釣に行くのもタイミングがあってなかなか思いどおりにはいかない。自分の場合には4つの制約条件がある。
まず一つは曜日の問題。
土曜、日曜、休日は釣り客が多くなって狙いの場所が確保しにくいので行けない。
二つ目は天候の具合
雨降りはダメだし、強風も仕掛けが思うように投げられないので楽しく釣りができない。
三つ目は汐の具合
「大潮」などの大きな潮位のときの「上げ三分、下げ七分」のとき以外は釣果が思わしくない。
四つ目は筋肉疲労
最後に一番大切なのが肝心の竿を持つ右腕の筋肉疲労で、毎回50匹前後の魚を釣り上げていると、右手首から肘当たりの負担がバカにならない。左手の方はリールを巻くのに使うので両腕を使うわけにもいかない。したがって、少なくとも釣行の期間を1週間以上開けないと「けんしょう炎」になってしまいそう。
というわけで、前回の釣行が12月1日(火)だったので、11日(金)あたりに狙いを定めていたのだが、あいにく天気予報によると10日(木)~11日は大雨とのこと。
そこで、仕方なく9日(水)の釣行となった。残念なことに潮の具合がよろしくないが、贅沢は言ってられない。
当日の潮汐表だが、こういうように24時間のうちに小さな山が二つあると潮位が分散されて潮の動きが緩慢になり魚の食欲もイマイチである。
早朝の6時半ごろに出発するときに「おい、今日はあまり潮の具合が良くないのであまり釣れんかもしれんからな」と家内に言うと、「料理に困るのであまり釣ってこないようにね」とのご託宣。
気楽な反面、あまり当てにされないのも肩すかしをくらったようで微妙な心境(笑)。
さすがに12月中旬ごろの早朝となると随分冷え込んでいて外気温が11度だった。魚も深みに潜り込んで前回の半分も釣れれば上出来だろう。
まだ薄暗い中に、いつものように釣り人は皆無でお目当ての釣り座を難なくゲットできた。「集魚剤+パン粉+麦」を海水で混ぜ合わしたマキエを海面に撒いて戦闘開始。
海水温が冷たいせいか、初めの1時間ほどは散発気味で食い気がイマイチだったが、9時ごろからようやく頻繁に当たりが出始めた。
例によって、魚の学習能力をうまくかわすために、ウキ下を変えたり、錘を付けたり外したり、位置を変えたりとあの手この手で仕掛けを変化させてやって同じパターンを繰り返さないようにすることが肝心。
魚だって命がかかっているんだから、仲間たちが次々と釣り上げられているのを見ると警戒心を起こすのは必然だろう。撒き餌で魚の食欲を大いに刺激してやることが肝心だが、食欲と命のどちらが大切なのか、それが魚には分からないのが哀れである(笑)。
要するにプライオリティ(優先順位)の問題だが、ただし、笑ってばかりもおれない。人間だってそうだ。
ときは第二次世界大戦前。日本海軍は「大艦巨砲主義」のもとに「戦艦大和」をつくったが、時代の流れは既に「空軍の充実=飛行機」へと移っていた。日本海軍も途中で気が付いたが、現実問題として「戦艦大和」の乗組員を実際にどこに配置するのか、失業問題が浮上したため、容易に切り替えることができなかった。
今となっては「国の存亡と乗組員の失業問題」のいったいどちらが大切なのか、考えても分かるのに・・・。
閑話休題。
11時過ぎになって右腕の筋肉が少しマヒしてきたので潔く納竿。周囲で遠慮していた「イカ釣り師」たちが喜んで釣り座に寄ってくる。帰る時の外気温はといえば、何と19度と急上昇していた。完全に冬武装していたので汗をかくほどだった。
10分ほどで帰宅すると例によって御開帳。
左上のサイズの目安で置いた携帯の長さが11センチだが、足の裏サイズが1匹、手の平サイズが20匹前後、後は南蛮漬け用。画像に入りきれなかったものを含めると全部で50匹ぐらい。
やはり型はイマイチだったが、明らかに暖冬異変だろう。クロ(メジナ)は11月頃から深場に移っていくので釣れなくなるものだが、12月に入ってこれほど釣れたのは釣り歴30年以上になるが初めて。
我が家には10匹ぐらい残してあとはすべて近辺散布。サイズがイマイチなので胸を張って差し上げられないのが残念だが、中には「新鮮だし、白身なのでおいしい」といってくれる方もいて、お世辞かもしれないが大いに励みになる。(笑)