毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
仰げば尊し
愛知県の公立高校の卒業式は毎年3月1日と決まっている。しかし、今年はその日が土曜日であるため、どうなるのだろうと思って、何人かの公立高の生徒に聞いてみた。すると、2月29日の金曜日、3月1日の土曜日、3日の月曜日と日取りが3通りあることが分かった。公立校はお役所仕事っぽくって、融通が利かないことも多いが、3通りあるというのは各校の裁量に任せる部分が以前よりも多くなったのかな、と思わないでもなかった。
卒業式も近頃は様変わりが激しく、在校生の代表が送辞を読み、卒業生が答辞を読み上げるという旧来の形式はかなり減ってきているらしいが(特に小学校では)、高校2年の塾生が卒業式で答辞を読むことになったと教えてくれたので、高校ではまだまだ古典的な卒業式を行っている学校が多いのかもしれない。娘と息子の卒業式に参列したことが一度もない私なので、その辺りの事情は詳しくない、と書こうとしたら自分自身の高校の卒業式にも出席しなかったことを思い出した。受験が目前に迫っていて、そんなものに長時間付き合う暇などないと、母に卒業証書を受け取りに行ってもらった。修学旅行も行っていないから、私の高校での思い出などずいぶん私的なものに限られていてつまらないものばかりだ。
そんな私でも、卒業式で「仰げば尊し」が歌われなくなったと聞くとちょっと寂しい気がする。「卒業式には『仰げば尊し』を歌わなくっちゃ盛り上がらないでしょう」などと無責任に思ったりする。しかし、今の学校では先生たちが生徒たちから仰がれていないのを実感しているから、面映くてそんな歌を生徒たちに歌わせられないのかと、意地悪を思ったりもする。卒業式の厳粛な雰囲気には『仰げば尊し』がよく似合う、とは思うが、さてその歌詞はいったいどう意味なのかと考えてみたら、案外難しいことに気づいた。まずは耳で聞くとおりに平仮名で歌詞を記してみる。
あおげばとうとし わがしのおん
おしえのにわにも はやいくとせ
おもえばいととし このとしつき
いまこそわかれめ いざさらば
一番の歌詞だが、1行目は題名にもあるとおり、「仰げば尊し 我が師の恩」あり、お世話になった先生に敬意を表している。(決して「和菓子の恩」ではない)2行目も「教えの庭にも 早幾年」と先生と長い年月学んだことを振り返る気持ちが表れていて、分かりやすい。だが、3行目になるとちょっと戸惑う。「思えばいととし」というのはいったいどういう意味なんだろう。ずっと「いとおしい」の意味に解釈していたように思うが、「いととし」であるから、ちょっと違う。う~~ん、と思って調べてみたところ、「いと」は「とても」を表す副詞の「いと」であり、「とし」は「疾し」と書いて「早い」ことを意味しているようだ。すなわち、「思ってみれば先生と学んだこの年月はなんと早く過ぎ去ってしまったことか」という意味になるのだ。う~~ん、知らなかった。さらに4行目は「今こそ別れ目」と書いて「今こそが分岐点だ、さようなら!」と解釈していたのだが、これもまったく違った。「今こそ別れめ」というのは、強意を表す係助詞「こそ」があるため、結びの「別れむ」が係り結びの法則によって「別れめ」と已然形の形になっていたのだ!!何たる誤解、何たる曲解・・。恥ずかしくなってきた。やはり耳で聞くだけでなく、漢字交じりの文に書き直して目で読んでみるとかなり分かりやすくなる。
仰げば 尊し 我が師の恩
教えの庭にも はや幾年
思えば いと疾し この年月
今こそ 別れめ いざさらば
などといかにも自分で発見したように書いてきたが、実はこの話は月曜日に聞いたラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」から聞き書きしたものだ。バスの送り迎えの関係で、以前より聞く機会が少なくなってしまったが、時々聞くと相変わらず面白い。小沢昭一の特異なキャラクターが番組の面白さの秘訣だが、老いてますます意気軒昂なじいさん役者・小沢昭一よ、永遠なれ!!
卒業式も近頃は様変わりが激しく、在校生の代表が送辞を読み、卒業生が答辞を読み上げるという旧来の形式はかなり減ってきているらしいが(特に小学校では)、高校2年の塾生が卒業式で答辞を読むことになったと教えてくれたので、高校ではまだまだ古典的な卒業式を行っている学校が多いのかもしれない。娘と息子の卒業式に参列したことが一度もない私なので、その辺りの事情は詳しくない、と書こうとしたら自分自身の高校の卒業式にも出席しなかったことを思い出した。受験が目前に迫っていて、そんなものに長時間付き合う暇などないと、母に卒業証書を受け取りに行ってもらった。修学旅行も行っていないから、私の高校での思い出などずいぶん私的なものに限られていてつまらないものばかりだ。
そんな私でも、卒業式で「仰げば尊し」が歌われなくなったと聞くとちょっと寂しい気がする。「卒業式には『仰げば尊し』を歌わなくっちゃ盛り上がらないでしょう」などと無責任に思ったりする。しかし、今の学校では先生たちが生徒たちから仰がれていないのを実感しているから、面映くてそんな歌を生徒たちに歌わせられないのかと、意地悪を思ったりもする。卒業式の厳粛な雰囲気には『仰げば尊し』がよく似合う、とは思うが、さてその歌詞はいったいどう意味なのかと考えてみたら、案外難しいことに気づいた。まずは耳で聞くとおりに平仮名で歌詞を記してみる。
あおげばとうとし わがしのおん
おしえのにわにも はやいくとせ
おもえばいととし このとしつき
いまこそわかれめ いざさらば
一番の歌詞だが、1行目は題名にもあるとおり、「仰げば尊し 我が師の恩」あり、お世話になった先生に敬意を表している。(決して「和菓子の恩」ではない)2行目も「教えの庭にも 早幾年」と先生と長い年月学んだことを振り返る気持ちが表れていて、分かりやすい。だが、3行目になるとちょっと戸惑う。「思えばいととし」というのはいったいどういう意味なんだろう。ずっと「いとおしい」の意味に解釈していたように思うが、「いととし」であるから、ちょっと違う。う~~ん、と思って調べてみたところ、「いと」は「とても」を表す副詞の「いと」であり、「とし」は「疾し」と書いて「早い」ことを意味しているようだ。すなわち、「思ってみれば先生と学んだこの年月はなんと早く過ぎ去ってしまったことか」という意味になるのだ。う~~ん、知らなかった。さらに4行目は「今こそ別れ目」と書いて「今こそが分岐点だ、さようなら!」と解釈していたのだが、これもまったく違った。「今こそ別れめ」というのは、強意を表す係助詞「こそ」があるため、結びの「別れむ」が係り結びの法則によって「別れめ」と已然形の形になっていたのだ!!何たる誤解、何たる曲解・・。恥ずかしくなってきた。やはり耳で聞くだけでなく、漢字交じりの文に書き直して目で読んでみるとかなり分かりやすくなる。
仰げば 尊し 我が師の恩
教えの庭にも はや幾年
思えば いと疾し この年月
今こそ 別れめ いざさらば
などといかにも自分で発見したように書いてきたが、実はこの話は月曜日に聞いたラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」から聞き書きしたものだ。バスの送り迎えの関係で、以前より聞く機会が少なくなってしまったが、時々聞くと相変わらず面白い。小沢昭一の特異なキャラクターが番組の面白さの秘訣だが、老いてますます意気軒昂なじいさん役者・小沢昭一よ、永遠なれ!!
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