昨日ほどではないにせよ、今日も鉛色の雲が垂れこめて時折雨の降るぐずついたお天気となりました。梅雨らしいと言えばそうなのですが、やはりこう気圧が低いと身体に堪えます。
ところで、今日7月4日はアメリカの作曲家フォスターの誕生日なのだそうです。
スティーブン・コリンズ・フォスター(1826〜1864)は19世紀半ばのアメリカを代表する作曲家で、20年間に約200曲を作曲しました。多くはメロディの親しみやすい黒人霊歌や農園歌、恋の歌や郷愁歌を基にしたもので、《大きな古時計》の作曲者ヘンリー・クレイ・ワーク(1832〜1884)と並んで『アメリカ音楽の父』とも称されています。
フォスターはペンシルベニア州ピッツバーグの隣町ローレンスビルで、アイルランド移民の比較的裕福な家庭に10人兄弟の末っ子として育ちました。父のウィリアムはヴァイオリンを演奏するほどの音楽趣味を持ち、母のエリーザ・トムリンスンも詩情豊かな教養に富む女性だったといいます。
フォスター自身も幼児期より並ならぬ音楽的才能を見せ、7歳からは横笛を、9歳からはギターを独学で習得し、後にはクラリネットの演奏技術も修めました。また作曲に興味を持ったフォスターはモーツァルト、ベートーヴェン、ウェーバーらの作品を寝る間も惜しんで研究していたといいます。
アカデミックな音楽教育はほとんど受けなかったにもかかわらず、フォスターは二十歳になるまでに既にいくつかの歌曲を出版していました。彼の作品には、
《おおスザンナ》(Oh, Susanna、1848年)
《草競馬》(Camptown Races、1850年)
《スワニー河》(Swanee River)、1851年)
《主人は冷たい土の中に》(Massa's in De Cold Ground、1852年)
《ケンタッキーの我が家》(My Old Kentucky Home、1853年)
《オールド・ブラック・ジョー》(Old Black Joe、1860年)
《夢路より》(Beautiful Dreamer、1862年)
と、有名なものだけでもこれだけあり、そのどれもが名曲として知られ、今日まで歌い継がれています。特に《主人は冷たい土の中に》は歌やリコーダーの教材として小学校の音楽の教科書にも載っているので、御存知の方も多いのではないでしょうか。
数々のヒット曲を世に送り出したフォスターですが、1855年の両親の死や翌年の兄の死がフォスター一家に大きな打撃をあたえ、晩年は貧困に悩まされていたといいます。そして1864年、マンハッタンのノース・アメリカン・ホテルに滞在中に、粉々に割れた洗面台のそばで頭部や頚部から大量に出血した状態で倒れているところを発見され、病院に搬送されたものの不運にも発熱と出血多量で死亡してしまいました(享年37)。
どうやらフォスターは数日前から発熱していたようで、意識朦朧の状態でベッドから起き出したものの洗面所に入ったところで平衡感覚を失って転倒して頭部を洗面台にぶつけて割ってしまい、その破片で頚動脈を切断してしまったことが致命傷になったものと推測されています。この時のフォスターの所持品はわずか38セントの小銭と、「親愛なる友だちとやさしき心よ」(dear friends and gentle hearts)と走り書きされた紙片だけだったといいます。
そんなわけで、今日はフォスター作品の中で私がとりわけ好きな《金髪のジェニー(Jeannie With the Light Brown Hair、1854年)》の動画を転載してみました。往年の名メゾソプラノであるマリリン・ホーンによる歌唱で、フォスターの美しいメロディをお楽しみください。