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靖国参拝で安倍政権は下り坂へ

2013年12月27日 | 政治

 高揚しすぎた精神状態

                  2013年12月29日

 

 安倍首相の靖国神社参拝にはがっかりしました。というより、冷静かつ、したたかな判断力が首相には求められるのに、自信過剰からか、そうとう高ぶった精神状態になっているように見え、今後が心配になってきました。

 

 靖国参拝について、すでにさまざまな論評、解説がなされていますので、ちょっと違った視点からブログを書き始めます。首相が靖国を参拝しているときの映像、写真です。かなり緊張気味の表情、その一方で胸を張り、「どうだ」といわんばかりの堂々としすぎた表情、「自分は信念にも基づき行動しているのだぞ」という自信に満ちすぎた表情、などが見て取れます。これらはわたしの勝手な感想、想像ですから、これ以上、深入りしません。

 

 首相談話、記者団への発言で「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた英霊に対し、哀悼の誠をささげるとともに、御霊安らかなれと冥福を祈りました」というくだりには、だれも、どの国も異存はないでしょう。問題は、靖国神社がそれにふさわしい場所であるかどうかです。ふさわしくないのです。

 

 靖国問題の最大のポイントは、戦争指導者である、東京裁判のA級戦犯14人がひそかに合祀され、それが翌年に判明し、国内的、国際的な大問題に発展していったことにあります。それ以前に、日本の侵略戦争の犠牲になった中国、韓国が首相の靖国参拝を問題視することはありませんでした。A級戦犯が合祀された神社への参拝は「侵略戦争を正当化する行為の象徴」という位置づけになったのです。安倍首相は「靖国参拝が、戦犯を崇拝する行為であるとの、誤解がある。むしろ不戦の誓いを新たにした」と発言しました。そんな一言で、相手国が「わかりましたよ」というほどあまくありません。昭和天皇も合祀以来、靖国参拝を避けました。

 

 メディアの論調で不足しているのは、侵略戦争の犠牲者はアジア諸国に限らず、日本の国民自身も最大の被害者だったということです。侵略戦争の定義、侵略戦争に日本がはまり込んでいった歴史的経緯には、多様な解釈、分析があり、日本だけが一方的に悪いのかについては異論もありましょう。どう議論したところで、戦争指導者の視野の狭い判断力、過度な精神主義から無謀な戦争に、日本を突入させていったことは否定できません。新聞も適切な批判をする努力を怠り、無謀な戦争への道に進むことに加担しました。A級戦犯を頂点とする戦争指導者に日本は苦しめられ、多大な戦争犠牲者をだしたのです。今回の参拝を不快に思った日本人、遺族は多いはずです。

 

 安倍氏は2006年の日中首脳会談で「靖国参拝はA級戦犯を賛美するものではない」と発言しています。今回の参拝では、A級戦犯に関する言及はありません。「A級戦犯のような戦争指導者を今後、出さず、日本は平和の道を歩む」とでも語れば、日本は戦争を本当に反省しているとのメッセージになったでしょう。安倍首相にはそういう気持ちは恐らくなく、気持ちがあっても、そういう発言をしたら、国内が収拾つかなくなったかもしれません。だからこそ、参拝に行くべきではなかったのです。

 

 A級戦犯を分祀する案、国立の追悼施設を別に造る案はあり、これまでにも検討されてきました。正しい選択だと思います。「分祀は教学上、できない」と神社側はいっています。神社が勝手にそう考えればいいだけの話でしょう。合祀によって存在価値を最高レベルに高めたと思っているのですから、分祀は実際には無理でしょう。そうなると、天皇も首相も、来日した外国首脳も参拝できる施設の建立を、千鳥が淵戦没者墓苑の拡充含めて本気で考えるべきでしょう。安倍首相自身にはそういう考えがないのかもしれませんがね。

 

 新聞論調はどうだったでしょうか。朝日新聞の社説の見出しは「独りよがりの不毛な参拝」でした。「不毛」ではなく、「間違った参拝」でしょう。毎日新聞は「外交孤立化招く誤った道」でした。「孤立化」するからいけないのではなく、そもそも靖国参拝は根底から間違っているのです。

 

 産経新聞はどうでしょう。「多くの国民がこの日を待ち望んでいた」と書いています。そんなことはないでしょう。「哀悼の意を捧げることは、国家指導者としての責務である。率直に評価したい」もいけません。この新聞は特定の読者層を相手にした新聞で、かれらが歓迎しそうな論調を掲げるのを編集方針にしていますから、参考になりません。

 

 読売新聞は「外交建て直しに全力を。国立追悼施設を検討せよ」です。順序が逆でしょう。「追悼施設の建立」のほうが先です。「首相が戦没者をどう追悼するかについて、他国からとやかくいわれる筋合いはない」はどうでしょうか。とやかく言われるようにしてしまったのは、まず日本側に発端があります。

 

 戦後まもなくなら、遺族会の力が大きく、靖国問題は選挙対策上も無視できなかったし、右翼思想も強く、靖国神社の扱いは国内政治上、難しい扱いが必要でした。今はどうでしょうか。安倍首相の意識転換が遅れているのでしょう。

 

 安倍首相は就任一年を迎え、この間、放置されてきた難題をいくつか片付け、意気高揚しています。その勢いにのって、周囲の反対に耳を貸さず、米国の懸念も無視して突っ走ったのでしょう。首相が自己満足する一方で、解決の難しい問題を確実にひとつ増やしました。自民党が圧勝したのは、安倍首相個人の思想信条、力量に対する期待ではなく、民主党政権に対する失望、政権交代に対する失望からでしょう。その点の勘違いを続けると、安倍政権は下り坂を迎えることになります。

 



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