メル友の「I」さん(東海地方)はこのブログの「ご意見番」として非常にありがたい存在だが、先日のメールで「オーディオネタはもちろん面白いのですが、音楽ネタも大好きです。音楽好きでないとオーディオが始まらないということをひしひしと感じます。」と、あった。
正直言って「オーディオ好き」と言われるよりも「音楽好き」と言われる方がうれしい(笑)。
そういえば、これまでたくさんのオーディオ愛好家とすれ違ってきたが長続きしている人は「心から音楽が好き」という人だけだった。
このブログでいつも小難しい理屈を振り回しているようだがシンプルに言うと、ただただ「いい音楽」を「いい音」で聴きたいというだけである。
というわけで、今回は調子に乗って音楽ネタということでいきましょう。
いつぞやのブログで、指揮者トスカニーニを引き合いに「指揮者とオーケストラの関係が和気あいあいの民主主義ではいい音楽は生まれない」なんて生意気なことを書いたものの、所詮は音楽現場に疎いズブの素人の「たわ言」と受け止められても仕方がない。
そこでオーケストラの一員それもコンサート・マスターとして第一線でバリバリ活躍している方に応援してもらうことにした。
語るのは矢部達哉氏(1968年~ )。
90年に22歳の若さで東京都交響楽団のソロコンンサートマスターに就任して大きな話題を集めた現役のヴァイオリニストである。97年NHK連続テレビ小説「あぐり」のあの美しいテーマ音楽を演奏した方といえば思い出す人もあるかもしれない。
「知ってるようで知らない指揮者おもしろ雑学事典」(2006.6.20)
この本の第4章「指揮者はオーケストラを超えていたら勝ち」に対談形式で述べられていた内容である。
☆ 指揮者とオーケストラが仲良し友だちみたいだと奇跡的な名演は生まれにくいのですか?
生まれにくいと思う。結果的には練習のときに僕が指揮者から怒鳴られて嫌な気持ちはしたけど、その演奏会を思い出すと幸せなんです。その指揮者をものすごく尊敬するし、尊敬の気持ちって一生消えない。仲良く和気あいあいとやった場合に、芸術的な深みのある演奏をした記憶がないんです、残念ながら。
ものすごくいい演奏ができるのは一年に一度か、運がいいと二度、三度かもしれない、そういうときはある種のストレスとか、負荷がかかって舞台にいるんです。すごい緊張かもしれないし、このメロディを綺麗に吹くことができるかどうかっていう瀬戸際かもしれない、そういうことを感じながらみんなが次々にクリアすることが積み重なって奇跡が起こることがある。
ある意味で、そういうストレスとか負荷を与えてくれる指揮者でないと、名演はできない。みんながご機嫌で全然ストレスがなくて、いい指揮者だな、この人はなにか居心地がいいよなっていうときはそこそこしか、いかないです。
だから、今まで僕が経験した、素晴らしかった演奏というのはいい意味でのストレスは沢山ありましたよ。指揮者からの音楽的な要求が高くて、自分やオーケストラがそこまで行かれるかどうかを考えているときは精神的にプレッシャーがかかるけど、それを乗り越えたときにいい演奏ができる。
☆ コンサートマスターにとって、指揮者とはどのような存在なのですか?
指揮者って本当にミステリー。指揮者がいなくても演奏はできるがレベルをもっと高いところまで持っていくためには、やっぱり指揮者は絶対に必要。
レベルの高いオーケストラには、音楽に対する確固たる信念と個性を持った一流の器楽奏者が沢山集まっています。だから、指揮者はオーケストラの存在を超えているんじゃないかと思わせる人が勝ちなんです。
それはおそらく勉強とか経験とか、耳がいいとかスコアがよく読めるとか、そんなことではダメかもしれない、というのが僕の意見。
「生まれたときからそういう資質がある人じゃないと指揮者にはなれない」と、ある人が言っていますが、指揮者になれないのになっちゃっている人が意外に多いんです。「この指揮者は本物だ」と思える人はひと握り。
本物の指揮者だったら、音楽を離れたときにどんな人なんかあまり気にしない。音楽がものすごく出来て、しかも人間的にもバランスが取れている指揮者なんて、ほとんど聞いたことないです。
本物の指揮者は人並み外れているっていうのが僕の考え。そういう能力があって我々やお客さんに喜びとか幸せを与えられる指揮者なら意地悪だろうとお金に汚い人だろうとかまわないんです。
以上、関連箇所の抜粋だが、随分と歯切れのいい発言でこれが指揮者に対するオーケストラ側のおよその見解とみてもいいだろう。
ところで、以上の話は「演奏」という言葉を「仕事」に置き換えると音楽の世界だけではなく私たちが一般的に働いている職場にも通じるような話になる。
たとえば「なあなあの仲良しクラブみたいな職場ではいい仕事が出来ない」とは在職中にもよく聞かされた話だが、ともすれば穏やかな雰囲気に流されがちだった我が身にとってはいささか耳の痛い話である。
組織の世界では単なる「いい人」では済まされないことが多い。とりわけ管理職になると「厳しい上司と忠実な部下」という構図が当たり前のように求められるが、ストレスを受ける部下にしてみれば迷惑千万な話で「居ないのが一番いい上司」と言われる所以である(笑)。
「あいつは悪(ワル)だ」とレッテルを張られることはひとつの勲章といってもいいが、そこはそれ本人の人徳とも微妙に絡んできて「いい人」と「ワル」との兼ね合いはなかなか難しい。
結局のところ、最後の決め手となるのは「組織への忠誠心」と「人間的な誠実さ」にあるような気がするが、その辺が音楽芸術の才能の世界と大きくかけ離れているところだろう。