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花粉症

 どうせ花粉症になるなら、早いほうが自慢できる。「今年の花粉はすごいね」などと、誰も言わないうちに言ったほうが、季節に敏感な人のように見える。どっちみち苦しむならば、それくらいの見栄をはらしてもらいたい。でもやっぱり苦しい・・。昨日からくしゃみがとまらない。鼻水もずるずるして気持ち悪い。目まで痒くなってきて、なみだ目になってしまう。これはひどい、苦しい、腹が立つ。何の前触れもなく、突然襲ってきた。「春よ来い!」などという記事を書いたものだから、花粉がいっせいに私めがけて飛来してきたようだ。
 特にくしゃみがいけない。鼻孔がムズムズしてきたと思うともう我慢ができない。「はあくしょん」と大音声を上げてしまうから、周りにいる人たちは驚いてしまう。途中で抑えようと無理するとかえってムズムズ感が強くなって、結局は大きなくしゃみをしなければ収まらないので、変に我慢せずに「はあくしょん」とやった方がすっきりする。だが、周りにいる人たちに飛沫が飛んだりしないしないように注意をしなくちゃいけない。最低限のエチケットとして、ティッシュやタオルは持ち歩いて迷惑はかけないよう努力は怠っていないつもりだが、どうだろう。
 
 『くしゃみは昔は邪鬼の仕業とされ、それを祓うために「くさめえ」と呪文を唱えたことが語源。ちなみに「くさめえ」とは(邪鬼に対して)「糞を食め」の意』なのだそうだ。医学の発達していなかった昔では、風邪をこじらせて亡くなる人が多かったため、「くしゃみ=風邪=死」という図式が人々の間でできあがっていたようだ。くしゃみと共に体の中から霊魂が飛び出してしまい、それによって死に至ってしまうと考えられていたようなので、当時の人々にとって風邪の前兆たるくしゃみが忌まわしいものと恐れられていたのは当然のことかもしれない。
 そんな昔の人々の考えを表した一節が、「徒然草」47段にある。

 ある人清水へまゐりけるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら、「嚔(くさめ)嚔」といひもて行きたれば、「尼御前(ごぜ)何事をかくは宣ふぞ。」と問ひけれども、答へもせず、猶いひ止まざりけるを、度々とはれて、うち腹だちて、「やゝ、嚔(はな)ひたる〔くさめする〕時、かく呪(まじな)はねば死ぬるなりと申せば、養ひ君の、比叡の山に兒にておはしますが、たゞ今もや嚔ひ給はむと思へば、かく申すぞかし。」といひけり。あり難き志なりけむかし。

 さすがに遠く離れた人がくしゃみをしたかもしれないと心配して、呪文を唱えるなどというのは常軌を逸した行動のように思うが、兼好が「あり難き志」と述べているのだから、奇特な考えであることだけは確かだろう。遠隔地からそんな呪文を送ったところで、効果など期待できそうもないが、ある人を思いやってそうした気遣いを見せることが「あり難き」なのだろう。オランダに旅行中の娘から妻の携帯にムービーが貼付されたメールが届いた。私も見たが、風車と運河を背景にして元気そうな姿が映っていてほっとした。日本からオランダまでは、とても私の思いは届かないかもしれないが、無事に旅行を楽しんでくるように祈るばかりだ。
 鼻水をすすり、目をしばたたきながら、はるかオランダの地に思いをはせては、娘が帰国する日を指折り数えて待っている。(帰国しても家には戻ってこないだろうけどね・・)
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