毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
修学旅行
小学6年生が全員修学旅行を終えた。市内8校の生徒たちが通塾しているため、およそ1ヶ月近く順番に修学旅行に行っていたような気がする。旅行先は近年ずっと京都・奈良と決まっており、修学旅行の王道のようなコースである。1泊2日の旅行だが、学校によって奈良に泊まるところ、京都に泊まるところと分かれているので、観光の順序も京都が先の学校もあれば、奈良から訪ねる学校もある。しかし、いずれの経路をたどるにしても京都市内で一日自由行動させる計画は全ての学校で統一されているようだ。生徒たちが班を決め、その班ごとに自分たちの行きたい場所をいくつか決める。そしてその目的地をつなぐ交通手段も自分たちで調べ、バスの路線や運賃も調べ上げて予算を決める。途中、昼食をとる場所も決め、先生にプランを提出する。先生は時間的に無理ない計画であればあれこれ干渉せず、あくまでも生徒たちの自主性に任せる。私たちの時代だったら夢にも思わなかったことが現代では実際に行われている。学校教育で「生徒の自主性を尊重して」などという言葉を聞くと生徒を甘やかすだけにしか聞こえないが、この試みだけは真に自主性を育む素晴らしい試みだと私は評価している。
塾の生徒たちも時々自分たちのプランを話してくれた。それを聞いていると、計画を立てることの難しさ、意見をまとめることの大変さが身に沁みたようだ。だれだれが自分の意見ばっかり言って人の話を聞かないだとか、あの子が一緒にいると喧嘩が起こりそうだとか愚痴ともつかぬことを話してくれる子もいて、子供の世界も社会の縮図であることが実感できる。中には私が京都に住んでいたことを知っている子供もいて、どこへ見学しに行ったらいいのかアドバイスを求めてきたこともある。私は「清水寺はやっぱり行かなくては行けないなあ。清水の舞台から下を見てごらん、足元がす~とするぞ。それに金閣もぴかぴかしていてすごいぞ。行けたら行ったほうがいいな」とありきたりのことしか言わないが、果たして私のアドバイスは学校で受け入れられたのだろうか。小学生の京都の修学旅行の定番として、太秦映画村は人気が高いようだから、そこをメインにしたかもしれない。今度聞いてみよう。
修学旅行の様変わりといえば、持って行くことのできる小遣いの金額もかなり自由になったようだ。私たちの頃はもう本当にすずめの涙位のお金しか許されず、内緒でいくらかのお金を隠して持っていったものだが、今は一応3,000~5,000円という制限はあるものの、ほとんど先生からチェックされないらしい。したがって、誰もが1万円近く持って行ったなどと一人の小学生が言っていた。まあ今の世の中観光地に行ってお土産を買うには、最低でも1個500円位はするだろうからそれくらいは持っていく必要があるかもしれないが、贅沢になったものだと思う。同時に、そんなに沢山持って行って、落としたり、悪い奴らにたかられたりしたらせっかくの旅行が台無しになるのに大丈夫だろうかなどと心配になってしまう。しかし、決められたお金の中から私にお土産を買ってきてくれる生徒もいたりするので、子供なりにお金の使い道はしっかり管理するだろうから、普段持ち慣れない額のお金を持ち、それを何にどうやって使おうかと考えてみることも貴重な体験になるだろう。修学旅行といえども学びの場だと考えるなら、お金にまつわる緊張感を味わうことも後々のためには大切だと思う。
ところでそのお土産のことだが、京都といえばやはり八つ橋と誰もが思うのだろう。毎年必ず一人は八つ橋か生八つ橋を土産にくれる。そのたびに、私などのためにわざわざ買って来てくれてと生徒の思いやりの深さに心から感謝して「ありがとう」と受け取る。しかし、本当に申し訳ないのだが、私は八つ橋が大嫌いなのだ。あのニッキの独特な香りがどうしても我慢できず、一度も食べたことがない。家の中では唯一妻が食べられるので、彼女に任せておくと何日かかかって食べてくれる。今年も3人の子供が八つ橋をくれて心底感謝したのだが、冷蔵庫に収まってゆっくりと妻が食べていってくれている。旅行前に、土産を買ってきてくれるなら八つ橋だけはやめてくれと催促するようなことも言えず、どうしたものかと毎年頭を悩ましている。
更にもう一つ。写真に載せたグッズも男子生徒が買ってきてくれたお土産だ。私が松井ファンだと知っていて、わざわざ選んで55の付いたバットとボールのキーホルダーを買ってきてくれた。なかなか面白いものだが、じっと見ると、Godzilla ではなく、Gorilla と書いてある。「ゴリラ松井」なんてのはいないぞと思うが、生徒の好意を傷つけるわけにはいかず、「ありがとう」とだけ言って大事に保管してある。実は、ここ3年連続で同じものを生徒が買ってきてくれて、これが3個目の「ゴリラ松井」グッズである。3つ並べるとなかなかの壮観である。
3つとも私の宝物だ。
塾の生徒たちも時々自分たちのプランを話してくれた。それを聞いていると、計画を立てることの難しさ、意見をまとめることの大変さが身に沁みたようだ。だれだれが自分の意見ばっかり言って人の話を聞かないだとか、あの子が一緒にいると喧嘩が起こりそうだとか愚痴ともつかぬことを話してくれる子もいて、子供の世界も社会の縮図であることが実感できる。中には私が京都に住んでいたことを知っている子供もいて、どこへ見学しに行ったらいいのかアドバイスを求めてきたこともある。私は「清水寺はやっぱり行かなくては行けないなあ。清水の舞台から下を見てごらん、足元がす~とするぞ。それに金閣もぴかぴかしていてすごいぞ。行けたら行ったほうがいいな」とありきたりのことしか言わないが、果たして私のアドバイスは学校で受け入れられたのだろうか。小学生の京都の修学旅行の定番として、太秦映画村は人気が高いようだから、そこをメインにしたかもしれない。今度聞いてみよう。
修学旅行の様変わりといえば、持って行くことのできる小遣いの金額もかなり自由になったようだ。私たちの頃はもう本当にすずめの涙位のお金しか許されず、内緒でいくらかのお金を隠して持っていったものだが、今は一応3,000~5,000円という制限はあるものの、ほとんど先生からチェックされないらしい。したがって、誰もが1万円近く持って行ったなどと一人の小学生が言っていた。まあ今の世の中観光地に行ってお土産を買うには、最低でも1個500円位はするだろうからそれくらいは持っていく必要があるかもしれないが、贅沢になったものだと思う。同時に、そんなに沢山持って行って、落としたり、悪い奴らにたかられたりしたらせっかくの旅行が台無しになるのに大丈夫だろうかなどと心配になってしまう。しかし、決められたお金の中から私にお土産を買ってきてくれる生徒もいたりするので、子供なりにお金の使い道はしっかり管理するだろうから、普段持ち慣れない額のお金を持ち、それを何にどうやって使おうかと考えてみることも貴重な体験になるだろう。修学旅行といえども学びの場だと考えるなら、お金にまつわる緊張感を味わうことも後々のためには大切だと思う。
ところでそのお土産のことだが、京都といえばやはり八つ橋と誰もが思うのだろう。毎年必ず一人は八つ橋か生八つ橋を土産にくれる。そのたびに、私などのためにわざわざ買って来てくれてと生徒の思いやりの深さに心から感謝して「ありがとう」と受け取る。しかし、本当に申し訳ないのだが、私は八つ橋が大嫌いなのだ。あのニッキの独特な香りがどうしても我慢できず、一度も食べたことがない。家の中では唯一妻が食べられるので、彼女に任せておくと何日かかかって食べてくれる。今年も3人の子供が八つ橋をくれて心底感謝したのだが、冷蔵庫に収まってゆっくりと妻が食べていってくれている。旅行前に、土産を買ってきてくれるなら八つ橋だけはやめてくれと催促するようなことも言えず、どうしたものかと毎年頭を悩ましている。
更にもう一つ。写真に載せたグッズも男子生徒が買ってきてくれたお土産だ。私が松井ファンだと知っていて、わざわざ選んで55の付いたバットとボールのキーホルダーを買ってきてくれた。なかなか面白いものだが、じっと見ると、Godzilla ではなく、Gorilla と書いてある。「ゴリラ松井」なんてのはいないぞと思うが、生徒の好意を傷つけるわけにはいかず、「ありがとう」とだけ言って大事に保管してある。実は、ここ3年連続で同じものを生徒が買ってきてくれて、これが3個目の「ゴリラ松井」グッズである。3つ並べるとなかなかの壮観である。
3つとも私の宝物だ。
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