先日、カミさんに付き合わされて買い出しに行ったときに車の中で次のような会話をした。
「おい、別府には大きな旅館やホテルが沢山あって全国からの観光客も多いが、中にはオーディオマニアも結構いると思うんだ。そこで経営主と契約してそういう連中を我が家に引っ張り込むってのはどうかな。もちろん有料だぞ!」
何だか自分の趣味を副業にしようという”さもしい根性”が透けて見えるようだが、お客さんの喜ぶ顔を見たいという気持ちも一部にはある。若い頃に「クラシック音楽喫茶」をやりたかった夢の名残(店名まで「アマデウス」と決めていた!)が時折ひょいと顔を出す。
すると、カミさん曰く「ダーメ、ダメ。この世の中にオーディオマニアがどれだけ居ると思ってるんですか。ほんの微々たるもんですよ。それに、マニアの方は自分の音が一番いいと思っている人ばかりです。我が家に聴きにくるお客さんだって、失礼になるから”あからさまに”欠点を指摘しないだけです。自分の音が人よりも”いい”なんて思うのは幻想に過ぎないと思います」とピシャリ。
「う~ん、なるほど、そんな考え方もあるのか」
さすがに”生き馬の目を抜く”保険業界で30年以上も鍛えられてきただけあって、物事を客観的に見る目と人間観察はなかなかのものがあると、ちょっぴり感心した。
オーディオマニアが「よそ様のお宅」で音を聴かせてもらうというのは、まあ”そういうこと”に近いような気もするところ。
五味康祐さんの著書「西方の音」にも似たような記述があって「自分の奥さんとひそかに比べているようなもので、結局、最後は自分を納得させて安心して帰って行くのだ」という。
ところがである。そういう通念をぶち破るような衝撃的な体験をつい、この間してしまった。
このブログにもオーディオ仲間として「湯布院のAさん」という表現でたびたび登場している方だが、実名でも構わないということなのであえて挙げさせてもらうと「秋永祥治」さんのお宅での体験である。
秋永さんは音楽とオーディオの趣味以外にも以前からずっと古代史の研究をされており、11月の初旬から「息長氏は秋永氏である」とのタイトルで研究成果をブログに搭載されている。
こと、ブログに関しては当方が先輩でありプロバイダーが同じ「gooブログ」ということもあって細かな打ち合わせに行った時のことだった。
とにかくオーディオでは有名な方で、数年前にオーディオ専門誌「無線と実験」(月刊)の巻頭で「リスニングルームの特集」が組まれたことがあるし、全国津々浦々、様々なマニアの音響を実際に試聴されて多くの場数を踏まれ、それに応じてオーディオ機器も充実した3系統のシステムを活用されている。
1階のメインの部屋にウェスタンの「555+15Aホーン」を中心としたシステムが置いてあり、二階にはヴァイタボックスの「クリプッシュホーン」と「JBLの3ウェイ」の二系統のシステムが置いてある。
はじめにウェスタンのシステムを聴かせてもらったが、我が家とはまったく次元の異なる音に心底から衝撃を受けた。
試聴盤が「ダークダックス」のコーラスだったが、野太いスケール感豊かな声のもとに一人一人の声が実に明瞭に聴こえ、細かい音も実によく拾っている。
こういう高い次元の音を聴かされると、もう、どんな音だって五十歩百歩のような気がしてくる。
「とてもこんな音は我が家では出せません」とあっさり兜を脱いだところ、「この前、宮崎県から試聴に来たマニアの方も同じことを言ってました」と秋永さん。
個人的な意見だが、つくづくオーディオは500ヘルツ以下の中低音域が勝負だと思った。中高音域はどんな装置でも”そこそこ”出せるが、中低音域の重量感と分解能を両立させるのは至難の業である。
秋永さんが、ただ中高域が澄んだだけのスッキリした音を「箱庭のようなきれいごとの世界」と言われて全然評価されないのもこれでよく分かる。
とはいえ、人それぞれで好き好きの世界なのだが。
とにかくシステムはそのままなのに、以前聴いたときの”ちょっと気になる点”もすっかり改善されている印象を受けたので「どこをどう変えたんですか?」と率直に訊いてみた。
「気心の知れた○○さん(自分のこと)だから明かしますが」、と前置きされてネットワーク関連の工夫を2点挙げられた。
「たったそれだけのことですか」と二度びっくり。
オーディオは本当に「ノウハウのかたまり」だと改めて思い知らされたが、やっぱり土台となるシステムの方もちゃんとしておかないとねえ~。
帰途、これから我が家の音を聴くたびにどう自分を慰めようかとつらつら考えたことだった。
「知らぬうちが花」という言葉があるが、こういう身近な「凄い音」に鍛えられるなんて、果たして自分は運がいいのか、それとも運が悪いんだろうか。