「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

音楽談義~「大人のジャズ」に思う~

2011年10月14日 | 音楽談義

以前、ネットで注文しておいた「大人のジャズ」と題したCD10枚組のセットがやっと届いた。

                                   

ジャズのスタンダードナンバーばかり収録したもので、ジャズ通に言わせると初心者向きのアルバムばかりなので「子供のジャズ」なんて揶揄されるかもしれない。

たとえば全120曲のうち、「A列車で行こう」(デューク・エリントン)、「帰ってくれたら嬉しいわ」(ヘレン・メリルwithクリフォード・ブラウン)、「サムワン・トゥ・ウォッチ・オーバー・ミー」(エラ・フィッツジェラルド)といった具合。

注文したきっかけは新聞一面にでかでかと打たれた全面広告。全国紙(朝日)だったのでお気づきの方も多かったことだろう。

           

古い曲ばかりなのでやたらモノラル録音が多いがすべてオリジナル音源というのが気に入ったし、何といっても安かった。送料込みで1万円前後だからCD1枚あたり1000円という計算。

一昔前に比べると、音楽の無料配信などの情勢の変化もあって確実にCDが安くなっている。CDの売り上げも減少の一途をたどっているそうで、いつぞやのブログにも投稿したように「音楽がタダになる日」が着実に近づいているのを実感する。

ともあれ、母のこともあって我が家に届いてもしばらく放っておいたわけだが、ようやく”聴く気”になって昨日(13日)になって5枚ほど封を開けてみた。         

ちなみに10枚のCDのそれぞれのタイトルを紹介しておくと次のとおり。

「テレビで聴いたジャズ」「映画で聴いたジャズ」「スイング・ジャズ」「ボサ・ノヴァ」「ラテン・ジャズ」「モダン・ジャズ」「ジャズ・バラード」「ジャズ・ピアノ1」「ジャズ・ピアノ2」「ジャズ・ボーカル」

さすがにジャズを再生するとなるとベースとシンバルがきちんと鳴ってくれたほうがいいので、ここは広い(周波数)帯域を旨とした我が家の第一システムの出番。

すべて1枚のCDあたり12曲入りだが退屈せずにすんなりジャズの世界に入っていけた。音質の方はいいのか悪いのか判然としないが昔の録音なのでこんなところかな~。

最近、ジャズのCD盤に手を伸ばすことがなぜか多くなったような気がする。もちろんクラシックも相変わらず聴いているのだが、以前からは想像もつかないほどの様変わりである。

「大人のジャズ」を聴きながら何とはなしにその原因を考えてみた。加齢とともに好きな音楽のジャンルが変わるのは自分ぐらいのものかもしれないのであまり参考にならないと思うが。

ここ数年の傾向だがクラシックを聴いていると、どうも昔ほど心を動かされないようになった。もちろん40年間にわたって聴いてきた慣れもあるのだろうが、一方では作曲家の思想とか意図するものを、指揮者、演奏者が一体となって聴く側に「これでもか」と無理矢理押しつけてくるような圧迫感をつい感じてしまうときが多々ある。

たとえば「音楽は哲学よりもさらに高い啓示」との言葉を遺したのは「楽聖」ベートーヴェンだが、彼の音楽には特にその傾向が強い。

今でも最後のピアノ・ソナタ(32番)は大好きだし、「大公トリオ」もいいし、「第九」だって人類が生んだ前人未到の大傑作であることは認めるが、どうもいざ聴く段になるとちょっと気が重くなって心理的な負担を感じてしまうのである。

後世の作曲家たちに「手も足も出ない」と嘆かせたほどの完璧な構成力を持つ「後期弦楽四重奏曲群」にしてもまるで
「ちゃんと正座して聴きなさい」と言わんばかりの堅苦しさ。

さらには、ところ変わって「音楽の父」バッハが作曲したものだって基本的には「神の声」を旋律として具現化したものばかりである。

どうも、鬱陶しい気が先に立つ。

どうしてこんなことになるのかと、つらつら考えてみると、その一因としてこのところ長い間の「宮仕え」から解放されて身分にしても時間にしても限りない「自由解放」のありがたみを満喫してしまったせいで、音楽を聴くときにも「縛られたくない」という意識がそうさせるみたいである。

作曲家や指揮者などによるわざとらしい誘導がちょっと”鼻につきだした”といえば言い過ぎかな。たぶん、自分は”へそ曲がり”なのかもしれない。

ただし、モーツァルトの音楽だけは弁護しておこう。ある音楽評論家が「彼の音楽の本質は”飛翔”だ」と表現していたが、まるで「天馬、空を駆ける」ような音楽は聴く側をまったく
束縛しないところが何よりもいい。

そしてジャズ。

基本的には即興であり、リズムの音楽である。作曲家や演奏者が大上段に振りかぶったような気負いがなく、鑑賞者が感ずるままに解釈の自由が許されているところがすこぶるよろしい。

だが、しかしである。

「制約のない自由」がとかく人間を安易な方向に押し流すという側面を持っているのも事実である。もしかすると自分も・・・。

そこで浮かんでくるのが、果たして「クラシックからジャズへの変遷」は前進なのか、後退なのかという疑問。

まあ、どうでもいいことなんだろうが、クラシック・ファンからは「芸術(クラシック)と娯楽(ジャズ)を一緒にしないでくれ
なんて注文が出そうだし、ジャズ・ファンからは「なに、ジャズは娯楽か?」 なんて声も上がりそうだ。

「いったい芸術とは何だ?」

どうやら話がややこしくなりそうなのでこの辺で止めておくほうが無難のようだ(笑)。

 

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