毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
Parler (話す)
先日小泉内閣が発足した。新聞はこの政権を実務型だとかポスト小泉の試金石だとか、様々な論評をしていた。どれも一読すればなるほどと納得することばかりで、最大公約数の意見を集約すべき新聞としては当然の論調であろう。これを面白味がないと思うならば、今の時代、週刊誌を読むなり、ネットで掲示板やらブログを探してみればいくらでも切り口の違う意見を読むことはできるだろう。それを便利になったと言えば言えるだろうが、情報が氾濫しすぎていて、どれが正しいのか間違っているのか判断するのはますます難しくなっているとも言えるだろう。私の妻など、ネットで色んなウラ情報を仕入れては、「小泉は・・・」とか「ブッシュは・・・」としたり顔で教えてくれるのだが、私はいつも「ちょっと待てよ」と釘をさす。「それはそうかもしれないが、また確かに納得できることだけれど、一面的な物の見方をするのは危険だぞ」と私が言うたびに妻は不満顔をする。しかし、情報を的確に取捨選択できるだけの理性は常に持ち合わせていなくてはならないし、そのために己を磨くことを決して忘れてはならない。
と、また説教くさい偉そうなことを言っていると叱られそうだが、私が最近読んだ新聞記事の中で興味を持ったものを紹介するのが、この文章を書く意図であった。それは11月1日の中日新聞朝刊の「中日春秋」というコラムに載っていた記事だ。
(前略)かつてタカからハトまで侃々諤々の意見を戦わせて懐の深さを見せたはずの自民党も、「物言えば(唇寒し秋の風)」の空気が広がったようだ。(中略)ものを言わない、言えない空気は困る。議会を指す英語のパーラメント(parliament)が仏語のパルレ(話す parler)に由来するように、改革に一丸の政権でも自由な議論を望みたい。
至極もっともな意見だ。これに反対する人は余程のファッショ的な思想の持ち主だと言わねばならないだろう。民主主義は自由な議論が許された社会でしか根付かない。--などとまあ、政治評論など素人には危険すぎるから、この辺りで止めにしておこう。このコラムを読んで私の心に一番印象に残ったのは、『議会を指す英語のパーラメントが仏語のパルレに由来する』という一節だった。不覚にも私はそのことを知らなかった。パルレが parler とスペルすることはさすがに分かったが、これを思い起こした瞬間に私の頭は25年も前にお世話を受けた仏文科のH教授のことに思いが飛んだ。
r はフランス語では「エール」と発音するのだが、この最後の「ル」の発音がとても難しい。喉を鳴らすように「ル」と発音するので「ク」に近い音に聞こえる。parler も「パクレ」と発音した方がフランス人のものに近いくらいだ。Merci も「メルシー」と言うより「メクシー」ぐらいのつもりで発音したほうがいい。フランス語を聞いていると痰を喉の奥から吐き出すように聞こえるのはこの r のせいだ。私も大学に入って何度も練習したのだが、なかなか上手く発音できずに軽い r 恐怖症に罹ったくらいだ。仏文科の先生は、何人かいた助教授の先生たちはフランス人の如く器用に r を発音していたが、ただ一人の教授であったH先生だけは違っていた。堂々と日本語の「ル」を使って「パルレ」「メルシー」と発音されていた。3回生で仏文科に進んで初めてH教授の授業を聞いたとき、余りにも発音が日本語的過ぎるのに驚いて、この先生はフランス人と会話ができないんじゃないかと不遜にも少し馬鹿にしてしまったが、何度か講義を受けるうちに、パリでの下宿生活の話もお聞きしたので、ああ、これくらいの発音でもフランスで通じるんだなと、それ以来 r を無理にフランス人めかして発音するのを止めてしまった。
フランス語購読の講義を一年間受けたが、教えていただいたことはさっぱり思い出せない。しかし、その年最後の授業のときに、いつもよりも大きな教室に講義が変更になり、何かなと訝りながら出席したところ、いつもより多くの人が集まっていたからますます不思議に思いながら講義を受けた。すると教授が講義を終えた瞬間に何人かの人が拍手をしながら立ち上がり、教授のもとへ集まった。いつの間にか花束を持った人が現れ、教授に手渡した。なんとそれはその年で退官されたH教授の最終講義だったのだ。迂闊な私はそんなことなど露とも知らずに、いつも通りのんべんだらりと受講していただけだった。さすがの私も己の鈍感さと無礼さには大いに恥じ入り、後悔で身が震えた。
H教授は、退官後しばらくして亡くなられてしまった。偶然とはいえ、そんな記念すべき講義を受講できたことは素晴らしくも有り難いことだった。是非とも、末代まで語り継がなければならない。
と、また説教くさい偉そうなことを言っていると叱られそうだが、私が最近読んだ新聞記事の中で興味を持ったものを紹介するのが、この文章を書く意図であった。それは11月1日の中日新聞朝刊の「中日春秋」というコラムに載っていた記事だ。
(前略)かつてタカからハトまで侃々諤々の意見を戦わせて懐の深さを見せたはずの自民党も、「物言えば(唇寒し秋の風)」の空気が広がったようだ。(中略)ものを言わない、言えない空気は困る。議会を指す英語のパーラメント(parliament)が仏語のパルレ(話す parler)に由来するように、改革に一丸の政権でも自由な議論を望みたい。
至極もっともな意見だ。これに反対する人は余程のファッショ的な思想の持ち主だと言わねばならないだろう。民主主義は自由な議論が許された社会でしか根付かない。--などとまあ、政治評論など素人には危険すぎるから、この辺りで止めにしておこう。このコラムを読んで私の心に一番印象に残ったのは、『議会を指す英語のパーラメントが仏語のパルレに由来する』という一節だった。不覚にも私はそのことを知らなかった。パルレが parler とスペルすることはさすがに分かったが、これを思い起こした瞬間に私の頭は25年も前にお世話を受けた仏文科のH教授のことに思いが飛んだ。
r はフランス語では「エール」と発音するのだが、この最後の「ル」の発音がとても難しい。喉を鳴らすように「ル」と発音するので「ク」に近い音に聞こえる。parler も「パクレ」と発音した方がフランス人のものに近いくらいだ。Merci も「メルシー」と言うより「メクシー」ぐらいのつもりで発音したほうがいい。フランス語を聞いていると痰を喉の奥から吐き出すように聞こえるのはこの r のせいだ。私も大学に入って何度も練習したのだが、なかなか上手く発音できずに軽い r 恐怖症に罹ったくらいだ。仏文科の先生は、何人かいた助教授の先生たちはフランス人の如く器用に r を発音していたが、ただ一人の教授であったH先生だけは違っていた。堂々と日本語の「ル」を使って「パルレ」「メルシー」と発音されていた。3回生で仏文科に進んで初めてH教授の授業を聞いたとき、余りにも発音が日本語的過ぎるのに驚いて、この先生はフランス人と会話ができないんじゃないかと不遜にも少し馬鹿にしてしまったが、何度か講義を受けるうちに、パリでの下宿生活の話もお聞きしたので、ああ、これくらいの発音でもフランスで通じるんだなと、それ以来 r を無理にフランス人めかして発音するのを止めてしまった。
フランス語購読の講義を一年間受けたが、教えていただいたことはさっぱり思い出せない。しかし、その年最後の授業のときに、いつもよりも大きな教室に講義が変更になり、何かなと訝りながら出席したところ、いつもより多くの人が集まっていたからますます不思議に思いながら講義を受けた。すると教授が講義を終えた瞬間に何人かの人が拍手をしながら立ち上がり、教授のもとへ集まった。いつの間にか花束を持った人が現れ、教授に手渡した。なんとそれはその年で退官されたH教授の最終講義だったのだ。迂闊な私はそんなことなど露とも知らずに、いつも通りのんべんだらりと受講していただけだった。さすがの私も己の鈍感さと無礼さには大いに恥じ入り、後悔で身が震えた。
H教授は、退官後しばらくして亡くなられてしまった。偶然とはいえ、そんな記念すべき講義を受講できたことは素晴らしくも有り難いことだった。是非とも、末代まで語り継がなければならない。
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