毎日新聞 2015年09月16日 地方版
人はなぜか、古来より「いじめ」の物語に心惹(ひ)かれてきた。ことに、心清らかで可憐(かれん)な乙女が、嫉妬深い継母(ままはは)にいじめ倒される物語は人気だ。いま制作中の2冊の本も、期せずしていじめの物語だった。
一つは、アイヌの民話集。札幌にあるアイヌ文化財団の依頼によりアイヌ文化啓蒙のために図書館用に制作しているもので、『フキノトウになった女の子』『カムイを射止めた男の子』に引き続き、3冊目になる。
今回の収録作品の一つが「わたしのおばが草小舟にわたしを乗せて流す」で、ガラスの靴こそ出てこないが、シンデレラ物語にそっくりだ。シンデレラはカマドのそばで眠っていて「灰かぶり」と呼ばれたが、アイヌ民話の主人公も囲炉裏(いろり)の下座に置かれ、いつも泥まみれだ。他にも類似点がいくつもあり、シンデレラ物語が伝播した可能性もある。
奈良時代の奈良の都を舞台にした「中将姫」の物語も、典型的な継子(ままこ)いじめ物語に分類される。結末が幸せな結婚ではなくて、阿弥陀如来(あみだにょらい)と二十五菩薩(ぼさつ)のお迎えにより、生きながら西方浄土へ召されたとする点が、典型的なシンデレラ物語とはひと味違うが、ある種のハッピーエンドである点は同じだ。
「継子いじめ」の物語の源流はどこにあるのか。いまのところ文字として記された最古ものは、明治の博物学者・南方熊楠が発見した、9世紀の中国の「葉限(イエシェン)」だという。その後の研究により、同様の物語が、ヨーロッパや中国から南洋にいたるまで、世界中に散らばっていることがわかった。そのどれが「元の話」なのか、結論はまだ出ていない。
「草の舟」も「中将姫」も、大陸から伝播した継子いじめ物語の変形なのだとしたら、「草の舟」のアイヌの娘と中将姫は、姉妹ということになる。それがいま、わたしのなかで出合っている。なんだか、不思議だ。
大和朝廷は、北の先住民「蝦夷(えみし)」を征服した。その蝦夷が、後にアイヌ民族になっていったという説もある。アイヌ民族は迫害され、その困難はいまも続いている。わたしたちの多くは、いわば「いじわるな継母」の立場なのだ。
迫害してきた者も、されてきた者も、純粋で健気(けなげ)な乙女に同情するやさしい心を持っている。根底では、人は同じ心根を持っているのだ。だからこそ「継子いじめ」の物語は、これほどまでに人の心をつかみ、世界中へと伝播していったのではないか。疑心暗鬼で互いに武装するのではなく、「やさしさ」の部分で世界の人々とつながれたら、と思う。(作家、詩人)=次回は9月30日
http://mainichi.jp/area/nara/news/20150916ddlk29070568000c.html
人はなぜか、古来より「いじめ」の物語に心惹(ひ)かれてきた。ことに、心清らかで可憐(かれん)な乙女が、嫉妬深い継母(ままはは)にいじめ倒される物語は人気だ。いま制作中の2冊の本も、期せずしていじめの物語だった。
一つは、アイヌの民話集。札幌にあるアイヌ文化財団の依頼によりアイヌ文化啓蒙のために図書館用に制作しているもので、『フキノトウになった女の子』『カムイを射止めた男の子』に引き続き、3冊目になる。
今回の収録作品の一つが「わたしのおばが草小舟にわたしを乗せて流す」で、ガラスの靴こそ出てこないが、シンデレラ物語にそっくりだ。シンデレラはカマドのそばで眠っていて「灰かぶり」と呼ばれたが、アイヌ民話の主人公も囲炉裏(いろり)の下座に置かれ、いつも泥まみれだ。他にも類似点がいくつもあり、シンデレラ物語が伝播した可能性もある。
奈良時代の奈良の都を舞台にした「中将姫」の物語も、典型的な継子(ままこ)いじめ物語に分類される。結末が幸せな結婚ではなくて、阿弥陀如来(あみだにょらい)と二十五菩薩(ぼさつ)のお迎えにより、生きながら西方浄土へ召されたとする点が、典型的なシンデレラ物語とはひと味違うが、ある種のハッピーエンドである点は同じだ。
「継子いじめ」の物語の源流はどこにあるのか。いまのところ文字として記された最古ものは、明治の博物学者・南方熊楠が発見した、9世紀の中国の「葉限(イエシェン)」だという。その後の研究により、同様の物語が、ヨーロッパや中国から南洋にいたるまで、世界中に散らばっていることがわかった。そのどれが「元の話」なのか、結論はまだ出ていない。
「草の舟」も「中将姫」も、大陸から伝播した継子いじめ物語の変形なのだとしたら、「草の舟」のアイヌの娘と中将姫は、姉妹ということになる。それがいま、わたしのなかで出合っている。なんだか、不思議だ。
大和朝廷は、北の先住民「蝦夷(えみし)」を征服した。その蝦夷が、後にアイヌ民族になっていったという説もある。アイヌ民族は迫害され、その困難はいまも続いている。わたしたちの多くは、いわば「いじわるな継母」の立場なのだ。
迫害してきた者も、されてきた者も、純粋で健気(けなげ)な乙女に同情するやさしい心を持っている。根底では、人は同じ心根を持っているのだ。だからこそ「継子いじめ」の物語は、これほどまでに人の心をつかみ、世界中へと伝播していったのではないか。疑心暗鬼で互いに武装するのではなく、「やさしさ」の部分で世界の人々とつながれたら、と思う。(作家、詩人)=次回は9月30日
http://mainichi.jp/area/nara/news/20150916ddlk29070568000c.html