今日は日中夏日となりました。なので今日はどこへも出かけずに、ちょっと溜まっていたデスクワークに勤しんでいました。
ところで、今日5月4日はクリストフォリの誕生日です。
バルトロメオ・クリストフォリ(1655〜1731)は1700年頃にフィレンツェのメディチ宮廷に仕えていた楽器製作者で、ピアノの始祖となるフォルテピアノを考案した人物です。
上の写真はニューヨークメトロポリタン美術館に収蔵されている、現存するクリストフォリの3台のフォルテピアノのうちのひとつです。1720年にクリストフォリの工房で制作されたもので、現在でも演奏することが可能とのことです。
バロック時代、室内鍵盤楽器といえばチェンバロとクラヴィコードが双璧でした。
チェンバロはバロック音楽を代表する鍵盤楽器として、音色も含めてご存知かと思います。発音原理としては、
軸に取りつけられたプレクトラムという爪状のもので弦を下からはじいて音を出します。
チェンバロはしっかりした構造のため、大きな音が出ます。ただ、機械的に弦をはじくだけの奏法のために音量調節ができないため、
鍵盤を二階建てにして、下鍵盤がフォルテ(強い音)、上鍵盤がピアノ(弱い音)と使い分ける必要があり、ピアノのように無段階に音量を調節することはできませんだした。
一方クラヴィコードは
チェンバロよりも小さく音域も狭いものですが、発音原理としては
現在のピアノのように弦を下からタンジェントというパーツで叩いて音を出します。
クラヴィコードはピアノのように鍵盤を押す力加減で音量調節が可能な楽器で、バッハはチェンバロよりも愛奏していたといわれています。ただ残念なことにものすごく音量が小さく、弾いている本人とその近くにいる数人でないと聞こえないくらいしか音量がありません。
そんな一長一短ある鍵盤楽器をどうにかできないか…と思い立ったのがクリストフォリでした。爪で弦を弾いて音を鳴らすチェンバロの音が強弱の変化に乏しいことを不満に思っていたクリストフォリは、
クラヴィコードの金属製のタンジェントよりも大きな革張りのハンマー仕掛けで弦を打って音を鳴らす現在のピアノ・メカニズムの原型を1700年代頃に発明したといわれています。
クリストフォリのフォルテピアノには、
◎暖かく優雅な低音域
◎気迫ある中音域
◎明快で単発的な高音域
から成る3つのはっきり異なる音域があります。開発当初はソロ楽器としてよりも主に伴奏用に作られたフォルテピアノでしたが、クリストフォリの考案した新鍵盤楽器はこれまでにない音色の優れた柔軟性から『グラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ(弱音も強音も奏でられるグラヴィチェンバロ)』と呼ばれました。
聴いていただくと分かりますが、クリストフォリが発明したフォルテピアノは現在のピアノと大きく異なり、どちらかというとまだチェンバロに近い音色をしています。チェンバロよりも複雑な構造は近代のピアノの仕組みを予見させるものですが、クリストフォリのフォルテピアノは鍵盤も短く、音を伸ばすためのサスティーンペダルもまだありません。
クリストフォリがフォルテピアノを発明した後、それをドイツのフライブルクやドレスデンで鍵盤楽器の制作をしていた ゴットフリート・ジルバーマン(1683〜1753)が改良を重ねて、より音域を広げた新しいフォルテピアノを作りました。その時ジルバーマンがアドバイスを求めたのが、
ヨハン・セバスティアン・バッハだったといわれています。
そうして作られたフォルテピアノは、プロイセンのポツダムの宮廷でも使われるようになりました。バッハは1747年にポツダム宮廷を訪れた折にそのピアノで君主フリードリヒ大王から与えられた主題(メロディー)を即興演奏し、後にバッハはその主題を基にしたリチェルカーレやトリオ・ソナタをまとめた《音楽の捧げ物》を大王に捧げました。
ただ、バッハが『クラヴィーア・ダモーレ』ともいわれたフォルテピアノを愛奏したという記録は、残念ながら残されていません。その後ピアノが本格的にチェンバロから鍵盤楽器の主役に取って代わるようになるのは、モーツァルトやベートーヴェンの時代を待たなければなりません。
それでも、クリストフォリの発明があったからこそ、今日我々がピアノを楽しむことができるようになったことに違いはありません。そうした意味で、クリストフォリの功績は偉大です。
そんなわけでクリストフォリの誕生日である今日は、クリストフォリ作のフォルテピアノによるドメニコ・スカルラッティの《ソナタ第9番ニ短調》をお聴きいただきたいと思います。メトロポリタン美術館所蔵の楽器で、現在のグランドピアノの始祖となった鍵盤楽器の古雅で素朴な響きをお楽しみください。