「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

読書コーナー~スターリン回想録~

2022年05月19日 | 読書コーナー

「スターリン回想録~第二次世界大戦秘録~」(山田宏明 著)。
                       

こういう地味なタイトルの本が本屋さんに置いてあったとしても、いったいどれだけの人が実際に手に取って興味を示すことだろう。

そういう意味ではこれはまさに図書館に置かれるのにふさわしい本で、つい手に取って読んでいるうちに惹き込まれてしまった。まさに「掘り出し物」とでもいうべき力作だった。

スターリンといえば、第二次世界大戦当時のソ連の最高指導者として、また誰からも恐れられた独裁者として保身のためにライバルたちを次から次に粛清したことくらいしか知らないが、本書はそのスターリンの目を通して第二次世界大戦時の首脳たちの駆け引きの全容を明らかにしたもの。

日本そして欧米諸国の視点からの「大戦論」は多いが、ソ連という当時の独特の位置付けにあった国から見た「大戦論」は極めてユニークで「眼からウロコ」の連続だった。

「歴史は現代を写す鏡」という言葉があるが、折しも現在はウクライナ紛争の真っ最中だ。

ロシアの侵略はどんなに弁明しようと言い訳できないが、旧ソ連邦の解体時の「歪」が一気に噴出したと言っても決して間違いではないだろうし、さらにまた2014年の「クリミア半島」への侵攻があまりにもうまくいき過ぎたことが遠因となっているのも否定できない。

その点、戦国時代の猛将「武田信玄」はうまいことを言っている。

「戦いは五分の勝利をもって上となし、七分を中となし、十分をもって下となる。五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分は驕りを生ず」

で、本書では当時のアメリカが参戦した主な理由として、自国の将来の権益を守るため、太平洋を隔てて対峙する日本が中国や東南アジアに進出してこれ以上の大国にならないように防止するためだったこと(「オレンジ計画」)などが明らかにされている。

結局、戦争に勝利して「超大国日本」の実現阻止には成功したものの、代わりに台頭した中国との関係に苦慮する現在のアメリカを見ていると、はたしてその戦略が長期的に見て正しかったのかどうか、まだ歴史の審判は下されていないように思える。

また日本の天皇制についても敗戦の責任論も含めて、日本独自の奇妙な統治システムに関して随所にその在り様が率直に展開されている。中にはこういう記述もある。(141頁)

「400年も続いた徳川封建支配体制の時代には、天皇の存在すらほとんどの国民は忘れていたのに、明治維新によって歴史の屑籠から引っ張り出され、教育と洗脳で“世界に冠たる王室”に祭り上げられてとうとう戦争遂行の理論的支柱にまでなってしまった。~中略~。

こんなものを担いで戦争遂行を正当化したこと自体が日本という国が“帝国主義国にもなれない二流国家”の証明なのだ。」
と、いった具合。


ただし、本書はスターリンが実際に回想したものではない。毎日新聞の記者として34年間もの経験を生かした著者が「もし実際にスターリンが生きていたらこう言っていただろう」という推論に基づくものだが、豊富な資料に裏付けされているために内容に説得力があり、もしスターリンが生きていたら「ウン、その通りだ」というに違いないと思わせるものがある。

末尾の「歴史の勝者は誰か」(216頁)で、俺(スターリン)はこうつぶやく。

「第二次世界大戦とは、そして20世紀とは何であったのか。~中略~。俺の存命中の出来事ではなかったのだがソ連という国は結局消滅してしまったのだから、俺は敗者だったのだろうか。我が国が無類の勇気を発揮し命を削って戦った独ソ戦とは何だったのか。歴史の勝者は誰なのか。時の移ろいのままに、すべては無に帰すだけなのか。俺には分からない。」

ちなみに、第二次大戦中最も悲惨で残酷な戦いといわれている独ソ戦の犠牲者はソ連側2700万人、ドイツ側830万人とされており「これだけの犠牲を払ってナチズムを退治したのだから世界はもっとロシアに敬意と感謝の念を払ってもいいはずだ」という声が聞こえてきそうだ。


で、「20世紀の歴史に対する一つの見方」として多角的な歴史観を養う意味で、こういう地味な本にぜひ脚光を浴びてもらいたい気がする。


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