毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
悲しいとき・・
季節のない街に生まれ、風のない丘に育ち
夢のない家を出て、愛のない人に逢う
人のために良かれと思い、西から東へかけずり回る
やっと見つけた優しさは、いともたやすくしなびた
春を眺める余裕もなく、夏を乗り切る力もなく
秋の枯れ葉に身を包み、冬に骨身をさらけ出す
今日で全てが終わるさ、今日で全てが変わる
今日で全てが報われる、今日で全てが始まるさ
泉谷しげる「春夏秋冬」
泉谷しげると言っても、今は役者としての彼しか知らない人も多いだろうが、れっきとしたフォークシンガーで、私の若い頃には、柔の吉田拓郎に対して、豪の泉谷しげるという位置づけで語られることが多かった。当時から、歯に衣着せぬ言説は聞くものの溜飲を下げさせてくれることが多く、かく言う私も彼のファンの一人であった。
だが、実を言えば彼の歌はこの曲しか知らない。昔よく行ったカラオケで何度か歌おうとしたことがあるのだが、私の覚えているよりも何故かテンポが速く、いつも途中で断念したものだった。しかし、たとえ上手く歌えなくても、この歌は好きだ。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」をモチーフにしたような歌詞が、なんともいえぬ哀愁を感じさせる。己の出自と重ね合わせて、身につまされるというのではない。私のような我がまま育ちの見栄坊など、この世の辛酸など何も知らない大甘な男だ。いくら斜に構えてみたところで、ただのポーズに過ぎない。それぐらいのことはこの年になれば分かる。
しかし、甘ちゃんだからこそ、大した考えもなしに起こした行動で、周りに迷惑を引き起こしてしまうことが多々ある。まさしく、
人のために良かれと思い、西から東へかけずり回る
やっと見つけた優しさは、いともたやすくしなびた
である。
人のためによかれと思い行動を起こしても、私の場合、それは結局自分を満足させるためでしかないようだ。何も真実が見えないまま、そんな自己満足のために迂闊に東奔西走しても、徒に周りを巻き込むことにしかならない。たとえそれで、なにがしかの結果を得られたとしても、そんなものはいとも簡単に崩れ去る物でしかない。「人のために」などと錦の御旗を振ったところで、結局は何にもならないとしたなら、そんなものはただの自己陶酔でしかなく、巻き込んでしまった周りの人たちにどう詫びればいいのだろうか。
以前私は、人と人の心をつなぐには謙譲と寛容が必要だなどとしたり顔に書いた。つくづく大馬鹿野郎だ。何も見えず、何も聞こえず、何も考えられずに、ただ周りに迷惑をかけるだけ・・・こんな人間に誰がそんな心で接してくれるというのだ。いくら大声で詫びたところで取り返しが付かないではないか。
こんなに悲しいことは今までにそんなになかったような気がする。
夢のない家を出て、愛のない人に逢う
人のために良かれと思い、西から東へかけずり回る
やっと見つけた優しさは、いともたやすくしなびた
春を眺める余裕もなく、夏を乗り切る力もなく
秋の枯れ葉に身を包み、冬に骨身をさらけ出す
今日で全てが終わるさ、今日で全てが変わる
今日で全てが報われる、今日で全てが始まるさ
泉谷しげる「春夏秋冬」
泉谷しげると言っても、今は役者としての彼しか知らない人も多いだろうが、れっきとしたフォークシンガーで、私の若い頃には、柔の吉田拓郎に対して、豪の泉谷しげるという位置づけで語られることが多かった。当時から、歯に衣着せぬ言説は聞くものの溜飲を下げさせてくれることが多く、かく言う私も彼のファンの一人であった。
だが、実を言えば彼の歌はこの曲しか知らない。昔よく行ったカラオケで何度か歌おうとしたことがあるのだが、私の覚えているよりも何故かテンポが速く、いつも途中で断念したものだった。しかし、たとえ上手く歌えなくても、この歌は好きだ。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」をモチーフにしたような歌詞が、なんともいえぬ哀愁を感じさせる。己の出自と重ね合わせて、身につまされるというのではない。私のような我がまま育ちの見栄坊など、この世の辛酸など何も知らない大甘な男だ。いくら斜に構えてみたところで、ただのポーズに過ぎない。それぐらいのことはこの年になれば分かる。
しかし、甘ちゃんだからこそ、大した考えもなしに起こした行動で、周りに迷惑を引き起こしてしまうことが多々ある。まさしく、
人のために良かれと思い、西から東へかけずり回る
やっと見つけた優しさは、いともたやすくしなびた
である。
人のためによかれと思い行動を起こしても、私の場合、それは結局自分を満足させるためでしかないようだ。何も真実が見えないまま、そんな自己満足のために迂闊に東奔西走しても、徒に周りを巻き込むことにしかならない。たとえそれで、なにがしかの結果を得られたとしても、そんなものはいとも簡単に崩れ去る物でしかない。「人のために」などと錦の御旗を振ったところで、結局は何にもならないとしたなら、そんなものはただの自己陶酔でしかなく、巻き込んでしまった周りの人たちにどう詫びればいいのだろうか。
以前私は、人と人の心をつなぐには謙譲と寛容が必要だなどとしたり顔に書いた。つくづく大馬鹿野郎だ。何も見えず、何も聞こえず、何も考えられずに、ただ周りに迷惑をかけるだけ・・・こんな人間に誰がそんな心で接してくれるというのだ。いくら大声で詫びたところで取り返しが付かないではないか。
こんなに悲しいことは今までにそんなになかったような気がする。
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