この曲淵庄左エ門と言う男、隠れ無き武辺名誉の者であるが、理非については無頓着で心のままに動いて、他の人々の気持ちなど少しも考えない
それゆえに、本人に悪げなくとも、大いに迷惑を被る者多く、とかく争論すること多く、訴えに及んだことは七十四度にも及ぶ、そのうち一度だけは勝ったけれども七十二回は訴訟に負けて、残る一度は預かりとなる。
それなのに又しても家中の朋輩と論争になり、またしても訴訟に敗れた
悔し紛れに、「此度の訴訟は、某が勝つべきものなのに、各方面に手を回さなかったばかりに負けてしまった、今一度、訴訟をおこすが、その時は柿、栗を手土産にもって各方面に配るものなり、特にわが里のさわし柿の味は最上であるから、必ずや訴訟も勝利するであろう」と言って相手の者たちを散々に罵ったが、晴信が愛する者なので、誰もこれに逆らわず口をつぐんでいた
しかし櫻井安芸守ただ一人は、小身の者であるが曲淵のあまりの非礼さに腹を立てて
「曲淵殿は近頃勿体ないことを申されるものかな、それは上を軽んじているから出てくる言葉なり、これほど御令正しきお家の文武二道に優れた誉れ高い大将の下にあって、さようのような後ろ暗いことを申して、重ねて訴訟すると言う
重ねて訴訟するなら理をもってするべきであり、たとえ金銀財宝を積んできても、其の方の負けであるのは誰もが知るところだ」と声を荒げて言った。
曲淵は、これを聞くと傍らの人々の前で手をついて謹んで申すには
「某は、櫻井殿のように御大将とも親戚でなく位も低いけれども、切り合いならば勝るので、悔しければこの場にて立ち会うべし、必ずや首を砕いて進ぜよう」と罵って、刀の柄を撫でまわしながら立ち上がって、そのまま帰って行った。
曲淵の豪胆で強きことは誰一人知らぬ者はなく、ここまで言われても追いかけていく者は一人もなく、そのまま見送るしかなかった
櫻井安芸守は、曲淵の雑言に腹を立てて、今福浄閑、武藤三河守と連なって、晴信公の前に出て、訴えありの様子に見えれば、晴信公は先手を打って
「櫻井殿、何事ありしか」と言葉をかければ、櫻井は前ににじり出て「今日、曲淵が上をないがしろにして、某らの判断を嘲り、罪はなはだ重ければ早く彼を罰していただきたい、さもなければ某らの役職を罷免していただきたい」と涙を流して申し上げた。
晴信は、曲淵の雑言の数々を聞いて「そなたの申し分はいちいち理に適っている、あの曲淵めは昨日今日まで板垣の小者であれば、直参の者さえ敬うべきであるのに、某の一族であるそなたに雑言を申すなどとんでもないことである
しかれども曲淵には仔細あり、一年前に板垣弥冶郎は本郷八郎左衛門が小身であることを侮ったので、八郎左衛門は憤って板垣に切りつけて傷を負わせた
慮外はわが国において大小にかかわらず、我が国の制度で遺恨の仔細をあれこれ問えば、本郷の言い分に利があったが、相手は重臣の板垣であれば、しつけのために本郷を座敷にとりこめ置いたところ、板垣の小者であった曲淵めは本郷の罪をゆるすのは贔屓(ひいき)であると思い、某を恨み狙う様子にて罪に問うべきと思ったが、よくよく考えてみれば、板垣に取り立ててもらった恩の義理を思っての優しき志であると居間近くに呼んで、すぐに対面して、『板垣は当座の主であり、甲州一円の者は皆わが譜代である、真の主は我である』と諭せば、曲淵は涙を流して誓詞を書いて随身したのであった
またある時には、上州波手羅谷の合戦で、和田八郎の家人礒谷与三郎が首一つ、曲淵が二つ取ったので、いずれも名誉の手柄であるから、磯谷には上州の新参者ゆえ褒美として刀をとらせて、曲淵には譜代なる故心安く脇差を与えたところが、礒谷に劣る褒美と腹を立てて、その脇差を某の御簾まで投げ返す狼藉を行ったが、戦場では用に立つものと某に免じて許した
例えば猫というものは、いたずら者で引き立ての主も知らず、きれいにしている座敷を糞で汚し、可愛がっている小鳥を狙って悪さをする
されども鼠を捕るには一段と潔ぎよきものなり
鼠の悪さは猫の悪さの何倍もひどく、それを人が退治しようとて思い通りにはいかない、それを猫はいとも簡単に片づけてしまう
それゆえ多少の悪しきことは目をつぶり、猫を重宝なりと思うのだ
あの者は、先代信虎公の時より数度走り回り数か所の手傷を負い、米倉丹後守と曲淵は旗本の五人も褒めるので由を聞くと、摩利支天を信仰して未だ精進しているとのこと『誰に習っているかと』と問えば、加々美の大坊の秘伝であるとのこと。彼の如き文盲の者が経を読誦するとはそれもみな某への奉公である
十人で守るべきところを一人で守るとあれば、いかに至らぬ者であれ武道の奉公はかくの如し。これを罰して失うは国家の大損と大方の事は見逃しているのだ、これを罰して追いやれば」『あれほど軍功をあげた者でも、僅かな罪で成敗されるのか』と諸士の士気は下がるであろう
良将は材を捨てることなく、名君は士を捨てること無しと古人も言うではないか
さりとて、そちが役を辞すれば、曲淵も気遣いに至り、我らの為も知らずに自ら忠功も薄くなってしまう、我に免じて堪忍してはくれぬか」と仰せになれば
四人の人々も君の士を愛する心を感じ、伝え聞いた諸士も皆軍功を励み、曲淵に負けまいぞと励むのであった。