毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
女優?
我が娘は、相変わらず忙しいらしい。もうずいぶん顔を見てないし、声さえも聞いていない。ちゃんと生きていることは2週間前に妻が京都に行ったときに確認されている。その時でさえ、忙しいと言ってほとんど一緒にいなかったそうだ。かろうじて妻が帰り際に、娘と木屋町で落ち合って夕食を共にするのがやっとだったらしい。
娘に言わせれば、大学に行く暇もないくらい忙しいらしい。何がそんなに忙しいかといえば、所属している映画サークルが11月祭のイベントとして作品の上映会を催す予定なのだそうだ。何人かが監督となって、それぞれが1本ずつ作品を撮るのだが、娘は何故だか3作品に出演することになって、そのために「殺人的スケジュール」をこなしているらしいのだ。確かに娘は私に似て長身で、170cmくらいはあり、まあまあスラッとしているから映画うつりはいいかもしれないが、肝心のお顔が・・・と親バカの私でさえ思うくらいだから、そんなに引く手あまたな理由が分からない。妻が娘に尋ねたところ、「私だと頼み易いからじゃないの」と答えたそうだが、「おいおい、お前はそんなに簡単で便利な女かよ」と男親としては心配になってしまう。小さい時は、目立つような派手な色の服を着るのを嫌がった娘が何故こんなにも出たがりになってしまったのだろう。私は引っ込み思案なほうだから、どこにでも物怖じせずにガンガン出て行く母親譲りに性格が表に出てきたのかもしれない。
またその時に、「大学はちゃんと行ってよ」と妻が諭したところ、「小さい時から大学の授業なんて出なくてもいいって、お父さんから聞いて育ったから、イマイチ講義に出なくっちゃっていう気が起こってこなくって」と自分の怠慢を私のせいにしたらしい。確かに私は1・2回生の頃はほとんど講義に出なかった。教養部の講義が高校の授業の延長で、全く興味を持てなかったというのは表向きのいいわけで、本音はただただ遊びたかっただけだ。と言っても洒落た遊びをしていたわけではなく、「野草を食べる会」のボックスでひたすら麻雀を打っていただけだ。毎晩徹マンの連続で昼夜逆転の生活をしていたら、講義時間に起きられるはずもなく、というよりも講義というものの存在を全く忘れていた。ただ、語学と体育だけは単位を落とすと後から厄介だぞと先輩から聞かされていたので、それらの授業だけは最低限の時間は出席しておいた。あとは全くと言っていいほど出席しなかった。それでも当時は試験さえ受ければ出席0でも単位を下さるありがたい先生が何人かいらっしゃって、その恩恵に浴したわずかばかりの単位だけが、1・2回生で取ったものだった。ただ、3回生の時に、これではちょっとまずいだろうと一念発起して、1年間毎日大学に通い続けて、不足していた教養の単位全てと、学部で必要な単位のほとんどを取ってしまったから、何とか卒業はできた。(何を血迷ったか大学院入試を受けようと5年間大学には籍を置いていたけれど)
しかし、いくら同じ大学だと言っても、今は独立法人となったし、娘は私と違って理系だ。「ぼやぼやしてたら進級もできなくなるぞ」と私が妻に訴えてみても、「まともに大学に行ってなかった人間にとやかく言われたくないでしょうよ」と娘の味方をする。「それはそうだが・・」と私は黙り込むしかないが、今時こんないい加減な女子大生もあまりいないだろう。親子二代そろって同じ愚を重ねるのも滑稽だが、それも親の因果が子に報いたものと諦めるしかないだろうか。
もうそろそろ上映会だ。妻は娘に、観に行ってもいいかとさかんに許可を求めている。自分が誰であるのか誰にも名乗らずにそっと観て来るだけだからいいでしょう?と言って説得しようとしているが、肝心の女優さんがなかなかOKを出してくれないらしい。主演作品3本は、それぞれの監督さんに頼めばDVD化してもらえるそうだから、それだけはお願いしろよと言ってやるつもりだ。だって、もうこれで主演女優になれるなんてことは永遠にないだろうから。
娘に言わせれば、大学に行く暇もないくらい忙しいらしい。何がそんなに忙しいかといえば、所属している映画サークルが11月祭のイベントとして作品の上映会を催す予定なのだそうだ。何人かが監督となって、それぞれが1本ずつ作品を撮るのだが、娘は何故だか3作品に出演することになって、そのために「殺人的スケジュール」をこなしているらしいのだ。確かに娘は私に似て長身で、170cmくらいはあり、まあまあスラッとしているから映画うつりはいいかもしれないが、肝心のお顔が・・・と親バカの私でさえ思うくらいだから、そんなに引く手あまたな理由が分からない。妻が娘に尋ねたところ、「私だと頼み易いからじゃないの」と答えたそうだが、「おいおい、お前はそんなに簡単で便利な女かよ」と男親としては心配になってしまう。小さい時は、目立つような派手な色の服を着るのを嫌がった娘が何故こんなにも出たがりになってしまったのだろう。私は引っ込み思案なほうだから、どこにでも物怖じせずにガンガン出て行く母親譲りに性格が表に出てきたのかもしれない。
またその時に、「大学はちゃんと行ってよ」と妻が諭したところ、「小さい時から大学の授業なんて出なくてもいいって、お父さんから聞いて育ったから、イマイチ講義に出なくっちゃっていう気が起こってこなくって」と自分の怠慢を私のせいにしたらしい。確かに私は1・2回生の頃はほとんど講義に出なかった。教養部の講義が高校の授業の延長で、全く興味を持てなかったというのは表向きのいいわけで、本音はただただ遊びたかっただけだ。と言っても洒落た遊びをしていたわけではなく、「野草を食べる会」のボックスでひたすら麻雀を打っていただけだ。毎晩徹マンの連続で昼夜逆転の生活をしていたら、講義時間に起きられるはずもなく、というよりも講義というものの存在を全く忘れていた。ただ、語学と体育だけは単位を落とすと後から厄介だぞと先輩から聞かされていたので、それらの授業だけは最低限の時間は出席しておいた。あとは全くと言っていいほど出席しなかった。それでも当時は試験さえ受ければ出席0でも単位を下さるありがたい先生が何人かいらっしゃって、その恩恵に浴したわずかばかりの単位だけが、1・2回生で取ったものだった。ただ、3回生の時に、これではちょっとまずいだろうと一念発起して、1年間毎日大学に通い続けて、不足していた教養の単位全てと、学部で必要な単位のほとんどを取ってしまったから、何とか卒業はできた。(何を血迷ったか大学院入試を受けようと5年間大学には籍を置いていたけれど)
しかし、いくら同じ大学だと言っても、今は独立法人となったし、娘は私と違って理系だ。「ぼやぼやしてたら進級もできなくなるぞ」と私が妻に訴えてみても、「まともに大学に行ってなかった人間にとやかく言われたくないでしょうよ」と娘の味方をする。「それはそうだが・・」と私は黙り込むしかないが、今時こんないい加減な女子大生もあまりいないだろう。親子二代そろって同じ愚を重ねるのも滑稽だが、それも親の因果が子に報いたものと諦めるしかないだろうか。
もうそろそろ上映会だ。妻は娘に、観に行ってもいいかとさかんに許可を求めている。自分が誰であるのか誰にも名乗らずにそっと観て来るだけだからいいでしょう?と言って説得しようとしているが、肝心の女優さんがなかなかOKを出してくれないらしい。主演作品3本は、それぞれの監督さんに頼めばDVD化してもらえるそうだから、それだけはお願いしろよと言ってやるつもりだ。だって、もうこれで主演女優になれるなんてことは永遠にないだろうから。
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「下流社会」
昨日行きつけの本屋に行ったところ、「下流社会」(三浦展著、光文社刊)という新書が平積みされていた。一冊手にとってパラパラとめくってみたら、興味を引かれる箇所が幾つかあったので買ってみた。私は新書はなるべく買わないようにしている。タイトルや前書きに惹かれて買ってみると、全ての論が表題や前書きに言い尽くされていて、残りの200ページほどは、同じことを少し角度を変え論じてみたり、やたら数字ばかりのデータを見せつけられたりして、もっとコンパクトにまとめろよと思うような本が多いからである。特別な研究者でもない一般読者は、精緻なデータの裏づけなどに興味はなく、それから導きだされる結論やそれに対する処方箋を知りたい場合が多いと思うのだが、それだけだと1冊の本として売るには薄っぺらになってしまうのだろう。無理矢理としか思えないような論理の展開で水増しした文章には、そんなことはもういいから早く結論を出せよ、とぶつぶつ言いながら結局は途中を読み飛ばして、最後の結論だけを読むことが私には多い。
この本はどうなんだろうと思って読み始めた。さすがに論旨は私が常日頃憂慮していることであるため納得がいく。
階層格差が広がっているという。所得格差が広がり、そのために学力格差が広がり、結果、階層格差が固定化し、流動性を失っている。あるいは「希望格差」も拡大している。こうした説が、ここ数年、多数発表された。
それは、日本が今までのような「中流社会」から「下流社会」に向かうということである。
ここで「下流社会」とは作者の造語であり、下流の定義を次のように述べている。
本書が取り扱う「下流」は、基本的には「中の下」である。食うや食わずとは無縁の生活をしている。しかしやはり「中流」に比べれば何かが足りない。(中略)では「下流」には何が足りないのか。それは意欲である。中流であることに対する意欲のない人、そして中流から降りる人、あるいは落ちる人、それが「下流」だ。
現代社会を「意欲」という言葉をキーワードとして読み解こうというのは、「意欲」という言葉が使い古され埃を被ったような言葉であるから、かえって新鮮な気がする。まあ、意欲だけではなんともならないことも多々あるのだが、意欲がなければ何も始まらない。そこで、この本の冒頭にある「下流度チェック」を試してみて己の意欲度をチェックするのも一興かもしれない。
①年収が年齢の10倍未満だ
②その日その日を気楽に生きたいと思う
③自分らしく生きるのがよいと思う
④好きなことだけして生きたい
⑤面倒くさがり、だらしない、出不精
⑥一人でいるのが好きだ
⑦地味で目立たない性格だ
⑧ファッションは自分流である
⑨食べることが面倒くさいと思うことがある
⑩お菓子やファーストフードをよく食べる
⑪一日中テレビゲームやインターネットをして過ごすことがよくある
⑫未婚である(男性で33歳以上、女性で30歳以上の方)
半分以上当てはまるものがあれば、かなり「下流的」だそうである。
やっぱりこの本も途中のデータを飛ばしてしまった。こんな面倒くさがりな読み方をしていると上のチェックに引っかかってしまう。どうも私は意欲不足のようだ。
この本はどうなんだろうと思って読み始めた。さすがに論旨は私が常日頃憂慮していることであるため納得がいく。
階層格差が広がっているという。所得格差が広がり、そのために学力格差が広がり、結果、階層格差が固定化し、流動性を失っている。あるいは「希望格差」も拡大している。こうした説が、ここ数年、多数発表された。
それは、日本が今までのような「中流社会」から「下流社会」に向かうということである。
ここで「下流社会」とは作者の造語であり、下流の定義を次のように述べている。
本書が取り扱う「下流」は、基本的には「中の下」である。食うや食わずとは無縁の生活をしている。しかしやはり「中流」に比べれば何かが足りない。(中略)では「下流」には何が足りないのか。それは意欲である。中流であることに対する意欲のない人、そして中流から降りる人、あるいは落ちる人、それが「下流」だ。
現代社会を「意欲」という言葉をキーワードとして読み解こうというのは、「意欲」という言葉が使い古され埃を被ったような言葉であるから、かえって新鮮な気がする。まあ、意欲だけではなんともならないことも多々あるのだが、意欲がなければ何も始まらない。そこで、この本の冒頭にある「下流度チェック」を試してみて己の意欲度をチェックするのも一興かもしれない。
①年収が年齢の10倍未満だ
②その日その日を気楽に生きたいと思う
③自分らしく生きるのがよいと思う
④好きなことだけして生きたい
⑤面倒くさがり、だらしない、出不精
⑥一人でいるのが好きだ
⑦地味で目立たない性格だ
⑧ファッションは自分流である
⑨食べることが面倒くさいと思うことがある
⑩お菓子やファーストフードをよく食べる
⑪一日中テレビゲームやインターネットをして過ごすことがよくある
⑫未婚である(男性で33歳以上、女性で30歳以上の方)
半分以上当てはまるものがあれば、かなり「下流的」だそうである。
やっぱりこの本も途中のデータを飛ばしてしまった。こんな面倒くさがりな読み方をしていると上のチェックに引っかかってしまう。どうも私は意欲不足のようだ。
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こころ

楓もそうだが、私たちが紅葉として愛でる葉は、その形が愛らしいものが多いような気がする。桜の葉のように何の特徴もない葉は、散ってもただのゴミのようにしか扱われないが、楓は赤子の手のひら、銀杏は鳥の形というように、葉の形が我々の視覚を通して、秋の風情を心に響かせるのかもしれない。そう言えば、漱石の「こころ」に次のような一節がある。先生から受け取った便りについて、
私は箱根から貰った絵端書をまだ持っている。日光へ行った時は紅葉の葉を一枚封じ込めた郵便も貰った。 「先生と私」九
当時は女性だけでなく男性もこうやって旅の記念となるものを同封した手紙を送るのが流行っていたそうだ。現代だったら、携帯電話で撮った紅葉の写真を添付したメールを送るだろうが、明治の人々には考えも及ばぬことだ。逆に言えば、そういう不便な時代だったからこそ、風雅な趣が昔の人々の心を楽しませたともいえるだろう。
現代と明治を比べて、どちらがよいかなどと考えることは全くのナンセンスであるが、漱石の小説を読んでいると、明治の人たちはこんな風だったのかと驚くことがしばしばある。例えば、同じ「こころ」に
すると先生がいきなり道の端へ寄って行った。そうして綺麗に刈り込んだ生垣の下で、裾をまくって小便をした。私は先生が用を足す間ぼんやりそこに立っていた。
「やあ、失敬」
先生はこう言ってまた歩き出した。 「先生と私」 三十
歩きながらの会話の途中でいきなり立小便をして、「失敬」も何もないものだが、たぶん当時は、そんなことは日常茶飯事だったんだろう。現代ではよっぽどの酔っ払いでもない限りそんなことはしないだろう。いやしくも知識人たる先生の行動は、現代の私たちには理解できない。また、「三四郎」にもおやっと思わせる記述がある。上京する三四郎と同じ汽車に乗り合わせた、一高の教師広田先生との会話の最中に、先生が、
さんざん食い散らした水密桃の核子(たね)やら皮やらを、ひとまとめに新聞にくるんで、窓の外へ投げ出した。 (一)
現代だったらよほどの礼儀知らずな野無頼漢でなければできないようなことを、当時の一級の知識人は平気でしていたんだなと、つくづく時代の違いを感じる。果たして漱石自身もこんな行為をしたかどうかは私には分からないが、これに近いことは何のためらいもなくやっていたのではないかと勘繰りたくなってしまう。ジェントルマンの国イギリスに留学したあの漱石がまさか、とは思いたいが・・・
100年も昔の話であるから、細かく見ていけばこのような風俗、習慣の違いが色々でてくるだろう。しかし、こういうどうでもいいような豆知識をどれだけたくさん先生が知っているかで、生徒の授業に対する興味も違ってくるはずだ。エゴイズムがどうのこうのという前に、「実はこんな話があって」などと前説の面白い先生の授業は私自身も楽しんで受けていた記憶がある。
ちょうど高2が「こころ」の授業を受けているから、一度Sくんたちにも話してみよう。どんな反応をするだろうか、楽しみだ。
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松井再契約

との報道が流れた。やっと決まったかというのが実感だ。ヤンキースというのはアメリカの野球チームであり、松井もそこでプレイするのだから、アメリカ流に納得いくまで交渉し、自らが最もプレイしやすい環境を作り出すことは当然のことであり、日本流の考えでお金に細かいだとか何とかいうのは、的外れだ。交渉し、まとまらなければ他球団に移籍、たとえそんな事態になっていたとしてもそれは松井の選択であり我々が批判することではないであろう。
地区シリーズでエンゼルズに敗退して以来、私は全く野球を見なかった。去年はヤンキースが負けた後も、ワールドシリーズを見て興奮したものだったが、今年は全く見なかった。去年はまだ、「頑張ったのに残念だったね」という気持ちがあったのかもしれない。しかし、今年はずっと松井に感じていた物足りなさが、最後まで払拭されないままシーズンを終えた虚しさばかりが心を占めて、とても野球を見る気になれなかった。しかも、全く見なかったその後のプレイオフで、私の虚脱感に追い打ちをかけたことが2つあった。
1つは、ナ・リーグチャンピオンシリーズで、カージナルズのプホルズ選手が第5戦で放った逆転3ランHR。それはまさしく松井が地区シリーズ第4戦で最後の打者になったのとほとんど同じ状況でのことだった。松井は3-5で負けていた9回表2アウト1・2塁で打席に立ち、あえなく1ストゴロ。これで無念の敗退が決定してしまった。一方のプホルズは、同じように王手をかけられた試合、2-4で負けていた9回2アウト1塁・2塁で見事逆転3ランを放ちチームを勝利に導いた。私はこの結果を新聞でチラッと見ただけだったが、かなりのショックを受けた。プホルズは今シーズンのア・リーグMVPに輝いた選手だから、それくらいの活躍は当然なのかもしれないが、何故松井がプホルズと同じことができなかったのか。それくらいのことができる選手だと信じ、今でも信じているのだが、今年はできなかった。それが残念で悔しくて、がっかりだった。
もう一つは、ホワイトソックスが優勝し井口選手が実質的には日本人として初めてチャンピオンリングを獲得したことだ。私は、松井がチャンピオンリングを獲得する日を夢見てこの3年間応援してきたのだが、メジャー移籍1年目の井口選手があっさりと(といっては井口に失礼かもしれないが)チャンピオンリングを手にしてしまったことが、私の虚脱感を一層強いものにしてしまった。
それ以来、全く野球の話題にはふれてこなかったし、各種情報もほとんど見聞きしてこなかった。去年の今頃は、どんなピッチャーやバッターがヤンキースに来て翌シーズンのワールドシリーズを戦うことになるか、とワクワクしながら、FAやトレードの情報をチェックしていたものだが、今年は松井の契約の話題さえあまり見聞きしてこなかった。ただ、もう早く決着して、ゆっくり休むなり、軽くトレーニングするなり、来年のために準備しろよと言いたいだけだった。したがって、契約が決まったニュースを聞いても、これで落ち着いて来年シーズンの対策を練ることができるなとしか感想は浮かんでこない。
確かに契約条件はすごいものだ。最初の提示といわれた額からはすごく上げられたようだ。これこそ、ヤンキースがどれだけ松井を必要としているかの表れだ。しかし、それは松井がそれだけの責任を負うことを意味する。今年のような成績では誰も満足しなくなるだろう。勿論、松井はそんなことは我々以上に分かっているはずだ。やれるから、その自信があるからこれだけの契約にも堂々と応じることができるのだろう。
来年はMVPだ、などと無闇にあおることは間違っているだろう。しかし、私は、来年こそプホルズが見せたような、ここ一番でのHR.を何本でも、本当に何本でも見たい。絶対にそれだけの選手になってもらいたい。
頑張れよ、松井!!!
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たぬきが・・
びっくりしたあ、本当にびっくりした。狸が道の真ん中で車に轢かれて死んでいた。9時に授業が終わって生徒をバスで送っていく途中、20mくらい先に何か物体が横たわっているのが対向車のライトに照らし出されて見えた。一瞬いやな予感がして、じっと目を凝らすと対向車が大きくよけながら通っていくのが分かる。あーあ、何か死んでいるんだなと覚悟を決めて、近づいて行った。ちょうど私が右折しなければならない位置にその死体が横たわっていたものだから、対向車が行き過ぎるのを待つためそこで停止せざるを得ず、見たくもないのにどうしても視界に入ってくる。「え~っ!」と私は思わず声をあげてしまった。「狸だ、狸!」それに反応して、後ろに乗っていた数人の生徒も確認したらしく「狸、狸」と呟きだした。体長は50cmくらいで、毛がふさふさして毛皮にしたらいいなと思うほど見事な毛並みだった。なにしろ暗闇で、薄目を開けて恐る恐る見たものだから正確なことは分からなかったが、猫と犬のちょうど間くらいの大きさだった。右折した後、1人の生徒を降ろし、Uターンしてまた同じ所に戻ってきたところ、今度は見える角度が違って、狸の頭部が見えた。口を半開きにして息絶えたようで、真っ赤な口の中が見える。もう私は吐きそうになるほど気分が悪くなり、一目散にその場所を離れたのだが、今思い出しても悪寒が走る。
私は死体というものが大嫌いだ。人間の死体は言うまでもない。今まで生きてきて、自分の母親の死に顔くらいしかまともに見たことがない。この年になれば数多くの人々と別れを告げてきたが、どうしても死に顔を拝むことができず、最後の別れといえども隅のほうから、ちらっとしか見ることができない。怖いからなのか、悲しいからなのか分からないが、臆病者の私のことだから、きっと怖いからなんだと思う。
それはなにも人間に限ったことではない。犬や猫からネズミに至るまで、死体が嫌で仕方がない。一時期ネズミが我が家の屋根裏で大量に繁殖したことがあった。妻が粘着式のネズミ捕りを買ってきて、何匹か捕まえた。時々その処理を私に頼んできた。私が生き物の死体を毛嫌いしているのを十分承知の上で、わざとからかい半分で私に頼むのだ。私は言を左右にして逃げようとするのだが、あれこれ難癖をつけて私が処理せざるを得ない羽目に追い込んでくる。その時の彼女の魔女的な目の輝きは、表現しがたい迫力があり、どうしても逃げ切れずに引き受けてしまう。もうこのときの気持ちほど、悲しくて恐ろしいものはない。半分横を向きながら、ネズミ捕りをごみ収集袋に押し込み、それを持って猛ダッシュで焼却炉まで走って行き袋ごとぶち込む。本当に半泣き状態になるくらい嫌な仕事だ。
それにしても、こんな田舎で暮らしていると何とまあ動物の死体を見ることが多いことか。さすがに狸は初めてだったが、1ヶ月ほど前には蛇が轢かれて道路にへばりついていた。何度も繰り返し轢かれたのだろう、もうほとんど平になって皮だけが残っているような状態だった。そのすぐ後にはネズミが同じようにつぶれた形で地面に無残な死に様を晒していた。こんなことは枚挙に暇がないが、田舎のほうが都会よりも死があからさまなんだなと今さらながら思う。
かく言う私も1年ほど前に猫を轢いてしまった。バスで国道を走っていたら猫が一匹バスの前に飛び出してきた。あまりに突然のことでブレーキもほとんど踏めなかったが、前輪と後輪が猫の体の上に乗った感触があった。「アーッ!」と言って車を停めてバックミラーで確認したが、何も見えない。最後部に乗っていた生徒が後ろを見ても何もいないと言う。あの感触から言って、絶対に轢いたと思ったのだが変だな、と狐につままれたような気がした。生徒を送り届けた後もう一度現場に戻ってみたのだけれど、何の後も残っていなかった。
結局は殺生をせずに済んだわけだが一体なんだったんだろう。ひょっとしたら、尻尾の上をタイヤが通っただけなのかなあ。実に不思議だ。
私は死体というものが大嫌いだ。人間の死体は言うまでもない。今まで生きてきて、自分の母親の死に顔くらいしかまともに見たことがない。この年になれば数多くの人々と別れを告げてきたが、どうしても死に顔を拝むことができず、最後の別れといえども隅のほうから、ちらっとしか見ることができない。怖いからなのか、悲しいからなのか分からないが、臆病者の私のことだから、きっと怖いからなんだと思う。
それはなにも人間に限ったことではない。犬や猫からネズミに至るまで、死体が嫌で仕方がない。一時期ネズミが我が家の屋根裏で大量に繁殖したことがあった。妻が粘着式のネズミ捕りを買ってきて、何匹か捕まえた。時々その処理を私に頼んできた。私が生き物の死体を毛嫌いしているのを十分承知の上で、わざとからかい半分で私に頼むのだ。私は言を左右にして逃げようとするのだが、あれこれ難癖をつけて私が処理せざるを得ない羽目に追い込んでくる。その時の彼女の魔女的な目の輝きは、表現しがたい迫力があり、どうしても逃げ切れずに引き受けてしまう。もうこのときの気持ちほど、悲しくて恐ろしいものはない。半分横を向きながら、ネズミ捕りをごみ収集袋に押し込み、それを持って猛ダッシュで焼却炉まで走って行き袋ごとぶち込む。本当に半泣き状態になるくらい嫌な仕事だ。
それにしても、こんな田舎で暮らしていると何とまあ動物の死体を見ることが多いことか。さすがに狸は初めてだったが、1ヶ月ほど前には蛇が轢かれて道路にへばりついていた。何度も繰り返し轢かれたのだろう、もうほとんど平になって皮だけが残っているような状態だった。そのすぐ後にはネズミが同じようにつぶれた形で地面に無残な死に様を晒していた。こんなことは枚挙に暇がないが、田舎のほうが都会よりも死があからさまなんだなと今さらながら思う。
かく言う私も1年ほど前に猫を轢いてしまった。バスで国道を走っていたら猫が一匹バスの前に飛び出してきた。あまりに突然のことでブレーキもほとんど踏めなかったが、前輪と後輪が猫の体の上に乗った感触があった。「アーッ!」と言って車を停めてバックミラーで確認したが、何も見えない。最後部に乗っていた生徒が後ろを見ても何もいないと言う。あの感触から言って、絶対に轢いたと思ったのだが変だな、と狐につままれたような気がした。生徒を送り届けた後もう一度現場に戻ってみたのだけれど、何の後も残っていなかった。
結局は殺生をせずに済んだわけだが一体なんだったんだろう。ひょっとしたら、尻尾の上をタイヤが通っただけなのかなあ。実に不思議だ。
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後置修飾
2005年11月15日 / 塾
中学3年の英語が一番面倒なところにさしかかった。分詞から関係代名詞にいたる、句や節が後ろから前の単語を修飾する文の形を理解させるのには、毎年手間どる。もともと日本語にはない修飾の仕方だから、簡単には理解できないのだろうが、学校でこれを「後置修飾」などとおどろおどろしい文法用語を持ち出して説明するものだから、余計に生徒たちに拒否反応が広がる。
例えば、「背の高い少年」なら、日本語の語順のとおり a tall boy と言えばいいから簡単だ。それが「髪の長い少年」となると a boy with long hair とはやくも「後置修飾」となってしまう。それでもまだこれなら、前置詞 with の働きによるものだと説明すれば難しい用語など使わずとも理解してもらえる。しかし、これから先がややこしい。
「何か食べるもの」これは不定詞 to を使って、something to eat 。これには無理矢理 something to ~ という熟語だと言っておけば何とか文句は出てこないですむ。しかし、文法的に言えば、これは不定詞の形容詞用法「~するための(べき)」だなどと解説したら、その瞬間に多くの生徒が拒否反応を起こしてしまう。だから、熟語として覚えさせようとしているのだが、分詞を使った文になるともうそんなことは言っていられない。しっかりと説明しなければ、「分からない」の嵐になる。私もできることなら、「後置修飾」などという言葉は使いたくないのだが、使わなければ学校での説明と齟齬が出る恐れがあるので仕方なく使っている。
「走っている少年」 a running boy 。これはOKだ。しかし、「公園を走っている少年」 a boy running in the park 、これになると途端に怪しくなってくる。「なんで後ろからなの」という質問が必ず出る。当然だ、日本語は常に前から後ろの言葉を修飾するのだから。その質問に完全に答えるには言語学的な説明が必要になってしまう。そんなことを言っても余計に迷わせるだけなので、「幾つかの単語がまとまって一語を修飾するときには、そのまとまりを後ろに置くことになっている。だから「後置修飾」と呼ばれるんだ」と説明するしかないのだけれど、果たしてどれだけの生徒が納得してくれたのか心もとない。まあ、結局は言語の違いなど頭ではなく、慣れで克服していくしかないのだから、何度も暗誦すればそれとなく理解できるようになるものだと私は思う。だから、「わからなくても何度も口に出して読んでみろ、そのうち分かるようになるから」と励ましている。
そうやって関係代名詞も乗り越えようとするのだが、なかなか簡単なものではない。続けて書いていこうと思ったが、簡単に纏められるものでもないので、次の機会に譲ろうと思う。今は文部科学省が英語を小学校の科目に導入することを決めたことに触れたい。1ヶ月ほど前に、妻がNHKのラジオのニュースでそれを聞いたらしいが、翌日の新聞にも載っていないし、TVでも取り上げられなかった。聞き間違えかと不審に思ってメールを送ったところ、NHKから我が家に電話がかかってきて、誤報などではなく、しっかりと裏づけのあるニュースであるからと返事が帰ってきた。しかし2・3年の内というだけで正式に何年後とまでは決定していないようだし、授業内容も現在の「総合」の時間を使うのかどうかも、決まっていないらしい。妻は小学生に英語を教えている関係上、「どうなるんだろう」と私にたずねてくるが、そんなことは私には分からない。ただ、中学校のように教科書を使って文法的に説明していったところで、現状を前倒しにするだけで、決して使える英語が身に付くわけがない。耳で聞いて英語のリズムに慣れて、間違いを恐れず、恥ずかしがらずに英語をどんどん話すーーそうした方針で進めるならば、少しは成果が現れるかなと淡い期待は持ちたいと思う。
しかし、そうした教え方のできる先生を養成するのにかなりの時間がかかるだろうから、簡単にはいかないかもしれない。しかし、性急にことを進めずにしっかりしたビジョンの下に、ぜひ実現してもらいたいと思う。
例えば、「背の高い少年」なら、日本語の語順のとおり a tall boy と言えばいいから簡単だ。それが「髪の長い少年」となると a boy with long hair とはやくも「後置修飾」となってしまう。それでもまだこれなら、前置詞 with の働きによるものだと説明すれば難しい用語など使わずとも理解してもらえる。しかし、これから先がややこしい。
「何か食べるもの」これは不定詞 to を使って、something to eat 。これには無理矢理 something to ~ という熟語だと言っておけば何とか文句は出てこないですむ。しかし、文法的に言えば、これは不定詞の形容詞用法「~するための(べき)」だなどと解説したら、その瞬間に多くの生徒が拒否反応を起こしてしまう。だから、熟語として覚えさせようとしているのだが、分詞を使った文になるともうそんなことは言っていられない。しっかりと説明しなければ、「分からない」の嵐になる。私もできることなら、「後置修飾」などという言葉は使いたくないのだが、使わなければ学校での説明と齟齬が出る恐れがあるので仕方なく使っている。
「走っている少年」 a running boy 。これはOKだ。しかし、「公園を走っている少年」 a boy running in the park 、これになると途端に怪しくなってくる。「なんで後ろからなの」という質問が必ず出る。当然だ、日本語は常に前から後ろの言葉を修飾するのだから。その質問に完全に答えるには言語学的な説明が必要になってしまう。そんなことを言っても余計に迷わせるだけなので、「幾つかの単語がまとまって一語を修飾するときには、そのまとまりを後ろに置くことになっている。だから「後置修飾」と呼ばれるんだ」と説明するしかないのだけれど、果たしてどれだけの生徒が納得してくれたのか心もとない。まあ、結局は言語の違いなど頭ではなく、慣れで克服していくしかないのだから、何度も暗誦すればそれとなく理解できるようになるものだと私は思う。だから、「わからなくても何度も口に出して読んでみろ、そのうち分かるようになるから」と励ましている。
そうやって関係代名詞も乗り越えようとするのだが、なかなか簡単なものではない。続けて書いていこうと思ったが、簡単に纏められるものでもないので、次の機会に譲ろうと思う。今は文部科学省が英語を小学校の科目に導入することを決めたことに触れたい。1ヶ月ほど前に、妻がNHKのラジオのニュースでそれを聞いたらしいが、翌日の新聞にも載っていないし、TVでも取り上げられなかった。聞き間違えかと不審に思ってメールを送ったところ、NHKから我が家に電話がかかってきて、誤報などではなく、しっかりと裏づけのあるニュースであるからと返事が帰ってきた。しかし2・3年の内というだけで正式に何年後とまでは決定していないようだし、授業内容も現在の「総合」の時間を使うのかどうかも、決まっていないらしい。妻は小学生に英語を教えている関係上、「どうなるんだろう」と私にたずねてくるが、そんなことは私には分からない。ただ、中学校のように教科書を使って文法的に説明していったところで、現状を前倒しにするだけで、決して使える英語が身に付くわけがない。耳で聞いて英語のリズムに慣れて、間違いを恐れず、恥ずかしがらずに英語をどんどん話すーーそうした方針で進めるならば、少しは成果が現れるかなと淡い期待は持ちたいと思う。
しかし、そうした教え方のできる先生を養成するのにかなりの時間がかかるだろうから、簡単にはいかないかもしれない。しかし、性急にことを進めずにしっかりしたビジョンの下に、ぜひ実現してもらいたいと思う。
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修学旅行

塾の生徒たちも時々自分たちのプランを話してくれた。それを聞いていると、計画を立てることの難しさ、意見をまとめることの大変さが身に沁みたようだ。だれだれが自分の意見ばっかり言って人の話を聞かないだとか、あの子が一緒にいると喧嘩が起こりそうだとか愚痴ともつかぬことを話してくれる子もいて、子供の世界も社会の縮図であることが実感できる。中には私が京都に住んでいたことを知っている子供もいて、どこへ見学しに行ったらいいのかアドバイスを求めてきたこともある。私は「清水寺はやっぱり行かなくては行けないなあ。清水の舞台から下を見てごらん、足元がす~とするぞ。それに金閣もぴかぴかしていてすごいぞ。行けたら行ったほうがいいな」とありきたりのことしか言わないが、果たして私のアドバイスは学校で受け入れられたのだろうか。小学生の京都の修学旅行の定番として、太秦映画村は人気が高いようだから、そこをメインにしたかもしれない。今度聞いてみよう。
修学旅行の様変わりといえば、持って行くことのできる小遣いの金額もかなり自由になったようだ。私たちの頃はもう本当にすずめの涙位のお金しか許されず、内緒でいくらかのお金を隠して持っていったものだが、今は一応3,000~5,000円という制限はあるものの、ほとんど先生からチェックされないらしい。したがって、誰もが1万円近く持って行ったなどと一人の小学生が言っていた。まあ今の世の中観光地に行ってお土産を買うには、最低でも1個500円位はするだろうからそれくらいは持っていく必要があるかもしれないが、贅沢になったものだと思う。同時に、そんなに沢山持って行って、落としたり、悪い奴らにたかられたりしたらせっかくの旅行が台無しになるのに大丈夫だろうかなどと心配になってしまう。しかし、決められたお金の中から私にお土産を買ってきてくれる生徒もいたりするので、子供なりにお金の使い道はしっかり管理するだろうから、普段持ち慣れない額のお金を持ち、それを何にどうやって使おうかと考えてみることも貴重な体験になるだろう。修学旅行といえども学びの場だと考えるなら、お金にまつわる緊張感を味わうことも後々のためには大切だと思う。
ところでそのお土産のことだが、京都といえばやはり八つ橋と誰もが思うのだろう。毎年必ず一人は八つ橋か生八つ橋を土産にくれる。そのたびに、私などのためにわざわざ買って来てくれてと生徒の思いやりの深さに心から感謝して「ありがとう」と受け取る。しかし、本当に申し訳ないのだが、私は八つ橋が大嫌いなのだ。あのニッキの独特な香りがどうしても我慢できず、一度も食べたことがない。家の中では唯一妻が食べられるので、彼女に任せておくと何日かかかって食べてくれる。今年も3人の子供が八つ橋をくれて心底感謝したのだが、冷蔵庫に収まってゆっくりと妻が食べていってくれている。旅行前に、土産を買ってきてくれるなら八つ橋だけはやめてくれと催促するようなことも言えず、どうしたものかと毎年頭を悩ましている。
更にもう一つ。写真に載せたグッズも男子生徒が買ってきてくれたお土産だ。私が松井ファンだと知っていて、わざわざ選んで55の付いたバットとボールのキーホルダーを買ってきてくれた。なかなか面白いものだが、じっと見ると、Godzilla ではなく、Gorilla と書いてある。「ゴリラ松井」なんてのはいないぞと思うが、生徒の好意を傷つけるわけにはいかず、「ありがとう」とだけ言って大事に保管してある。実は、ここ3年連続で同じものを生徒が買ってきてくれて、これが3個目の「ゴリラ松井」グッズである。3つ並べるとなかなかの壮観である。
3つとも私の宝物だ。
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お薬師さん

などと嫌味を書こうとしたのではなかった。毎年11月8日と12日に催されるその寺の縁日について書くつもりだった。その寺には、本尊の釈迦牟尼仏の他、薬師如来も祀ってあり、この両日がその縁日であるため、地元民は「お薬師さん」と親しみを込めて呼び、毎年この時期になると心待ちにしているお祭りである。いつから続いている行事なのか全く知らないが、私が小さい時にはもう盛大に賑わっていたから、100年近く続いているのかもしれない。
その寺には、国道から横道に入り、境内まで100mほどなだらかな坂道を途中大きく曲がりながら登って行くと到着する。縁日の日には、国道から入った参道に沿って3時頃から露店が並び始める。綿菓子・お好み焼き・焼き栗などの食べ物から金魚すくい・風船釣り・サメ釣りなどの遊戯の店まで50以上の露店がぎっしりと並ぶ。それ以外にこの縁日には金太郎飴をはじめとして、各種色々な飴を売る露店も多く並ぶため、昔から私たちは「あめんぼう祭り」と呼んできた。地域限定の小さなお祭りではあるが、参拝すると目に効能があるという評判が行き渡り、、わざわざ遠くからやって来る参拝客も多く、境内まで続く狭い参道は人と露店でごったがえす。私も子供の頃は必ず小遣い銭を握り締めて、友達や家族と行ったものだ。晩秋の冷気が人いきれで緩和された中、露店のオレンジ色の電灯に照らし出された参道を、夢見心地で何度も上り下りしたものだった。
今年もそんな光景が繰り広げられるものだと私は思っていた。しかし、様子が違っていた。
毎年この縁日の日には、地元の中学生はほとんど塾を休む。縁日くらいで塾を休むなと文句は言ってみても、土着民である私にはそれも仕方ないと思う気持ちも強い。今年は火・土にあたり、両日とも中3生が来る日であるから、受験生といえども祭りのほうを選ぶ生徒が多いだろうなと、大量の欠席者を予想していたところ、意外や意外、火曜日には8割位の生徒が出席した。(もっとも土曜は4割くらいの出席率だったが)さすが受験生だけあって気合が入っているなと一人の生徒に話しかけたら、「ちがうよ。今年はお祭りの規模が縮小されて面白くないから行くのをやめたんだ」と答えた。「なんだそれ?店が出てないの?」「店は出てるけど、坂には全然なくて全部お寺の境内と駐車場に集まっている」「えーっ、なんだって。そんな寂しいのはお祭りじゃないだろ」と思わず私が叫んだら、坂の途中に家がある、別の生徒が事情を教えてくれた。「坂に露店があると緊急車輌が通れないから、警察が反対したらしいんです」「反対もなにも、何で今さら警察がそんなことを言い出すんだ」だんだん私は腹が立ってきた。確かに警察の主張は正論だ。お寺近くで火事が起これば消防車、急病人が出れば救急車、犯罪が起こればパトカーがその坂を通らなければならないだろう。しかし、何十年と続けてきたこの祭りの当日に、そんな緊急事態が起こったことが今までにあっただろうか。勿論、今までなかったから今年も何も起こらない保証はどこにもない。しかしなあ、と私は考え込んでしまった。
そう言えば、9月に行われたわが市恒例のお祭りも、道路を通行止めにして露店を並べていい区間が例年よりもはるかに縮小されてしまった。この時は万博がらみで交通渋滞を緩和するための措置だと思っていたのだが、実はその時も緊急車輌が通れるようにという理由が挙げられていたそうだ。
しかしなあ、と私は今でも納得できない。住民のささやかな楽しみである縁日やお祭りを、警察や市当局はどうしてこんなに圧迫してくるのか。警察が警察の論理で動くのは当たり前だし、それでなければ我々住民が困ることも多々あるだろう。しかし、たとえ緊急事態が起こったとしても、参拝客にそれを伝えれば誰も文句を言わずに道をあけるに決まっている。露店だってすぐに移動させるだろう。それで十分ではないだろうか。
勿論様々な考えがあるだろうが、杓子定規ではない対応を来年のこの日までには何としても考え出してほしいと思う。
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三綱領
私の卒業した中学・高校には、三綱領という、いわば校訓のようなものがあり、折あるたびに復唱させられた。今ではウロ覚えになってしまった箇所もあるが、大体は唱えることができる。
・明照殿を敬い、信念ある人となりましょう。
・勤倹誠実の校風を尊重して、よい個性を養いましょう。
・平和日本の有要な社会人となりましょう。
卒業後30年近く経った現在、果たして私は三綱領の掲げる人間に一歩でも近づくことができたであろうか。1つ1つ検証してみる。
>明照殿を敬い、信念ある人となりましょう
明照殿とは浄土宗系の学園の象徴であり、阿弥陀仏を中心に同窓先輩や関係物故者
の霊を祀る殿堂のことである。しかし、振り返ってみて、私はどこにその建物があったのか判然としない。宗教という授業が毎週1回あったが、かったるくて真面目に聞いていなかったためほとんど記憶に残っていない。したがって、明照殿どころか何らかの偶像崇拝はもとより宗教とは全く縁のない衆生として生きてきた。さらには、何か一つの特定の考えに縛られることなく、常に自由な心を持ち多面的な物の見方をするように心がけてきた。勿論これが実践できてきたかは非常に心もとないが、1つの信念に囚われることなく生きていこうとという考えを自らのバックボーンとしてきたことは、逆説的に綱領に従ってきたと言えなくもないだろう。
>勤倹誠実の校風を尊重して、よい個性を養いましょう。
勤倹誠実とは、「あらゆるものを無駄なく生かしつつ真剣に精進すること」であるが、これには全く外れている。見栄ばかり気にして無駄を重ねて生きてきたようなものだから、教えには完全に背いている。しかし、時間やお金を浪費して来たおからこそ、それを取り戻そうと、それどころかもっと無駄ができるようにと日々真剣に精進してきた、と言うこともできるから、これこそ人生のアイロニーだ、などと軽口の一つも叩きたくなる。まさしくこのチャランポランさが私の本質であり、これでよくもまあやって来れたものだと自分でも不思議に思える。これを個性と呼べば呼べなくもないだろうが、決してよい個性などではないから、この綱領からは完全に逸脱してしまったようだ。
>平和日本の有要な社会人となりましょう。
有要な社会人とは、「優れた個性を持ち固い信念を貫き、報恩感謝の念をもって社会のために貢献できる人」のことだそうだ。そこまでの聖人君子しか有要な社会人と呼べないならば、私などにはとてもそんな資格はない。先にも書いたように、優れた個性など持ち合わせていない。固い信念を貫くことも逆説的にしかできない。しかし、報恩感謝の念をもってというのには自信がある。妻は「あなたなんか他人に何でもやってもらって当然だと思っている人だ」などと私を非難するが、そんなことは決してない。彼女は、私が10の善行を施したとしても、ただ1度だけの過ちで全てをご破算にして、ずっとその過ちを非難し続ける女だから、私の謙虚な心を全く理解していない。人から受けた恩は決して忘れることなく、その恩に報いるため最大限の努力をするよう常に心掛けている。しかし、なにせ私はいい加減さが人間の姿をしているような男であるから、他人には私の真情をなかなか理解してもらえない。それもまた己の不徳の致すところであるから甘受しなければならないだろう。
結局、三綱領に掲げられた理念とも言うべき目標を、この年になってまだ半分も達成できていないようだ。全く情けない話である。しかし、このまま生きていってもとても到達できるような目標でもない。少しレベルを下げて身の丈に合った、私家版三綱領を下に掲げ、これからの指針とすることにする。
・奥様を敬い、信頼される夫となりましょう。
・謹厳実直の生き方を体現し、優秀な塾生を育てましょう。
・平和日本の安全な運転手となりましょう。
・明照殿を敬い、信念ある人となりましょう。
・勤倹誠実の校風を尊重して、よい個性を養いましょう。
・平和日本の有要な社会人となりましょう。
卒業後30年近く経った現在、果たして私は三綱領の掲げる人間に一歩でも近づくことができたであろうか。1つ1つ検証してみる。
>明照殿を敬い、信念ある人となりましょう
明照殿とは浄土宗系の学園の象徴であり、阿弥陀仏を中心に同窓先輩や関係物故者
の霊を祀る殿堂のことである。しかし、振り返ってみて、私はどこにその建物があったのか判然としない。宗教という授業が毎週1回あったが、かったるくて真面目に聞いていなかったためほとんど記憶に残っていない。したがって、明照殿どころか何らかの偶像崇拝はもとより宗教とは全く縁のない衆生として生きてきた。さらには、何か一つの特定の考えに縛られることなく、常に自由な心を持ち多面的な物の見方をするように心がけてきた。勿論これが実践できてきたかは非常に心もとないが、1つの信念に囚われることなく生きていこうとという考えを自らのバックボーンとしてきたことは、逆説的に綱領に従ってきたと言えなくもないだろう。
>勤倹誠実の校風を尊重して、よい個性を養いましょう。
勤倹誠実とは、「あらゆるものを無駄なく生かしつつ真剣に精進すること」であるが、これには全く外れている。見栄ばかり気にして無駄を重ねて生きてきたようなものだから、教えには完全に背いている。しかし、時間やお金を浪費して来たおからこそ、それを取り戻そうと、それどころかもっと無駄ができるようにと日々真剣に精進してきた、と言うこともできるから、これこそ人生のアイロニーだ、などと軽口の一つも叩きたくなる。まさしくこのチャランポランさが私の本質であり、これでよくもまあやって来れたものだと自分でも不思議に思える。これを個性と呼べば呼べなくもないだろうが、決してよい個性などではないから、この綱領からは完全に逸脱してしまったようだ。
>平和日本の有要な社会人となりましょう。
有要な社会人とは、「優れた個性を持ち固い信念を貫き、報恩感謝の念をもって社会のために貢献できる人」のことだそうだ。そこまでの聖人君子しか有要な社会人と呼べないならば、私などにはとてもそんな資格はない。先にも書いたように、優れた個性など持ち合わせていない。固い信念を貫くことも逆説的にしかできない。しかし、報恩感謝の念をもってというのには自信がある。妻は「あなたなんか他人に何でもやってもらって当然だと思っている人だ」などと私を非難するが、そんなことは決してない。彼女は、私が10の善行を施したとしても、ただ1度だけの過ちで全てをご破算にして、ずっとその過ちを非難し続ける女だから、私の謙虚な心を全く理解していない。人から受けた恩は決して忘れることなく、その恩に報いるため最大限の努力をするよう常に心掛けている。しかし、なにせ私はいい加減さが人間の姿をしているような男であるから、他人には私の真情をなかなか理解してもらえない。それもまた己の不徳の致すところであるから甘受しなければならないだろう。
結局、三綱領に掲げられた理念とも言うべき目標を、この年になってまだ半分も達成できていないようだ。全く情けない話である。しかし、このまま生きていってもとても到達できるような目標でもない。少しレベルを下げて身の丈に合った、私家版三綱領を下に掲げ、これからの指針とすることにする。
・奥様を敬い、信頼される夫となりましょう。
・謹厳実直の生き方を体現し、優秀な塾生を育てましょう。
・平和日本の安全な運転手となりましょう。
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銀杏

わが市を走る国道沿いに1本の大きな銀杏の木が立っている。その木が一気に全身黄色くなった。遠くから眺めると大きな箒を逆さに立てたように見えて壮観である。写真に撮ろうとしたが、車の流れでちょうどよいところに停まれず、見上げるようなアングルでしか撮れかった。それでも、立派な木であることは見てとれる。しかし、本当にデジカメを買ったほうがいい。最近携帯で撮った写真はまるでピントが合っていない。せっかくの自然美も台無しだ。
銀杏の木を歌った短歌として、最初に頭に浮かぶのは与謝野晶子の歌だ。
金色の小さき鳥の形して 銀杏散るなり夕日の丘に
銀杏の葉を鳥に見立てた想像力といい、金色と真っ赤な夕日の色彩のコントラストといい、落葉と夕方というどこか物悲しさを漂わせるものを見事に歌い上げている。この歌は誰でも知っているものだろうと思って、何年か前の秋にそれとなく口ずさんでみたところ、妻がきょとんとした顔をする。「誰の歌?」「えっ、知らないの?与謝野晶子だよ」「ふ~ん、私は『君死に給ふことなかれ』しか知らない」なるほど、いくら長いこと一緒に暮らしていても知らないこともあるんだなと、至極当たり前のことに思い至って妙に感心したことがあった。まあ、妻の頭の中までは覗かないほうが無難だとは思うが・・
何故だか、今年の秋は紅葉を待ちわびていた。このブログのネタにしようという下心もあるせいなんだろうが、若い頃は気にも留めなかった、紅葉や銀杏の葉の変化が妙に気にかかった。先日ラジオで日本人が紅葉を何故こんなにも愛でるのかを簡単に解説していた。それによると、
①楓や漆など紅葉する樹木が多い。
②北半球の中では比較的暖かい秋が長く続く。
③山紫水明で紅葉が映えるロケーションに恵まれている。
ということらしい。こう客観的な理由を幾つか挙げられると、そうかと、思わず納得はする。しかし、何かもうちょっと心情的な分析をしてくれてもいいのにと思った。そこで、私なりに考えてみた。紅葉する木々は当然の如く落葉する。葉を花に喩えるなら、色づいたときが満開のときである。それを過ぎると潔く散り落ちる、まるで桜のようだ。日本人が桜をこよなく愛するのと同じ心情が働いて紅葉を愛するのではないだろうか。華を過ぎれば潔く散る、そうした散り際の見事さが見る者の精神をしゃきっとさせ、去り行く季節を惜しむよすがとなるのかもしれない。
長期の変動を調べると、50年前に比べ楓の紅葉は16日近く、銀杏の黄葉も11日近くも遅くなり、逆に桜の開花は4日以上早まっていると、今朝の毎日新聞に書いてあった。これは地球温暖化の影響によるのだろうが、何とかして環境悪化に歯止めをかけなければ、古人が楽しみ、私たちの心にも深く影響を与えてくれる、季節の移ろいを味わうことは難しくなってしまうのだろう。
ストップ・ザ・温暖化!!
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