今日は朝から雨が降り続き、遠くで雷も轟く天気となりました。大型で強い台風14号は着実に日本列島に近づいていますが、遠く離れた神奈川県にも今から影響が及んでいるようです。
今日はひたすら我が家に籠もって、デスクワークに勤しむことにしました。今日の音楽のお供は
バッハのチェンバロ作品でしたが、その中から今日は《半音階幻想曲とフーガ ニ短調》を取り上げたいと思います。
《半音階幻想曲とフーガ ニ短調》は自筆譜は現存していないため作曲時期は明確ではありませんが、恐らく1717年までのヴァイマル時代か1723年までのケーテン時代に書かれ、1730年前後に改訂が加えられたものと考えられています。一節には1720年に亡くなったバッハの最初の妻マリア・バルバラ・バッハの死に際して書かれた『トンボー(墓)』てあるという解釈もありますが、それを裏付けるような確かな根拠はありません。
バッハはメンデルスゾーンが再評価するまでは、旧時代の作曲家として一部の識者以外からは忘れ去られていた存在でした。しかしこの曲はバッハの死後も影響力を保つ数少ない作品として人気を博し、18世紀中にはウィーンやフランス、イタリアなどヨーロッパ各地で知られていた作品でした。
その人気は19世紀に入っても続いていて、ベートーヴェンが1810年に楽譜の筆写を行っているほか、メンデルスゾーンやリスト、ブラームスなどが演奏した記録が残っています。また、1819年にはバッハの息子ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの指示を記したと称する版が出版されたをはじめ、ピアノ教則本でお馴染みのカール・チェルニーやブラームスの友人で指揮者のハンス・フォン・ビューローなど、多くの音楽家や研究者が校訂版を発表しました。
この作品の全体は幻想曲とフーガの2つの場面からなっています。ただ半音階的音形なのは後半のフーガの方なので、《幻想曲と半音階的フーガ》といった方が正確かも知れません。
前半の『幻想曲』は、ソナタやロンドといった形式に縛られない自由に書かれた曲に付けられるタイトルで、バッハはクラヴィーアやオルガンのために度々この幻想曲を書いています。この幻想曲は
冒頭からうねるように縦横無尽に駆け巡るパッセージが印象的な曲です。
この一連のうねりが終わると『レチタティーヴォ』と呼ばれるオペラや受難曲での語りの部分が登場します。
静かな雰囲気の中にも厳かさを感じさせるこのレチタティーヴォは『父なる神とキリストとの対話』とも表現されることがあり、闊達な幻想曲と次に展開するフーガとをつなぐ意味合い以上の存在感を放っています。
続くフーガは
ラの音から半音階的に紡がれる主題が印象的です。♭一つのニ短調の曲ですが、随所に♯が出てくることによって一瞬長調のような響きも感じられるので、聴いていると厳格な中にもちょっとした浮遊感のような不思議な印象を受けます。
ところで、フーガ冒頭部に着目していただきたいと思います。最初の4つの音を見てみると
『ラ→シ♭→シ♮→ド』
となっていますが、これをドイツ音名で言うと、
『A→B→H→C』
となります。そして、ちょっと無理やり感はありますが、これらを並べ替えてみると…
『B・A・C・H』
なんとバッハのドイツ語表記である『BACH』が隠れているのです。
『BACH主題』については《フーガの技法》の未完成フーガのところでも取り上げましたが、こうしたところにバッハの自身の名前に対しての愛着や、まるで言葉遊びをしているかのようなチャーミングさをも感じることができるのです。厳格さの中にこんな仕掛けが内包されていることも、この曲が今日でもなお愛され続けている理由の一つなのかも知れません。
そんなわけで、今日はバッハの《半音階的幻想曲とフーガ ニ短調》をお聴きいただきたいと思います。楽譜動画と共に、長く人々に愛されてきたバッハの音楽世界をお楽しみください。