「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

読書コーナー~「野球にときめいて」~

2011年11月22日 | 読書コーナー

今年のプロ野球「日本シリーズ」は戦前の予想どおり、「ソフトバンク」の勝利に終わった。

「4勝3敗」という星数だけからすると「中日」の善戦ということになるが全体的な試合内容では
ソフトバンクが明らかに星数の印象以上に勝っていた。

とにかく、中日はまったく打てない!

野球ファンのカミさんが、あんまり打てないものだから(テレビで観戦中)「まったくスリルに乏しい、眠くなってしようがない」とこぼしていたが、勝った3試合などはすべて「2対1」だから、よくもまあこんな貧打線で日本シリーズに出てこれたものだと思うが、逆に言えば野球は「投手力+守備力」だけでかなり勝ち進めるんだということが分かったのも今年のプロ野球の大きな収穫だった。

本年から導入された「統一球」(飛ばないボール)の影響もあるのだろうが、各球団の関係者にとっては、これからの「チームづくり」に大いに参考になった一年だったといえよう。

野球の要素は「マネジメント」を別にして、投げる、打つ、守る、走るの4つしかないが、このうち「しっかりしたエース級を少なくとも3人そろえる」、「守備練習を徹底的にやる」、「盗塁を含めて全力疾走する」これだけで対策は結構いけそうである。

となると、「”打つ”ことの意義は一体何だ」という話になる。


プロ野球ファンとしてもう50年以上経つが、「打つ」ことに関してはいまだに不思議に思うことが多い。

たとえば、どんな強打者でも「10本のうち3本の確率しかヒットが打てないのはなぜ」「練習量が成績に素直に反映しないのはなぜ」「打球を遠くに飛ばす能力の差はどこに由来する」「打撃に限っては選手の好不調の波が極端に激しいのはなぜ」「40歳前後といえば一般社会では働き盛りなのに大半の選手の打撃寿命が尽きるのはなぜ」といった具合に、なぜなぜの連続。

そういう奥深い「打撃」について、自分の半生とともに率直に語ったのが「野球にときめいて」~王貞治、半生を語る~(2011年5月)である。

                    

なにしろホームラン数868本の世界記録を持ち、実際に超一流の打撃技術を極めた人物の言だから説得力がある。

野球に少しでも興味のある方は是非ご一読をお薦めしたい本である。

たとえば、次のような話。

「引退するのが3年早すぎた。900本を超えるのが目標だったのに、技術的なミスを40歳という年齢から来た衰えと勘違いしてしまった。自分の人生を書き換えたいくらいです。」にはちょっとショック。

ほかにも、「打者は10本に3本打てばいいと思うようでは駄目なんです。毎回、毎回、目をつり上げて打つ。打てなければ、なぜ打てなかったのかと考えるようでないと、10本に3本は打てない」

「当時(全盛時)の僕は真っすぐで打ち取られるのが嫌だった。変化球で三振したり凡打になったりするのは何とも思わないのに、直球で打ち取られると悔しくて恥ずかしくてね、それこそ穴に入りたくなるんです。江夏さんには真っすぐで空振りさせられてしまう。僕らの間で江夏投手の評価が高かったのはそういうところにあるんです。力負けするというのは、打者として一番嫌なのです。調子がいい時には特にね。」というバッター心理も面白い。

最後に、オーディオに”こじつけた”話をひとつ。

王といえば長嶋だが、両者の打撃術は正反対である。

王さん曰く「長嶋さんは天性の対応力がありましたね。どんなに体勢が崩れていても、球をバットの芯でとらえることができる。これは打者であれば誰もが欲しがる才能です。百年に一人の天才でした。その一方で、とんでもなく甘い球を空振りしたりして相手投手からすれば攻めにくい打者だったでしょうね。

僕はといえば相手の失投を見逃さずに打つタイプの打者です。捕手が”あっ!”と言った球は必ず打ってみせると考えていた。したがってストライクゾーンの4つの隅に来た球は打たなくていいという説です。その代り、真中に来る球は逃がしてはいけない、空振りしたり、ファウルにしたりするのは駄目です。それが僕のバッティング哲学かな。バッティングは単純に考えないとね」

王さんが述べるストライクゾーンの真中に来る「まともな球」と、4つの隅に来る「変則的な球」とをきちんと振り分ける考え方はなかなか面白い。

たとえば我田引水になるがオーディオもストライクゾーンの球をすべてヒットにしようと思うから難しくなるのではあるまいか。

各自のオーディオ装置にもいろんな癖があってやはり曲目によって向き不向きがある。

たとえばクラシックは明るめの音でスピーカーの後方に広がるのが理想だし、ジャズは暗めの音で前に出てくるのが理想とされている。両方うまく鳴らそうなんてどだい無理な話。

さらにオーディオマニアは様々な試聴盤(CD)を聴いて一喜一憂しながら再生状況をつぶさに判断しているが、ご承知のとおりその試聴盤の演奏の録音状態がレーベルごとに違うしそれぞれ臨場感とかに優劣の差がある。

クラシックを主体に考えると、さしずめ1980年代以降のデジタル録音されたCD盤がストライクゾーンの真中あたりに来る球とすると、4つの隅に来る難しい球というのは1970年代以前のSPやレコードから焼き直したCD盤だと言えよう。先ず周波数レンジが狭い。

したがって、これらの再生が”たまたま”うまくいかないからといって悲観してオーディオ装置をあれこれ”いじり回す”のは見当違いの源かもしれないと、王さんのコメントを読んで思った次第。

どうやら「長嶋型」よりも「王型」で行く方が効率的のような気がしてくる。

とはいえ、クラシックの場合、指揮者や演奏家の高い芸術性を求めるとなると、正直言って近年のものはちょっと物足りない。どうしてもフルトヴェングラーなどが活躍した1950年代を中心とした黄金期に求めざるを得ず、簡単に「変則球」を切り捨てるわけにもいかない。

そういう演奏はレコードで聴くという奥の手もあるが、最新のデジタル録音による演奏に限ってはCD機器に頼らざるを得ないのが現実。

「芸術性とテクノロジー」が両立していれば本当に言うことなしだが、そういうのは滅多にない。果たして、どちらを優先させようか、結局簡単に結論は出せそうにない問題である。

 

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