神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(217) 甲越 川中島血戦 44

2024年10月03日 19時48分34秒 | 甲越軍記
 板垣弥治郎に泣きつかれた長坂左衛門、跡部大炊介もまた曲淵の人を人とも思わぬ態度を快く思っていなかったから、板垣に同意してさっそく大将、武田晴信に面会して、曲淵の無礼を伝えた。

武田晴信、幼き頃より声を出して笑うこと無し、三十二、三歳の頃は四十、五十の人たちよりも素直な気質で冷静であったが、曲淵の一件を聞くと、腹を抱えて大いに高笑いしたので、長坂、跡部、さらに近侍の若侍までもが皆驚いた。

晴信は「さてさて曲淵めは物を知らぬ奴かな、ただ犬のような男である
犬と言うものは物の善悪を知らず、丁寧に掃除をした花壇の中に踏み込んで、己の思うままに荒らしまわる
朝夕、丹精込めて育てた花を堀散らかして、心ある人を嘆き悲しませても平気だ
主人が怒って杖を挙げれば、牙をむいて唸り、杖にかじりつく始末だが、それが狼藉だと気づいていない
かかる獣であっても、鹿、猿、狐、狸にかけてはまっすぐに追ってそれを捉え、あるいは追い払うこと誠に一途である
曲淵めもその如くで、去る十三年には小田井の城攻めで頭角を現し、高名を得た、広瀬が敵大将の馬を、曲淵は大将首を得ると公言して、皆の笑いものになったが、果たして有言実行を成して誰もモノ申す者が無くなった
その後も良き敵の兜首を幾つもねじ取り、足軽十五、六人を殺した、自らもこれまでに二十か所も傷を負った
あのような者が一備えに一人あれば、若者どももそれを手本にして手柄を挙げるであろうに」と申されたあとに
「このような愚直で出来るものなれば、弥治郎には胸をさすって捨て置くように申すが良い」と両名に命じて、また高笑いをして奥に戻った。

板垣弥治郎は、長坂、跡部から晴信の言葉を聞いて怒りに震えた
そして晴信と曲淵を心底恨んだ(某、一方の大将であるものをないがしろにして、曲淵のような者を愛するとは、わが父の武功忠義と曲淵を天秤にかけても、某の申し分を聞き入れるべきであろうに
わが父も満れば欠けるの詠歌を恨んで討ち死にしたが、大将は心にもかけず捨て殺しにした
我の忠義、それにも勝る父の忠義さえも気にかけぬ大将であれば、もはや行く末も見えた)と嘆いた。

弥治郎の組下に藤沢五郎左衛門という者あり、弥治郎の不快の色を見て、心を慰めんと密かに陸奥(みちのく)という遊女を勧めたところが、弥治郎は遊女を得てから軍事を怠り、陸奥を深く愛してやまず
この陸奥という遊女は、元は越後の者で長尾の間者であった
弥治郎が大将を恨み、酒色に溺れるのを見て、言葉巧みに武田家を恨ませて手の内に取り込み、裏切りを勧めれば巧みなる陸奥の言葉に惑わされ、法福寺合戦での手抜きで小笠原の窮地を救う。


忙しくて時間が足りない

2024年10月03日 11時04分31秒 | yottin日記
 今度で2回目の抗がん剤治療先送りとなったが、実は「ああそうですか」では済まないのだ
いろいろな人と付き合っているので、すでにそれらの人との予定もいくつか立ててある
長いものでは2か月先まで決めてあって、あるいは歯科医に行く日も、この治療状態の合間を選んでいるから予定日になっている。

このように抗がん剤治療は、様々な予定や人とリンクしているので、大元の治療スケジュールが変わると、これらのリンク先の全てを変えなければならなくなって大事になるのだ
連絡は当然だが、物によってはキャンセルだとかも発生してくる
しかも次回予定日は決まっていても、その日の検査次第では、またまた先送りになることもあるので、結局暫定的な計画しか立てられない。

あと1クールになってから2度つまずいた
これが一般的な8クール、12クールともなれば、とても私の抗体は持たないだろう、そういう意味では、私の抗体は弱くて抗がん剤治療を要するガンになってはいけないのだった
しかし、なってしまった、思いもかけぬことであった
友だちなんかも、私が酒飲みの上に、これまで入院も手術もしたことがない健康体であることを知っていたから、こうなって、とても心配してくれる
それなのに副作用が厳しく、体力が衰えて元気が無くなり、体が衰弱していく抗がん剤治療なのだが、予想に反して私は元気でいる
看護師さんも食欲がない、気力が落ち込む、痩せるなどの典型的な例が無いか聞いてくるが、幸いに、それらが全くなく、食欲旺盛で2杯食べたいところを1杯で我慢しているくらいである
体重も一時は8㎏減って60㎏まで下がったが、今は65gまで回復した
手術前は68㎏だったが3㎏は必要ない不純物だったから、純粋には今と同じ65㎏だった。
最近?と思うのは、血圧上105、体温35.2度が私の常態であったが、最近は体重の増加と共にアップして、血圧125,体温36.5度くらいで安定してきた
この数値は、私にとっては今まで体験したことがない高いもので、少し不安さえ感じている、だが一般人はこんなもので私が低すぎたのはわかっている
これは私が一般的な人間になりつつあると言うことなのか。

時々登場する80歳のボランティアのボス(男性)から電話が来た
先輩は膵臓がん早期発見で手術をした人であるが「どうだい元気か」
お互い同じ境遇だから、ガン治療の話に終始したが、私の抗がん剤治療が終わったら食事をしようということになった
だけど、治療が先延ばしになったので、逆に食事会を前倒しにしようということになった
だけど、自分がこうなったせいか、友人知人が相次いでガン患者になるので不思議な気がする、それだけ普通の病気になりつつあるのだろう
だけど手遅れで亡くなったとか聞くと、少し胸がざわつくこともあるが、逆に5年、10年たっても元気でいる人も多くて、それは励みになる。

こうなって初めて命と人生と生き方を前向きに考えるようになった
時の流れの速さと、残された年月の短さを思うと一分たりとも無駄にできないと思うようになってきて、日々充実している
何よりも、残すべきものの選択と実行は楽しいものである
いろいろやることがあって一日が短い、これをやりながら次を考えているから頭も体もこんがらがる
家の中、外の世界、いろいろやることがある・・・ああ忙しい。



Gone Country