クラシック音楽において楽器の双璧といえば・・、諸説あろうが「ヴァイオリン」と「ピアノ」に指を屈するのではあるまいか。
で、どちらが好きかと問われたら・・、自分なら即座に「ヴァイオリン」と答える。
耽美的で憂愁っぽくて現実から遊離させてくれるからだが、その一方「ピアノ」となると、何だか意識を覚醒させるようなところがあり、つい音楽に分析的に向き合いがちでどうも興に乗れないところがある・・。
したがって、ピアニストにはヴァイオリニストほどには関心がないが、「ショパン・コンクール」の優勝者となると話が違ってくる。
5年に一度しか開催されないという希少性もあって、ピアニストとしては生涯付いて回る最高の「栄誉」みたいなもので、歴代の優勝者はすべてその後も華々しく活躍しているのをみても頷ける。
で、およそ20年前の「2005年コンクール」で優勝したのが「ラファウ・ブレハッチ」だった。
当時、最年少の20歳、しかもポーランド出身でコンクールの元祖「ショパン」に風貌が似ているとのことでたいへんな話題になったことを憶えている。
で、ずっと以前のことだがブログの記事にもしたことがある。
ところが、その記事が昨日「過去記事ランキング」に突然登場していたんですよねえ・・。
ハハ~ン、どうせ近々日本で「コンサート」でもやるんで、どういう演奏家かとググってみてどうやら吾輩のブログに辿り着いたらしい。
ビンゴ!
ググってみると、来たる2月17日(所沢市民文化センター)でコンサートが開かれる予定とあった。どうやら「ショパン・コンクール優勝者」のお墨付きって時限がないようですね(笑)。
それでは、「ラファウ・ブレハッチとはいったい何者なのか」、過去のブログを要約して送り届けよう。もちろん「独断と偏見」に満ちているので、真に受けるか受けないかはあなたの自由ですから念のため。
「新版クラシックCDの名盤」で、3名の著者たちがそろって絶賛していたピアニスト「ラファウ・ブレハッチ」〔339頁~)。
ショパンと同郷のポーランド出身で2005年開催のショパン・コンクール優勝者である(当時は20歳)。
しかし、現時点でまだ25歳前後と若くやや経験不足が心配なところだが、かのヨーゼフ・シゲティによると「演奏のテクニックは25歳がピーク。それ以上にうまくなることはない」との談もあり”まあ、いいか”と自分を半分納得させてHMVへ注文。
2週間ほど経過してやっと自宅に到着した。
左から「24の前奏曲集」(ショパン)、「ピアノソナタ」(モーツァルト)、「ピアノ協奏曲1番&2番」
まず「コルトー以来の名演」(中野 雄氏)と称される「24の前奏曲集」を聴いてみた。「ピアノの詩人」ショパンにはいろんな作品群があるが、ショパン通にとって代表作といえばまず「24の前奏曲集」に指を屈するという人が多いのではあるまいか。
自分には演奏の良し悪しやテクニックを云々する資格はないが聴いてみたところ「ええかっこしい」の音楽家でないことが感じられて救われる思いがした。自分をことさらに大きく見せようとはせず、純粋に音楽に溶け込んでいる印象で、録音の良さは申し分なし。
個別では判断の下しようがないので手持ちの「コルトー」と「アシュケナージ」の演奏と比較してみた。
思わず居住まいを正し、聴けば聴くほど味わい深くなるコルトー、安定感に満ちたアシュケナージの印象からするとブレハッチの特徴は一言でいえば演奏慣れしていない「初々しさ、瑞々しさ」のように思えた。なかなか好印象!
次に、2枚目のCDにはハイドン、ベートーヴェンそしてモーツァルトと古典派3人のピアノ・ソナタが網羅されていて、モーツァルトでは「K.311」〔9番)が収録されている。
ショパンはなかなか行けると思ったけど、はたしてモーツァルトはどうかな?
自分は帰し方40年ほど耳にたこができるほどモーツァルトの一連のピアノ・ソナタを聴き込んできたが、こう言っては何だがこの一連のピアノ・ソナタほどピアニストのセンスと力量が如実に反映される音楽はないと思っている。
たとえば久元裕子さん(ピアニスト)は著書「モーツァルトはどう弾いたか」の中でこう述べている。
「モーツァルトの音楽は素晴らしいが弾くことはとても恐ろしい。リストやラフマニノフの超難曲で鮮やかなテクニックを披露できるピアニストがモーツァルトの小品一つを弾いたばかりに馬脚をあらわし「なんだ、下手だったのか」となることがときどきある。
粗さ、無骨さ、不自然さ、バランスの悪さ、そのような欠点が少しでも出れば音楽全体が台無しになってしまう恐ろしい音楽である」。
以上のとおりだが、実に意地の悪そうな前置きはこのくらいにして(笑)、ブレハッチのモーツァルト演奏について述べてみよう。
一楽章の冒頭から指がよく動き、果てしない美音のもとに流れも軽快で ”いいことづくめ” 何ら違和感なく聴けて「大したものだなあ~」と演奏中は感嘆しきり。
だが、”しかし”である。
終わってみると、「はて、この演奏から何が残ったんだろうか」という印象を受けてしまう。つまり、後に尾を引くものがない、名演にとって不可欠な「香り立ってくるような余韻」がないのだ。
どうも、つかみどころがない演奏で単なる”きれいごと”に終わっている気がしてしかたがない、もしかすると自分の体調が悪いのかもしれないと日を改めて再び挑戦。しかし、やはり同じ印象は拭えない。
改めて、いつも聴きなれたグレン・グールドのK・311を聴いてみた。
まったく何という違い!音符を一つ一つバラバラに分解し、改めて自分なりに精緻極まりなく組み立てて、見事に自分の音楽にしてしまうグールド・・。圧倒的な、有無を言わせない説得力に無条件に降参した。
因みに演奏時間の違いが面白い。ブレハッチの16分59秒に比べてグールドは12分25秒。こんなに違うと、まるで異なる音楽になるのは必然で、めまぐるしく早いテンポのグールドと比較すると”まどろっこしさ”を覚えるのも無理はない。
個性的なグールドと比較するのは可哀そうだと思い今度はクラウディオ・アラウの演奏を。これは演奏時間が20分55秒と一番長い。
じっくり聴いてみたがやっぱりいいねえ!一音一音が見事に磨き抜かれてコクがありロマンチックで素敵な演奏の一言に尽きる。こうなるとブレハッチとの差はいかんともしがたい。
ショパンはともかくモーツァルトの音楽では簡単に騙されないぞ!(笑)
キーシンほどの大ピアニストがいまだにモーツァルトのピアノソナタ全集の録音をためらっているが、ブレハッチにはまだモーツァルトのピアノ・ソナタを弾くにはちょっと早すぎるようだ。
しかし、せっかく前途有望な若手が出現したのに否定的な迷言(?)を繰り返すとは何ともへそ曲がりの嫌味なリスナーが世の中にはいるもんですねえ~(笑)。
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