新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ

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即位祝典のハイライトは雅子妃の涙

2019年11月12日 | メディア論

 

朝日の破格の扱いのなぜ

2019年11月12日

 天皇陛下の即位を祝う祭典、パレードは秋晴れの中、無事に終わりました。2日にわたる式典のテレビ中継をみていて、ハイライトは「雅子妃殿下の涙」だと思いました。終始、満面に笑みを浮かべ、何度も涙ぐみました。精神的な心の病(適応障害)がもうウソのようでした。


 長い間、適応障害で苦しみ、そのような状態で皇后としての務めを果たせるのかと、懸念する声があちこちから聞かれました。そうした心配を吹き消すように、極度の精神的緊張が強いられる一連の行事をこなされ、その仕上げである祭典、パレードでは、晴れやかな表情でした。


 「病をかなり克服されたのだろう」「国内外にわたる公務に支障はでないだろう」と、多くの国民は感じたと思います。ご自身の精神的状況、周囲から聞こえてくる雑音に耐え、式典をこなし、何万人にも上る観覧客の祝福を受けました。耐えに耐え、たどりついた末の「妃殿下の涙」でしょうか。


産経、読売は抑制的な扱い


 「妃殿下の涙」を新聞などはどう伝えたかに、私は関心があります。産経、読売新聞あたりが強調して報道するのかなと予想していましたら、結果は逆で、最も熱心だったのが朝日、ついで毎日新聞でした。報道ぶりの意外な対比です。


 朝日の紙面には何度も、「妃殿下の涙」が登場します。祝賀式典(前夜祭)を伝える10日(日)の朝刊1面記事に「3部構成の組曲が披露され、雅子さまが涙ぐむ場面あった」、添えられた大きな写真の説明文には「式典で目元をぬぐう皇后さま」とありました。社会面の雑感記事では、「お祝いの歌に両陛下は笑顔で聞き入り、雅子さまは涙ぐみ、感激した様子」です。

 
 続く11日(月)夕刊は「パレードは沿道に11万人。お二人は笑顔で手を振り、雅子さまが涙をぬぐう場面あった」、社会面は「皇后さまは、歓声にこたえるなか、涙目になるなど感激した様子」、写真説明は「目頭をおさえる皇后さま」です。12日(火)朝刊の写真特集でまた「目頭をおさえる・・」。


 毎日も熱心です。11日夕刊1面の見出しは「雅子さま/目に涙」、本文に「涙ぐむ場面・・」、写真特集の説明文に「涙を浮かべ目元を抑える」です。12日朝刊にも「皇后さまが涙をぬぐう」、写真特集では「車の中で目元をおさえられる」。


 これに対し、最もあっさりしていたのが読売です。10日朝刊には、涙をぬぐう写真が載っているのに、説明文は「涙」に言及していません。あちこち点検しますと、社会面でやっと1か所、「涙を何度もぬぐわれた」と、あります。


涙を見せなかった美智子妃


 ハイライトの「涙」にあまりにも素気ないと、気がついたのか、12日朝刊になって、社会面で「涙の皇后さま」と見出しにとり、「目を赤くして涙を浮かべ、時折、手で涙をぬぐわれた」と。さらに識者のコメントで「沿道にきた大勢の人達に励まされたという思いが涙に」「涙を見せられる今の皇后さまの姿は新しい皇室像として、国民の共感を呼ぼう」と。


 編集のセンスの有無のせいなのか、何か意図があって「涙」に言及するのをおさえたのか分かりません。皇室報道に熱心なはずの産経も、10日朝刊の社会面で「目に涙を浮かべ・・・」とあっさり。


「美智子妃は自らが、国民の前で涙を見せることがなかった」という識者のコメントをどこかで見かけました。意図的に「涙」に触れたくない新聞があったとすれば、そうした意識だったのでしょうか。


 一方、朝日の意識はなんだったのか。天皇即位の儀のお言葉に「日本国憲法の定めるところにより・・」「平和を常に願い、憲法にのっとり、日本象の象徴としての・・」と、短い文章の中に憲法という表現が2度も登場します。護憲派の朝日が気に入り、新しい天皇、皇后を盛り立てようとしたのだろうか。私にはよく分かりません





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