板垣弥治郎に泣きつかれた長坂左衛門、跡部大炊介もまた曲淵の人を人とも思わぬ態度を快く思っていなかったから、板垣に同意してさっそく大将、武田晴信に面会して、曲淵の無礼を伝えた。
武田晴信、幼き頃より声を出して笑うこと無し、三十二、三歳の頃は四十、五十の人たちよりも素直な気質で冷静であったが、曲淵の一件を聞くと、腹を抱えて大いに高笑いしたので、長坂、跡部、さらに近侍の若侍までもが皆驚いた。
晴信は「さてさて曲淵めは物を知らぬ奴かな、ただ犬のような男である
犬と言うものは物の善悪を知らず、丁寧に掃除をした花壇の中に踏み込んで、己の思うままに荒らしまわる
朝夕、丹精込めて育てた花を堀散らかして、心ある人を嘆き悲しませても平気だ
主人が怒って杖を挙げれば、牙をむいて唸り、杖にかじりつく始末だが、それが狼藉だと気づいていない
かかる獣であっても、鹿、猿、狐、狸にかけてはまっすぐに追ってそれを捉え、あるいは追い払うこと誠に一途である
曲淵めもその如くで、去る十三年には小田井の城攻めで頭角を現し、高名を得た、広瀬が敵大将の馬を、曲淵は大将首を得ると公言して、皆の笑いものになったが、果たして有言実行を成して誰もモノ申す者が無くなった
その後も良き敵の兜首を幾つもねじ取り、足軽十五、六人を殺した、自らもこれまでに二十か所も傷を負った
あのような者が一備えに一人あれば、若者どももそれを手本にして手柄を挙げるであろうに」と申されたあとに
「このような愚直で出来るものなれば、弥治郎には胸をさすって捨て置くように申すが良い」と両名に命じて、また高笑いをして奥に戻った。
板垣弥治郎は、長坂、跡部から晴信の言葉を聞いて怒りに震えた
そして晴信と曲淵を心底恨んだ(某、一方の大将であるものをないがしろにして、曲淵のような者を愛するとは、わが父の武功忠義と曲淵を天秤にかけても、某の申し分を聞き入れるべきであろうに
わが父も満れば欠けるの詠歌を恨んで討ち死にしたが、大将は心にもかけず捨て殺しにした
我の忠義、それにも勝る父の忠義さえも気にかけぬ大将であれば、もはや行く末も見えた)と嘆いた。
弥治郎の組下に藤沢五郎左衛門という者あり、弥治郎の不快の色を見て、心を慰めんと密かに陸奥(みちのく)という遊女を勧めたところが、弥治郎は遊女を得てから軍事を怠り、陸奥を深く愛してやまず
この陸奥という遊女は、元は越後の者で長尾の間者であった
弥治郎が大将を恨み、酒色に溺れるのを見て、言葉巧みに武田家を恨ませて手の内に取り込み、裏切りを勧めれば巧みなる陸奥の言葉に惑わされ、法福寺合戦での手抜きで小笠原の窮地を救う。