「10分しか読まない」の意味
2018年10月15日
秋の新聞週間に合わせて、新聞に対する国民の意識調査(世論調査)を各紙が実施しています。新聞がメディアの主軸であった時代はともかく、情報社会が多様化したにもかかわらず「新聞の役割は何ですか」、「新聞は信頼できますか」などと、読者に尋ねるというのは、奇妙な慣行です。
たとえば、自動車メーカーが「車の役割は何ですか」、「車は信頼できますか」と、ユーザーに聞くようなことはしません。役割がなくなれば売れなくなる、信頼できなくなれば買われなくなるというだけのことです。メーカー自身が売れない理由を考え、社会的なニーズにあった製品を造るのです。売れ行き、得られる利益から、その製品が社会から評価されているかどうかを判断するのです。
それに対して、新聞業界は「新聞はあなたが必要としている情報を提供していると思いますか」、「新聞は事実を正確に伝えていると思いますか」(読売新聞、14日)などについて世論調査をしています。そして「新聞が事実を公平に伝えている68%」、「新聞報道は信頼できる76%」との結果がでてくると、業界関係者は安心するのです。
自分に対する評価を聞き、それ自分の紙面で紹介するという慣行から、いつまで経っても、抜け出せないところに新聞の焦りがあるのでしょう。「公平」「信頼」などで高い点数をもらっても、新聞をとる人が減っているところに本当の危機があります。
信頼度と普及率の乖離が進む
新聞経営者からすると、「ニュースを知る上で、どのメディアを信頼していますか」は64%で、ソーシャルメディアやポータルサイト(ツイッター、グーグル、フェースブック、ヤフーなど)を圧倒しています。それにもかかわらず、信頼性の高低と普及率・利用率の高低はますます無関係になり、新聞は苦戦を強いられています。
新聞週間の恒例の調査で、以前から気になっていたのは、新聞をとっていても、購読時間がいかにも短く、その分析がないということです。読売新聞調査では「1日平均でどのくらいの時間、読みますか」の問いに、「10分が18%」、「20分が16%」、「30分が22%」で「1時間」、「2時間」となると、1けたに落ちます。
10分、20分では、恐らくラジオ・テレビ欄、天気予報、目立つ大きな見出しをざっと眺めるくらいでしょう。「読んでいる」とは言えない短さです。その上、「全く読まない」は23%ですから、50%以上の人が実質的に新聞を読んでいないに等しい。では、どんな情報産業に脱皮するかこそ重要なのです。
インターネットの利用時間調査が行われています。「1時間が23%」(新聞は9%)、「2時間が18%」(同1%)と、やはり新聞を圧倒しています。新聞を購読しない若い世代を対象すると、この数字は倍近くに跳ね上がるでしょう。新聞を読む時間が「10分」「20分」「全く読まない」というデータを新聞の紙面に載せること自体が自己否定を宣伝することに気がつかないのでしょうか。
参考になる項目はあります。「新聞に期待していることは何ですか」に対し、「権力を監視する29%」、「世の中の不正を追及する34%」です。権力の監視や不正追及はずっと新聞メディアの中核的な役割でした。それよりも「情報を正確に伝える73%」、「分かりやすく伝える62%」への期待値が高い。
権力監視どころか親権力と反権力
「権力を監視する」といいつつ、新聞は政権寄りと反政権で対立しています。読者は新聞に「権力の監視」を求めるのはもう無理だから、「正確な情報伝達」、「分かりやすく伝達」を優先してくれればよいに変わってしまった。「新聞社の主張を提示する」への期待はわずか8%にすぎません。
「権力の監視」ついていえば、政権首脳の巨悪を暴き、政権を打倒したのは、相当な昔です。最近、目立つのは森友学園、加計学園、官僚による文書改ざんなどで、まあ小悪でしょう。今年の新聞協会賞は朝日新聞がこれらの問題で受賞しました。
ついでに言えば、自動車業界では、自動車メーカー自身が投票で年間最優秀車を決めるなどということはしていません。電機業界にも、そんなものはありません。お互いが熾烈な競争をするライバルだからです。同業他社が集まって、業界の最優秀作品を決めるなんという慣行をいまだに引きずっているのは新聞業界くらいでしょうか。
新聞週間の華である新聞協会賞の表彰式などという過去の遺物を引きづっていることが、新聞業界の同業者体質の象徴です。どの新聞社をみても、同じような紙面構成、同じような取材体制、同じような販売体制をとっています。最も虚偽が多い政界取材を最高位に位置付けて、取材合戦明け暮に明け暮れ、「真実の報道を目指す」でもあるまいと思います。
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