コロナもあぶりだす日本の弱点
2021年7月29日
東京五輪がこれほど多くの日本問題をあぶりだすとは、想像を超えました。8月8日までの会期末まで、まだ半分に満たず、8月24日からのパラリンピック(13日間)を含めると、まだまだ問題が浮上してくるに違いない。
新聞、雑誌、テレビのワイドショー、ツイッター、ネット論壇などが五輪ネタで埋め尽くされています。新型コロナ対策と不可分でもある五輪は、日本のガバナンス(統治と意思決定)を含め、論点が拡散しています。
五輪が閉幕したら、東京五輪の総合的な検証が必要です。些末な問題がいかにも重大問題のよう論じられています。利害関係者であるIOC、JOC、組織委員会、政府は関与せず、論点を整理し、第三者組織で取り組みたい。
一例をあげれば、「あれほど五輪開催に反対していた連中が、アスリートの活躍や金メダル・ラッシュに熱狂するのはおかしい」という五輪推進派の批判です。立憲民主党の蓮舫議員がやり玉に挙がっています。
些末な話です。蓮舫議員は話題を呼ぶことを過激に作り出しては、注目度を高める手口を常習しています。直前まで五輪反対の急先鋒でありながら、金メダルを取ったアスリートを祝福するツイッターを流す。それを批判すれば、蓮舫議員の思うツボです。黙殺すればよい。
似たような例は、天皇の開会宣言の際、菅首相と小池都知事がすぐに立ち上がらず、天皇に対する不敬に当たるとかの話です。当人たちには、そんな気持ちはなく、バッハIOC会長の挨拶が長すぎて、開会式の進行役が起立を促すタイミングを失したというのが真相らしい。
それを鳩山元首相が「天皇を尊崇する気持ちがさらさらないことが明らかになった」とツイッターに流し、妄言を吐いた。そう批判する人がおりました。鳩山氏はピント外れの発言で国を振り回し続けた人物で、相手にする識者のほうもおかしい。これも黙殺することです。
五輪競技の連日の熱闘に接していると、五輪反対派の人たちも手に汗握る。それは「節度なき転向」と揶揄する。揶揄以前に知ることがある。
躍動する肉体、盛り上がった筋肉美、競技で闘うことの厳しさとひたむきさ、国家や民族を背負うほど高まる闘志には見ほれます。公開のルールを守り、結果は数値化され、一点の曇りもはさめない。疑義があればビデオ判定で結論を出し、皆が従う。それが競技場の姿です。
五輪競技の舞台を用意するIOC、JOC、組織員会、政府もこうであってほしい。かれらやっていることは、判断基準は曖昧で「安全で安心な五輪」を繰り返す。何人かの要職者やディレクターらが解任され、辞任しても、「組織委は個別の人選まで関与していない」との釈明で終わりです。
「節度なき転向」などという前に、競技場内の透明度高さと、女性蔑視や人種差別、どんぶり勘定など、どろどろした裏舞台を比べてほしい。競技場内と競技場外の姿にはっきりした対比を感じます。そこを知るべきです。
閉幕後に検証すべ課題は多い。「予算が何倍にも膨張した東京五輪を誘致したのは正しかったのか」「新型コロナ感染が収束するとの楽観的な見通しに立って、一年延期を決めたのは判断ミスだったに違いない」。
「新型コロナ対策と五輪開催という二兎を追うのは、無理だった」「日本の猛暑が重なる夏開催は避けるべきだった」「中止の是非を決める時期をずるずる先送りし、結局、開催せざるを得ない状況に追い込まれた」。
「観客動員のために設けた4連休は、無観客にしたため、無意味になった。観戦に行けないならと、国民は旅行にでかけ、感染拡大を招くきっかけを作った。コロナ対策は裏目裏目に」。
「菅首相の説明能力、言語能力はどうだったか」「感染拡大しても死者が欧米など諸外国に比べ極めて少ない。首相は少しはそこに言及すればよかった」「陽性者、発症者、死者数の関係など、最大のリスクは何かについて、率直な分析と説明が足りないのではないか」。
五輪と不可分の新型コロナ対策についても、検証すべきテーマはいくらでもあります。安倍長期政権以来、スローガンはいくつも掲げながら、結果を検証せず、目新しいテーマを次々に掲げ、行き詰まりをしのぐ政治が続いてきました。
新型コロナと東京五輪が浮き彫りにした日本問題に正面から向き合うことにより、有意義な教訓を引きだしたい。
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