神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

散歩道 ネコ騒動

2024年10月22日 17時56分30秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん
 外出しようと玄関を出たら迎えの草むらの中から三毛猫成体が出て来た
白の中に明るい茶色が混じっている三毛猫だ
その後ろから、同じような白基調の子猫が二匹、ついて出て来た
どう見ても野良猫としか思えないが、みな野良猫とは思えないきれいな毛並みで、顔も可愛い




これは困った
ネコの命、知らぬ顔が出来ない私・・・困った
年齢的に飼うこともできず、抗がん剤で免疫低下だからかまうこともできず
困った
フーテンの寅ネコ(カート)、pee子もそうだったが、助けずにはおかれないのが私の弱点だ


車を走らせながら何か方法はないか考えた
これから寒くなる、子猫は一か月くらいか、けっこう元気で飛び跳ねているから今ならなんとかできる


女房殿はネコ道については私より詳しいから相談した
結果、保護猫団体に相談することにした
女房殿は、そんな関係三団体に顔見知りが居るので、そのうちの一人Sさんに相談した、彼女は保護猫団体の理事をやっている


まずは今夜、ネコの居場所にエサと水を置いて、明日食べてあれば、そこにいるし、食べてなければ移動している
保護団体は50km先の町に在るので、無駄足はできないので、まず確認
そこに居ついているならば、捕獲機で保護して病院で検査や去勢する
それから譲渡先を探すことになるそうだ



ただ、保護者が我が家になるので、知らん顔というわけにはいかない
これはとんだ災難
「じゃあいいです」と言いたいところだが、ネコが可哀そう
せめて冬は屋根の下で暮らさせてやりたい、貰い手があれば尚更良いが
とにかく可愛い子猫なのだ
今日は夕方に団体の方が二名やって来た、母ネコは落ち着いていて逃げる様子はないが警戒している
子猫は無邪気に遊んでいる、おとりの餌をやったら親は子が食べるまで見張りをして待ってから、自分が食べ始めた、ネコながら立派な母性本能
親とは言え、まだ1歳から2歳くらいだという
明日は早朝から保護活動を開始するそうだ。



夕暮れの散歩道、日が暮れるのもどんどん早くなる。

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(230) 甲越 川中島血戦 57

2024年10月22日 06時39分33秒 | 甲越軍記
  小笠原大膳大夫長時は桔梗が原の戦に敗れて、深志の城に逃げ籠り、敵が寄せ来れば城を枕に討死との覚悟を定めて、最後の決戦に備えた
翌十日には武田勢が深志の城に攻め寄せて来た
しかし信玄は、すぐには城攻めをせず十重二十重に取り囲んで、日夜鬨をあげて勢いをなし、城兵を休ませず疲労困憊に追い込んだ。

やがて晴信は、花形民部左衛門、河野丹後守を城中に送った
そして小笠原に申すには「武田、小笠原は元は兄弟の家と言えども矛盾に及び干戈を交えることとなった、いかに武の倣いと言えども我は骨肉の小笠原を攻め滅ぼすこと士卒を殺すこと忍びず、長時が城を明け渡せば、我らは無用の殺生に及ばず」と申せば
長時は「運が尽き、弓矢折れて城を枕に討死するは武の本意であるが、累代の武士を意地のために殺すのは忍びない、恥を凌いで晴信の申し出を承る、城兵を助けるならば速やかに城を明け渡す」と言って、互いに証文を交わして、長時は諸士を率いて城を出た。

信玄は城に日向大和守昌時を城代として入れて、長時に幕下として我に属するならば少しの所領を与えようと三度にわたり説いたが、長時は心中(同肉を食らう悪逆非道な悪人に従ういわれはない、このような不義の者にはいずれ天罰が下るであろう)と思い、信玄の誘いに乗ることなく信州を去り、摂州(大阪)芥川に至り、一族の三好修理大夫長慶を頼り、二十四年にわたり住んだ、三好家が織田信長によって滅んだあとは、永禄十二年北越へ至り、上杉謙信入道を頼り十六年の滞留をして、天正十二年、謙信の養子景勝、景虎の御盾の乱に巻き込まれたのち陸奥に至る
会津黒川に於いて、家人坂西という者に害されたことは、まことに惜しむべき
享年70という。

*yottin補足 深志の城というのは現在の松本城ではなく、松本城から東に入った山城の林城の事である、美ケ原へ向かう里山辺集落付近にある双胴の山城である。