今日は皇紀2683年の紀元祭です。なので、今日は相模國一之宮寒川神社の紀元祭に参列する…つもりだったのですが、しっかりと目覚ましをかけたはずなのに、ふと目覚めて時計を見たら何と儀式が始まる10時を過ぎていました。
ここ最近、小学校勤務でいろいろなことをしていました。学習支援は勿論ですが、子どもたちが登校してくる前の朝の教室の掃除や石油ファンヒーターへの灯油の補充、子どもたちの迎え入れや教室移動、給食の準備や後片付けと、とにかくやることがてんこ盛りで、土曜日になるとその疲れが一気に襲ってきてグッタリと眠りこけてしまうのですが、今日もやってしまいました…。
もう、こうなったら出かけてもどうしょうもないので、今年の紀元祭は諦めました。その代わり、今日書こうとしていたネタが無くなってしまったので、紀元祭に絡んだことを書きこんでみようと思います。
かつて紀元祭の日には、国をあげてお祝いをしていました。高齢者の方の中には、今でもその時に歌った奉祝曲を覚えておいでの方も多くいらっしゃいます。
それは明治生まれだった私の祖父母も例外ではなく、私は子どもの頃にいろいろなことを教わりました。その中で祖父がレコードで聴かせてくれていたのが、《紀元二千六百年》という行進曲でした。
この曲は皇紀2600年にあたる1940年に、海軍音楽隊の斎藤丑松によって作曲されました。中間部に、同じ年に発表された奉祝国民歌《紀元二千六百年》のメロディが使われていることから、このタイトルが付けられたと聞いています。
聴く人が聴いたら「軍歌調だ」とか「軍国主義を彷彿とさせる」とか難癖をつけてくるのでしょうが、単純に音楽として聴けば朗らかないい曲だと思います。第一、そういう難癖をつける手合いはパチンコ屋で流れていた《軍艦マーチ》を聴いても、同じようにいちいち憤っていたのでしょうか┐(´へ`)┌。
今では、おちおち紀元祭を祝うこともできない世の中になってしまいました。つい最近できたばかりの中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国ですら自国の歴史を祝っているというのに、日本はいつまで他所の国から茶々を入れ続けられなければならないのでしょうか。
そんなわけで、皇紀2683年の紀元祭である今日は、行進曲《紀元二千六百年》をお聴きいただきたいと思います。いつの日か、日本が再び自国の歴史を憂いなく祝える日がくることを願うばかりです。