中井久夫氏の著書「世に棲(す)む患者」は精神科医の視点から興味深い事柄が書かれてあったので2点ほどピックアップしてみた。
☆ 医療における人間関係
○ 頼りになるのは母方の”おじ”(緑色の部分は引用)
精神科の治療では患者の家族や親族の協力が絶対に欠かせないが、そういうときに誰に見当をつければいいかという話である。
家族に協力を頼むときに一番話を聞いてくれる人、これはまず母方の「おじ」を探せというのが私なり、私の友人たちの合言葉なんです。
これはどういうことかと申しますと、だいたいにおいて父方のおじさんの頭には「何とか家」という、家のことがどうしてもあるわけです。どっちかというと、建て前的な世間の社会通念をそのまま押しつけるという側に回ることが多い傾向があります。
ところが母方のきょうだいというのは、妹なり姉さんも「何とか家」に行って苦労しているだろうという思いがあるわけです。
ことにその子どもさんが病人になると、特にそういう思いがあるんでしょう、何とかしてあげたいと、それで、声をかけましたら「私どもでできることなら何でも」と言ってくれるのは母方のおじさんが一番なんです。
そんな話を精神科の中でしますと、「自分も進学とか、就職とか、あるいは恋愛とかいうときにいきなりオヤジにぶつけると頭からダメと言われる可能性が高いので、”おじ”あたりにまずちょっと聞いてもらった」というような経験の人が多うございまして、なるほど、これが世間一般の隠れた智恵なんだなあと思いました。
むろん、おばさんでもよいわけですが、おばさんの家には身体や気持ちを休めに行くことが多いようですね。
以上のようなご指摘だが、これまで別に意識したことはなかったが自分に照らし合わせてみると心情的にまったく附合するので驚いてしまった。
自分は三男の末っ子で、長兄と姉にはそれぞれ3人の子供がいる。
その子供たちにとっては自分は同じ「おじさん」にあたるわけだが、自分からすると長兄の子供たちと姉の子供たちに対しては距離感がかなり違うのである。
長兄の子供たちには「ちゃんと、しっかりしてくれよな」という意識が常に潜在的にあって叱咤激励するような見方をしているものの、姉の子供たちには何だかいつも不憫な思いが先に立って「何かあったら出来る限り加勢してやりたい」という気持ちがあるのだが、そういう訳だったのかとようやく合点がいった。
もうひとつ、長兄との男同士の関係よりも、「姉と弟」という関係で小さい頃から仲良く育ってきたという背景もあるような気がする。
皆さんの場合はいかがだろうか?
○ 「ホウー」という合いの手の使い方
人間というのは、だれか一人でも話を素直に聞いてくれる人を持っていると随分と精神健康によいそうで、精神科医の究極の役割は「患者の話を聞いてあげること」にあるという。
私の年来の友人で非常に精神療法がうまいということで、若いときは日本のフロイトではないかと言われた男がいます。彼は今、大学をやめて故郷の精神病院で働いております。
彼のような面接の達人と言われている人が、私に「君、患者さんとの話の中で一番大切な言葉というのは何と思うか」ということを訊かれたわけです。私はウーンとしばらく考えていますと、彼の方がそれは”ホウー”という言葉だと。
”ホウー”というのは合いの手なんですが、患者さんが何か話すときに、それをホウーと言って聞くというんですね。
このホウーという声の出し方が何十通りもあるんだそうでありまして、「あっ、ホウ」とか「ホウー」とか、いろいろあるわけで、適切なときに適切な口調でホウーと言うと患者さんの話がだんだんまとまってくるものなんだと。
実に成る程と思ったわけです。
自分独りで考えていると振り子のように考えが行きつ戻りつしてまとまらないとき、親友なり話のわかる”おじさん”というようなところに話をもっていきますとフン、フンと話を聞いてくれている段階でだんだん自分の考えが分かってきた経験がきっとおありだと思います。
人生決断の時にはこういうことが非常に大事だったんじゃないかという経験が私にもございます。
そういう簡単なことで人助けになるのなら、これからはできるだけ相手の話を「ホウー」「ヘーッ」「そうですか」「成る程」といった調子で、適切に合いの手をうちながら「聞き上手」に徹することにしよう。