1回目を見たのは4月初め、もう一度見たいと映画館を探しているうちに5月に緊急入院となって、今日まで映画館で2時間以上じっとしていることができない状況になったのだった。
ところが今月のWowowでは、2023年に上映された映画が相次いで放映された
この映画もそうだが、「こんにちは、母さん」「翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて」、すべて見た映画だが、パーフェクトを家で見られるのはラッキーだった。
映画は予備知識なく見る1回目、そしてあらすじを知って見る2回目では感じる場所が違ってくる、そして1回目では見落とした部分が2回目では見えてくる
感じ方も違ってくる。
登場人物にも視点が行く、作者はそれぞれに何を背負わせたのか、まっさらな俳優にどんな個性を持たせて魂を吹き込んだのか
主人公平山(役所広司)、同僚の若者タカシ、ホームレス、寺の掃除のおばさん、古本屋の女主人、姪のニコ、居酒屋の親父、赤ちょうちんの女将(石川さゆり)、女将の元亭主(三浦友和)、ニコの母親、一緒に車の運転してきた男(夫? 彼? お抱え運転手?)、障害を持った青年、姿が見えないオセロの相手、タカシの彼女アヤちゃん・・・それにトイレを使ういろいろな人たちも意味を持っている、ざっとこんなところか
見終わった後で一人一人の分析をするのも楽しいが、ここでは割愛する。
セリフを考えるのも面白い、必ず作者が伝えたい意図をもったセリフが有る筈
「こんど」「こんどっていつ」「こんどはこんどさ」「だからこんどっていつ」「こんどはこんど、いまはいま」「こんどはこんど、いまはいま」で納得してしまう姪のニコ
「伯父さんは、ママと住む世界が違うって」高級車に乗ってやって来たママ、トイレ清掃人の伯父さん、伯父さんも、かってはそちら側の人間だったが「おとうさんも、もう昔のおとうさんじゃないわ、帰ってこない」と何かの葛藤があって、ここにたどり着いたのだろう。
昼食をとりに来る神社のベンチの前に貼緑の葉を茂らせる数本の広葉樹がそびえたっている、その間からの木漏れ日はきらめき、彼は毎日それの写真を撮る「この樹は、伯父さんの友達なの?」ニコは見抜いている
同僚の若者タカシとのあまりにも大きな世代間ギャップが世相を表し、若者の彼女アヤちゃんが物足りない彼よりも昭和の中年男、平山に魅力を感じるのは、彼女の求める男性像が中年男の方により近かったということか。
孤独な女には、孤独になる理由がある、それがわかっているから男を求めるが、それをわかってくれる男は少ない
孤独な女の我儘な一人語りを、優しいまなざしで静かに聞いてくれる平山
彼女を追い掛け回し、今夜が勝負だからと、そのためにお金が必要だと云うタカシとの違いはそこにある、それは世代の違いだから仕方ないけれど
傷ついた蝶は、きらめく広葉樹に包まれて休みたい
平山のカセットテープが1万円で売れるから売りましょう、そしてお金貸してくださいと若者は言う、だが何十年も大事にしてきたテープは売る気にならず、財布から有り金全部3万円ほど若者に無言で渡す主人公
しかし、空っぽの財布、主人公はレコードショップに行って結局テープを一本売ってしまうのだ、タカシにはしられぬように、これが平山の優しさ、懐の深さなのだ
だから姪のニコが何かしらの不満を持って母のところから家出をしてきて
「家出したら行き先は伯父さんのところって決めていたの」は、アヤちゃん同様に、平山の懐の深さを知っているからに違いない。
始まりは物静かなトイレ清掃人でしかない主人公、次第に生活パターンが明かされて、休日はまた異なった姿を見せてくれる
平山の内面が次第に明かされていく、最後は赤ちょうちんの女将へのほのかな思慕
そこに訳ありの男が現れて、女将と何やら深刻に話している
男が亭主ではないかと主人公にはピンとくる、夢が壊れたと思ったが、それは7年前に別れて今は別の女と再婚した元夫と聞いて、さらに「私はガンを患っていまして」「あいつをよろしくお願いします」「いえ、そんなんじゃないんです」と否定しても、それは真実ではなく
ラストシーンでは、運転しながら平山の顔は喜びがこぼれている、そしてBGMが次第に大きく響き、その心の喜びを祝す。
平山にはぎらぎらする欲望は微塵もない、自然のままに時間と生きている
それが毎日の規則正しい生活になっている、ところがいろんな人間関係が平山の規則正しい日常を乱す
それゆえ楽しみの居酒屋での一杯の焼酎と食事が出来なかったり、仕事帰りの一番風呂にも入れなかったり、就寝前の読書時間までも奪われてしまう。
「おっと、この先を書いたらまた長くなるから、続きとする」
つづく
Sunny Afternoon - The Kinks lyrics