合わず早々に柵内に引き上げた・

武田勢は、その夜、本陣にて軍議を開いていると、真田一徳斎の二男吉兵衛昌幸十六歳が進み出て、「明日の合戦を某に任せていただきたい」と願い出る
父、一徳斎は怒って睨みつけ「軍議の席にて言葉を発するのは戦に熟知した者でなければ言わざるものなり、汝のような嘴の黄色いひよこは、しゃしゃり出ずに控えおれ」と叱った

吉兵衛は少しもこれを恐れず、「どうか御免蒙りて、明日の戦において某の戦ぶりをご覧あれ、もし仕損じたなら敵の柵前で討死するのみ」と思い切って望めば、飫冨兵部少輔進み出て「さすがは真田殿の御子である、天晴雄々しき一言なり、感じ候、某が後を詰める故、お許しあるべし」と言えば、一徳斎は大いに喜び、「吉兵衛の初陣、某も見届けるなり」と言って、吉兵衛の智力を計るためにわざと謀を談ぜず、兵二百余人に勇士三好伊左衛門、海野平右衛門をつけて授ける。



パンドラの箱

2024年10月29日 07時17分56秒 | 小説/詩
パンドラの箱には一体なにが入っていたのだろう
浦島太郎の玉手箱には止まっていた時間が入っていた
そもそもパンドラの箱って何なんだ? 調べてみたら
なぜいきなりパンドラの箱を思いついたのかと言えば、自分の人生を振り返ったとき(大概は寝起きの時なんだが)煩悩が浮かび上がった
それはおそらくパンドラの箱から逃げ出した多くの煩悩の一つではないかと思ったからだ

誰も彼もが当たり前の顔をして、何もなかったかのような顔をして生きている
それは知らん顔ではなくて、耄碌して忘れただけなのだ
忘れるとは都合の良い言葉だ、耄碌したからとは都合の良い言い訳だ
齢をとるとは、そう言うことに巧みになることなのだ
「年寄りだから」で簡単に片付く場面が多くなった
自動車に黄色いマークをつけておけば「老人だから仕方ない」で大概済んでしまう

耄碌したって煩悩も欲望も消えたわけではない
特に団塊世代の欲望は半端ない
いったい俺はパンドラの箱の中身を幾つ身に着けているのだろうか
指折り数えてみる「いつつ・・・とお・・・」それくらいはありそうだ
今も在るのが怖い 何が怖い 自分の煩悩が怖い
好々爺の顔をしてみても中身は違う ただただ単純に違うのだ
「違うんだ」と叫びたくなる
叫べば、気の触れた老人が一人、そこに居た

浦島太郎の夢だったのに