毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
三綱領
私の卒業した中学・高校には、三綱領という、いわば校訓のようなものがあり、折あるたびに復唱させられた。今ではウロ覚えになってしまった箇所もあるが、大体は唱えることができる。
・明照殿を敬い、信念ある人となりましょう。
・勤倹誠実の校風を尊重して、よい個性を養いましょう。
・平和日本の有要な社会人となりましょう。
卒業後30年近く経った現在、果たして私は三綱領の掲げる人間に一歩でも近づくことができたであろうか。1つ1つ検証してみる。
>明照殿を敬い、信念ある人となりましょう
明照殿とは浄土宗系の学園の象徴であり、阿弥陀仏を中心に同窓先輩や関係物故者
の霊を祀る殿堂のことである。しかし、振り返ってみて、私はどこにその建物があったのか判然としない。宗教という授業が毎週1回あったが、かったるくて真面目に聞いていなかったためほとんど記憶に残っていない。したがって、明照殿どころか何らかの偶像崇拝はもとより宗教とは全く縁のない衆生として生きてきた。さらには、何か一つの特定の考えに縛られることなく、常に自由な心を持ち多面的な物の見方をするように心がけてきた。勿論これが実践できてきたかは非常に心もとないが、1つの信念に囚われることなく生きていこうとという考えを自らのバックボーンとしてきたことは、逆説的に綱領に従ってきたと言えなくもないだろう。
>勤倹誠実の校風を尊重して、よい個性を養いましょう。
勤倹誠実とは、「あらゆるものを無駄なく生かしつつ真剣に精進すること」であるが、これには全く外れている。見栄ばかり気にして無駄を重ねて生きてきたようなものだから、教えには完全に背いている。しかし、時間やお金を浪費して来たおからこそ、それを取り戻そうと、それどころかもっと無駄ができるようにと日々真剣に精進してきた、と言うこともできるから、これこそ人生のアイロニーだ、などと軽口の一つも叩きたくなる。まさしくこのチャランポランさが私の本質であり、これでよくもまあやって来れたものだと自分でも不思議に思える。これを個性と呼べば呼べなくもないだろうが、決してよい個性などではないから、この綱領からは完全に逸脱してしまったようだ。
>平和日本の有要な社会人となりましょう。
有要な社会人とは、「優れた個性を持ち固い信念を貫き、報恩感謝の念をもって社会のために貢献できる人」のことだそうだ。そこまでの聖人君子しか有要な社会人と呼べないならば、私などにはとてもそんな資格はない。先にも書いたように、優れた個性など持ち合わせていない。固い信念を貫くことも逆説的にしかできない。しかし、報恩感謝の念をもってというのには自信がある。妻は「あなたなんか他人に何でもやってもらって当然だと思っている人だ」などと私を非難するが、そんなことは決してない。彼女は、私が10の善行を施したとしても、ただ1度だけの過ちで全てをご破算にして、ずっとその過ちを非難し続ける女だから、私の謙虚な心を全く理解していない。人から受けた恩は決して忘れることなく、その恩に報いるため最大限の努力をするよう常に心掛けている。しかし、なにせ私はいい加減さが人間の姿をしているような男であるから、他人には私の真情をなかなか理解してもらえない。それもまた己の不徳の致すところであるから甘受しなければならないだろう。
結局、三綱領に掲げられた理念とも言うべき目標を、この年になってまだ半分も達成できていないようだ。全く情けない話である。しかし、このまま生きていってもとても到達できるような目標でもない。少しレベルを下げて身の丈に合った、私家版三綱領を下に掲げ、これからの指針とすることにする。
・奥様を敬い、信頼される夫となりましょう。
・謹厳実直の生き方を体現し、優秀な塾生を育てましょう。
・平和日本の安全な運転手となりましょう。
・明照殿を敬い、信念ある人となりましょう。
・勤倹誠実の校風を尊重して、よい個性を養いましょう。
・平和日本の有要な社会人となりましょう。
卒業後30年近く経った現在、果たして私は三綱領の掲げる人間に一歩でも近づくことができたであろうか。1つ1つ検証してみる。
>明照殿を敬い、信念ある人となりましょう
明照殿とは浄土宗系の学園の象徴であり、阿弥陀仏を中心に同窓先輩や関係物故者
の霊を祀る殿堂のことである。しかし、振り返ってみて、私はどこにその建物があったのか判然としない。宗教という授業が毎週1回あったが、かったるくて真面目に聞いていなかったためほとんど記憶に残っていない。したがって、明照殿どころか何らかの偶像崇拝はもとより宗教とは全く縁のない衆生として生きてきた。さらには、何か一つの特定の考えに縛られることなく、常に自由な心を持ち多面的な物の見方をするように心がけてきた。勿論これが実践できてきたかは非常に心もとないが、1つの信念に囚われることなく生きていこうとという考えを自らのバックボーンとしてきたことは、逆説的に綱領に従ってきたと言えなくもないだろう。
>勤倹誠実の校風を尊重して、よい個性を養いましょう。
勤倹誠実とは、「あらゆるものを無駄なく生かしつつ真剣に精進すること」であるが、これには全く外れている。見栄ばかり気にして無駄を重ねて生きてきたようなものだから、教えには完全に背いている。しかし、時間やお金を浪費して来たおからこそ、それを取り戻そうと、それどころかもっと無駄ができるようにと日々真剣に精進してきた、と言うこともできるから、これこそ人生のアイロニーだ、などと軽口の一つも叩きたくなる。まさしくこのチャランポランさが私の本質であり、これでよくもまあやって来れたものだと自分でも不思議に思える。これを個性と呼べば呼べなくもないだろうが、決してよい個性などではないから、この綱領からは完全に逸脱してしまったようだ。
>平和日本の有要な社会人となりましょう。
有要な社会人とは、「優れた個性を持ち固い信念を貫き、報恩感謝の念をもって社会のために貢献できる人」のことだそうだ。そこまでの聖人君子しか有要な社会人と呼べないならば、私などにはとてもそんな資格はない。先にも書いたように、優れた個性など持ち合わせていない。固い信念を貫くことも逆説的にしかできない。しかし、報恩感謝の念をもってというのには自信がある。妻は「あなたなんか他人に何でもやってもらって当然だと思っている人だ」などと私を非難するが、そんなことは決してない。彼女は、私が10の善行を施したとしても、ただ1度だけの過ちで全てをご破算にして、ずっとその過ちを非難し続ける女だから、私の謙虚な心を全く理解していない。人から受けた恩は決して忘れることなく、その恩に報いるため最大限の努力をするよう常に心掛けている。しかし、なにせ私はいい加減さが人間の姿をしているような男であるから、他人には私の真情をなかなか理解してもらえない。それもまた己の不徳の致すところであるから甘受しなければならないだろう。
結局、三綱領に掲げられた理念とも言うべき目標を、この年になってまだ半分も達成できていないようだ。全く情けない話である。しかし、このまま生きていってもとても到達できるような目標でもない。少しレベルを下げて身の丈に合った、私家版三綱領を下に掲げ、これからの指針とすることにする。
・奥様を敬い、信頼される夫となりましょう。
・謹厳実直の生き方を体現し、優秀な塾生を育てましょう。
・平和日本の安全な運転手となりましょう。
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