高校時代のオーディオ仲間たち(4名)といまだにメールの交換をしているが、そのうちのU君から次のメールが届いた。
「先日、NHKのBSでストラディヴァリの番組がありました。ご存知かと思いますが、ストラディバリとはイタリア・クレモナで名工ストラディバリが製作したヴァイオリンの名器で、それを扱った番組でした。ご覧になりましたか?」
しまった!どうやら貴重な番組をウッカリ見逃してしまったようで、「残念です。観ていません」と返信したところ、さっそく次のメールが届いた。
「面白く興味深い内容でしたよ。色々な角度から検証していましたねぇ~。それでも、人間の歴史の中で科学万能の現世においてさえも再現は出来ない様ですね。職人魂(霊)の為せる 技(術)でしょうか?」
関連して、桐朋学園大学を卒業して指揮者として武者修行のため渡欧したO君(現在は福岡で音楽アカデミー開設)からもメールが届いた。
「私の留学はザルツブルグ・モーツアルテウム音楽院の夏期講習から始まったのですが、ザルツブルグ音楽祭を初めて聴いたのがカラヤン指揮の<アイーダ>でした。(幸いなことに、宿の主人がチケットをゆずってくれたのです)
全ての点で余りにもスゴくて《ブッ飛ばされた》ことを覚えています。この時、舞台上で演奏された(古代の)トランペットがYAMAHA製だと聞きました。ヤマハが管楽器を手がけた最初の事例でしたが、結果は良かったと思います。
この時、ヤマハはヨーロッパの金管楽器の名器を入手して、全ての部分の厚みの変化や、金属の質などをコンピューターで分析しながら開発したと聞きました。この方法で、それ以後のヤマハの金管は優れたものを作っています。
その後、ウィーンのスイートナーのクラスで学んだのですが、あるとき日本から帰国したばかりのスイートナーがヴァイオリンを抱えて教室にやってきました。
“使ってみて欲しいと言われて、ヤマハから預かって来た”と言って楽器を生徒に見せ、ヴァイオリンの生徒が弾いて“うん、いいイイ”と言っていました。
後で聞いた話ですが、ヴァイオリンの銘器をコンピューターで詳しく分析して、そのように作ろうとしたそうです。しかし、どうしても本物に近い楽器にまでは作れなかったようです。金属では成功したのですが、(自然の)木が相手ではコンピューターも分析しきれなかったように思います。
また、ヤマハの工場に行った時、聞いた話ですが、スタインウェイを入手して、全てバラバラに分解してから、組み立て直すと<ヤマハの音>になってしまったそうです・・・やはり職人(名工)の『感性』が重要な鍵を握っているのでしょうか。」
金属ではコンピューターの制御が利いたけど、(自然の)木では無理とは注目すべき事象ですね。
オーディオの究極の課題となる(スピーカーの)箱の材料は木ですからね・・、やっぱり難しいはずです。
そういえば人間の感性が重要なカギを握っている例として往年の名器とされる「マランツ7」にまつわる話を思い出した。
「マランツ7」といえば、1950年代の初めに市販のアンプにどうしても飽き足りなかった大の音楽好きの「ソウル・B・マランツ」氏(アメリカ)がやむなく自作したプリアンプの逸品である。
ある専門家がそっくり同じ回路と同じ定格の部品を使って組み立ててもどうしてもオリジナルの音の再現が出来なかった曰くつきの名器だと、ずっと以前のオーディオ誌で読んだことがある。
おそらく、言うに言われぬ、言葉では表現できない細かいノウハウ(神業)の積み重ねがあるんでしょうねえ・・。
感性が求められるオーディオ機器の典型的な例として挙げてみたわけだが、これを敷衍(ふえん)すると、一つの命題が導き出される。
それは「オーディオ機器(アンプとスピーカー)の製作に携わる方は少なくとも音楽愛好家であって欲しい」
大学の工学関係科を卒業したというだけで音楽に興味を持たない人たちが(メーカーで)機器づくりに携わることは、まるで「仏(ほとけ)作って魂入れず」で、使用する側にとってはもはや悲劇としか言いようがないと思うんだけどねえ・・(笑)。
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