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権威主義という政治用語は誤解を生む

2022年01月31日 | メディア論

 

「強権的な政治国家」と呼ぼう

2022年1月31日

 新聞、テレビ、書物によく登場する権威主義という政治用語が気になって仕方がありません。「中国、ロシアなどの権威主義の国」というのは止めて、「強権的な政治国家」と呼ぶようにすべきです。

 

 政治学では権威主義をある程度、定義していますから、使うのをやめるわけにはいかないでしょう。せめてメディアが使うときは「権力主義政治」か「強権的政治」という表現に一本化したらよい。

 

 権威主義は「authoritarianism」の直訳です。権威を意味する「authority」からきています。日本語の「権威」には、肯定的なニュアンスが強い。「権威主義の国家」と呼ぶと、「いいんじゃない」というイメージをつい持ってしまう。メディアは直訳でなく「超訳」でやるのが正解です。

 

 「権威ある賞」「心臓外科の権威」「学会の権威」など、日本語の権威は、肯定的な意味で使われます。「すぐれた人物、事物」、「社会に承認された信用」、「強制でなく自発的に生まれた権威」です。

 

 それが権威主義、例えば「中ロのような権威主義の国」となると、一転して、「権威」は否定的なニュアンスを伴う。それなのに、日本語が持つ「権威」の肯定的な印象がどうしても付きまとってしまう。「権威主義」は「権威」と正反対の語感を持っていからです。

 

 「中国は香港の民主主義を抑え込み、権威主義的な統治を強めている」とか、「世界はどこへ向かおうとしているのか。権威主義が強まり、民主主義は衰退している」などは、権威主義を批判的な意味で使っています。

 

 バイデン米大統領は昨年12月、オンラインで「民主主義国サミット」と開きました。「中ロを初めとする強権的な統治の権威主義が世界で勢いを増している」、「民主主義の理念を再確認して、権威主義との対決姿勢を示した」と報道されています。

 

 メディアが「権威主義」という表現を使う時は、誤解を与えないように「専制的な権威主義」とか、「独裁的な政治体制」とかの説明を自らつける場合もあります。政治学では「独裁政治であっても、全体主義とまではいかない政治、思想」とかの解釈をしていますか。

 

 スエーデンの研究機関(IDEA)の報告ですと、「人口比では、世界の7割が非民主的か、民主主義が後退している国で、民主主義国は少数派になった」そうです。世界を「民主主義国、権威主義的政権、その中間の国に3分類していますから、つい「権威主義国家」という表現が使われるのでしょう。

 

 政治用語のニュアンスを正確につかむことはなかなか難しい。全く同じ漢字でも「日本語と中国語で意味が異なることがある」という記事(読売、1/23日)を読みました。例えば、中国語の「愛人」は日本語の「配偶者」にあたり、意味が正反対になると。

 

 もっやっかいなのは、「民主主義」という政治用語で、日本での意味と中国語での意味が違うと、この記事は書いています。

 

 「日本では、国民が権力を所有し、行使する政治原理の意味」なのに対し、「中国では民主は多様であり、中国には中国式の民主がある。中国は民主と専政の有機的統一を堅持する。民主と専政は矛盾しない。大多数の人を守るためであり、専政の実行は民主の実現のためである」と。

 

 こうなると、「中国は民主国家ではない。G7サミット(民主主義主要国会議)に参加する資格を持たない」と批判しても、対話はすれ違う。

 

 マネー経済主義が膨張し、資産格差が拡大し、民主主義国家の中での階層的な対立が深刻化しています。米国がその典型です。黒人などへの差別が中国から批判されることも少なくありません。こちら側の弱点も熟知して、外交に臨まないと、相手国に攻め込まれます。

 

 

 

 

 

 

 

 


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