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おはぎドーナッツ

 我が家は神式の家系なので、仏式の行事には疎い。お彼岸にお墓参りをするという習慣がないので、昔からお彼岸がいつなのかよく分からないできた。最近になって、春分の日、秋分の日の前後3日ずつ、合わせて7日間がお彼岸だというのを知った。今年は昨日20日が春分の日だったので、17日から23日までが春のお彼岸ということになる。
 なるほど、とそれを知って合点がいったことが一つある。それは、一昨日にパン屋で見つけて買ってきた「おはぎドーナッツ」。ただのアンドーナッツとどう違うのかと興味津々で買ってきたのだが、お彼岸の時期ならばこうした一風変わったパンが販売されていても不思議ではない。

  

 見た目は何の変哲もないアンドーナッツのようだが、半分に割って中身を見たら、確かにおはぎが入っている。ドーナッツとおはぎを一緒に食べるようなものかな、と少々おっかなびっくりで食べてみた。おいしい!おはぎの味もドーナッツの味もしっかりするのに、どちらも余計な主張をしてこない。かと言ってまったく別の食べ物でもなく、ほどよい加減に味がミックスされていて、実においしい。これは驚いた。妻も一口つまんで、「ドーナッツの皮がおいしいからかな・・」と感想を言ったが、そんな気がしなくもない。
 だが、一つ気になったことがあった。
「おはぎって言うけど、これはぼた餅でしょう?」
 私がそんな疑問を妻にぶつけたら、意外なことを教えてくれた。
「ぼた餅っていうのは牡丹の花が咲く頃のお彼岸に食べるもので、おはぎは萩の咲く頃のものだそうなんだって」
「へえ、そうなの?てっきり、ぼた餅は粒餡でできていて、おはぎは漉し餡で作ったもの、そんな違いだとばかり思っていた・・」
「そういう考えもあるかもしれないけど・・」
 そう言われて調べてみたら、妻の言った通りのことが書かれていた。結論から言えば同じものだが、季節によって「春のお彼岸にはぼた餅、秋のお彼岸にはおはぎ」という風に呼び名が変わるのだそうだ、知らなかった・・。
 
 などと言っていたら、ぼた餅が食べたくなった。翌日市内の餅屋にぼた餅を買いに行ってきた。この店は本来はお祝い餅や赤飯を専門に作っている店だが、あんころ餅やぼた餅も売られていて、客足が絶えない。

 

 大きくもなく、小さくもない、ちょうど食べごろの大きさの餅をたっぷりと粒餡で包んであって、これもまた絶妙のおいしさだ。パンとの合体もそれはそれとして面白くはあるが、やっぱりぼた餅はぼた餅として食べたいと思った。
 そんな折、あんこ好きの私には堪らないものを親戚から頂いた。


 お彼岸のために作ったぼた餅用のあんこを玉にしたものだ。もう最高!!
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カブトムシを育てよう

 父が畑から大量にカブトムシの幼虫を持ち帰ってきた。

 

 なんでも畑の肥えにしようと古畳を並べていたら、そこにカブトムシが卵を産みつけたらしくて、畳を開いてみたらこんなにも大量の幼虫がいたそうだ。しかも皆大きくてちょっとギョッとする・・・。
「塾の生徒で欲しい子はいるかな?」と嬉しそうに私に尋ねるが、最近の子供は虫を育てたことなどあまりないだろうし、虫嫌いの男の子も多いので、
「ちょっと無理かな」と答えると、「なんだ・・」と詰まらなさそうに言った。
せっかく意気込んで持ち帰ったのに、ちょっと可哀想だったかなと思って何人かの小学生にカブトムシの幼虫が欲しいか尋ねてみた。すると、高学年の子は「いらない」とにべもなかったが、低学年の男の子が4人ほど欲しいと言ってくれた。それじゃあ、と父のところへ連れて行くと、満面に笑みをたたえながら、一人一人に丁寧に分けてくれた。満足入った様子だったので私も安心した。
 残りの多くは私の妹が知り合いに分けると言って、持って行ったそうだが、まだ数匹の幼虫が残っていた。そのまま捨ててしまうのもちょっと哀れかなと思って、私が育ててみることにした。子供のころに成虫のカブトムシやクワガタは飼ったことが何度もあるが、幼虫から育てたことは一度もない。育て方など皆目分からないが、まあ、適当に世話してやれば成虫になってくれるんじゃないかと、カブトムシの生命力の強さに頼ることにして、一応の形だけは整えてやることにした。
 庭の片隅に何年も放置してあった小さな金魚鉢を飼育箱にすることにした。父は、畑から持ち帰った幼虫の育った畳の腐葉土とおがくずを混ぜてやればいいと言うので、それに従ってみた。

 

 私は虫は怖くもないし、気持ち悪いとは思わない。刺したり噛んだりされるのはいやだが、触るくらいは平気だ。鳥と比べれば可愛いものだ。調べたところ、この幼虫は、卵からふ化した後2度脱皮した3齢虫のようだ。もう一度脱皮するとサナギになるようだから、かなりカブトムシに近づいている。しかし、改めて写真にうつった顔を見てみると、カブトムシのもつ威厳のようなものはかけらもない。ただのミニモスラだ・・。
 この後の世話は、土が乾燥しないように時々霧吹きなどで湿らせてやるくらいのことだ。妻は、私のような者は最後まで世話をしないから、生き物を飼っちゃいけないとよく言う。しかし、いくらなんでも時々土に湿り気を与えるくらいのことは私にだってできる(はずだ、たぶん・・)。とりあえず、土に水を薄く撒いておいたが、1時間ほどたって水槽を覗いてびっくりした。幼虫がいない!


 どうしたんだろう、と思いながら水槽を見つめていたら、通りがかった父が、「土の中にもぐったんだ」と教えてくれた。「なるほど!」と幼虫たちが新居を気に入ってくれたような気がしてほっとした。
 
 はてさて、うまく成虫になってくれるだろうか?これからカブトムシの成長記を折に触れて書こうと思っているが、くれぐれも全滅しないように定期的に世話することだけは忘れないでおこう。
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ディアスポリス

 週刊モーニングに連載中の「ディアスポリス-異邦警察」が今一番面白い漫画だと思う。単行本は7巻まで出ているが、全部持っている。単行本を毎巻買っているいるのは他に「あずみ」だけだから、私にとってはこの二作を現今の二大漫画と称してもいい。
 

 「異邦警察」とはどんなものか?その概略が第一巻に記されている。

 東京には密入国異邦人(ディアスポラ)・不法就労外国人、約15万人。
 悪い奴もいるが、貧しい出稼ぎや日本政府の認定を受けられない難民も大勢いる。
 そういう連中が、この東京で
密入国外国人の密入国外国人による密入国外国人のための都庁をつくりあげた。
 そこには役所もあれば厚労相の許可しない病院や文部科学省の知らない学校、金融監督庁と無関係の銀行、郵便局、警察・・・。 

 こんな組織など実際には存在しないだろう(たぶん・・)が、ひょっとしたらあるかもしれないと思わせるリアリティーで迫ってくるこの物語の主人公は、警察署長として、日夜厳しい任務を全うしている久保塚早紀である。「異邦人」を唄った久保田早紀と似た名前をもち、ハードボイルド時代の松田優作を髣髴とさせるいでたちで、部下の元エリート銀行員鈴木とともに、裏都民の安全と平和のためにまさしく身を挺して次々現れる敵と戦う彼の記録と呼ぶべきものが本書である。
 暴力的なシーンも多いし、絵柄も決してきれいとは言えない。しかし、実に面白い。私の知らない裏世界を垣間見る好奇心のようなものが刺激されるのかもしれない。しかし、脚本者のリチャード・ウー(実は日本人らしい)は、
 「そんな胡散臭い物語(本書)は、実はあなたと地続きのすぐ近くにあり、今現在、そして将来の日本だということも、ご理解ください」
と警鐘を鳴らす。母国で迫害を受けて日本に逃げ込んだ者、一攫千金を求めて日本で夢をかなえようとした者、そうした様々が背景を持った人々が織りなすドラマは、たとえ漫画の世界の話だとしても心を打つ。誰もが必死で生きているのに、決してうまくいかない、そんな社会の裏側にうごめく人々の生き様について語れるだけのものを私は何も持っていない。この物語に登場する人物は、皆悲しく辛い過去を背負っている。この日本という国の中でぬくぬくと生きてきた私などには彼らのなめて来た辛酸は想像すらできないであろう。
 だが、そんな私でも、ここ数日来のチベットでの暴動のニュースを見聞きするたびに「裏世界が私たちと地続きである」というウーの言葉が現実味を帯びた重い響きをもって胸に迫ってくる。報道によれば、チベット民族の中国政府に対する苛立ちが爆発したものだと言われているが、それに対する中国側の過酷な取り締まりもこれから問題となるであろう。オリンピックを目前に控え、沈静化に躍起となるあまり、チベット民族への弾圧が強まることさえあるかもしれない。その場合には、国を脱出し他国へ逃げのびる人々も多くいるだろう。そのうちの何人かが日本にやって来て、私の近くに身を潜めることだってないとは言えない・・。毎日の自分の生活だけで精一杯の身には、唐突とも思えるチベットの騒乱に知らぬうちに拘わってしまうかもしれないのが、現代社会だ。閉じられているようですぐに他とつながってしまうのが現代である。まったくの対岸の火事などというものは実はもうないのかもしれない。
 周囲わずかな範囲のことにしか心が向かない毎日を送りながら、時にはそれではいけないと苛立ちながらも、どうしようもなくやっぱり流されていってしまう、そんな風にして毎日を暮らしていったら、いつの間にかにっちもさっちも行かなくなっている、そんなことにならないように、時々は「ディアスポリス」を手にとって、世界の情勢に思いをはせるのも私にとっては大切なことではないか、などと少々強引なことも思ったりする昨今である。
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八重桜

 日曜日は本当に暖かった。上着を着ずにシャツ一枚でいられたほどだった。車の中は暑いくらいで、思わず腕まくりをして運転していた。そんな時、
「あっ、桜が咲いてる」と妻が叫んだ。
「梅じゃないの?」
「ちがう、あれは桜だよ」
運転している私では後ろを振り返ることもできないので、
「ふ~~ん」と曖昧な返事しかできなかったが、内心は「いくらなんでも桜が咲いてるわけないだろう」と思っていた。名古屋市内の桜は私の住む市よりも毎年開花が早いが、それでも桜が咲くにはまだ早すぎる、きっと見間違いだ、と思いながら帰宅したところ、
「あっ、ウチの桜も咲いてる!!」妻がまた叫んだ。
「えっ、本当かよ?」と慌てて車を止めた。本当だ、確かに咲いている!!

 

 これは娘が生まれたときに記念樹として植えた八重桜だ。例年はソメイヨシノが散り果てた後で、おもむろに咲き出すのにいったいどうしたことだろう。五分咲き程度だろうが、前日までまったく気が付かなかった。車庫の裏手にあるといっても、見えないところではないので、一気に咲いたとしか思えない。こんなことってあるのだろうか、不思議だ・・。家の庭の梅がやっと咲きそろったばかりなのに桜が咲くなんて・・。ここ数年、異常気象が当たり前のようになっているが、今までの経験から書き上げた暦が通用しなくなり始めたのは困ったことだ。
 気がつけば、桜の根元には水仙も咲いていた。


 清清しい花だ。枯れ草ばかりだった土手にも少しずつ緑が多くなっている。じっと目を凝らしたら、小さな青い花を付けた野草がびっしりと生えていた。


 新しい命の息吹が感じられる季節になってきた。そう言えば、ネコが盛んに鳴きあっている声もよく聞く。恋の季節なのだろうか・・。
 冬の寒さを凌ぐために私の寝室の隣部屋に並べてあるシンビジュウムの鉢にも新しい芽がいくつか伸びてきている。

 

 花芽なのかどうかの区別もつけられない私では、立派な花を咲かせられるはずもないが、この冬は水遣りを怠ることはなかったし、栄養も挿してやった。もう少ししたら可愛い花が咲くかもしれない。
 
 次の日曜あたり、八重桜の下でお花見としゃれ込むことはできるだろうか・・。ちょっと楽しみだ。
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再開&再会

 昨日の日曜日は元日以来久しぶりの休日だった。ずっと休みなしで塾をやってくると、休日をどうすごしたらいいのか分からなくなる。出かけるのがいいか、家でごろごろするのがいいか・・、どちらも魅力的ではあったが、とりあえずやらなければならないことだけは済ませておこうと、4月から幼稚園に通うことになった双子の甥・姪にお祝いを持っていくことにした。ならば、ついでに名古屋の松坂屋で買い物をしたいという妻の意向を受け入れて、はじめに栄に向かった。
 休日なら、時間をどう過ごそうと大して苦にはならないはずなのに、どうしても効率よく過ごさねばならないという思惑が働いて、順序立てて行動しようとしてしまう。丸々一日休みだという日は久しぶりなので、どうしても調子がつかめない。ついつい時計を気にしてしまうし、何かしなければ落ち着かない。そのたびに、「今日は休みだぞ!」と自分に言い聞かせたのだが、そんなことを言わなければならない自分が少々情けなかった・・。
 そんな気持ちで松坂屋をふらついていた私は、「赤福はどうなってるだろう?」という妻の呟きにはっとした。
「なんだ、今日は営業を再開した赤福の様子を調べる、という大事なミッションがあったじゃないか!」
などとやっと自分の仕事が見つかった喜びで、地下一階の赤福売り場に急行した。

 

 しかしながら、喜び勇んだ私を待ち受けたものは、「本日の赤福餅は完売いたしました」という張り紙だった。それでも店の前には何人かの人が並んでいる。様子をうかがうと、どうやら土産物として持ち帰るための店頭での販売は終了したものの、店内での赤福を食べることはできるようだ。「それじゃあ」と列の最後尾に並んでみた。
 5分ほど待ったら店内に招き入れられた。思いのほかスムーズに回転しているようだが、それも店員の人々が並んでいる客にあらかじめ注文を聞いておいて、会計まで済ませておくという努力の賜物であった。

 
 
 私は一皿に赤福餅が2個のっている二粒盆、妻は二粒盆と抹茶を注文した。

  

 私は以前偽装問題で営業停止処分を受けた赤福を大目に見てもらえないかなどと少々乱暴な意見をこのブログで書いたが、この赤福を食べた瞬間に自分の考えが間違っていなかったことを悟った。おいしい!とにかくおいしい!!餅が柔らかいとか、餡がおいしいとか、そんなのは当たり前だ。細かいことなどどうでもいい、とにかくおいしい!!こんなおいしいものが販売停止になっていたなんてどう考えても惜しい。もちろん企業としての赤福の営業姿勢は糾弾されるべきであろうが、それにしてもこんなにおいしいものがしばらく食べられなかったのは、私たちにとって不幸なことであった・・。
 二度と指弾されるようなことはしないだろうが、これからもおいしい赤福を食べさせてもらいたい。赤福と再び会えた喜びをかみしめながら、あっという間に二個を平らげてしまった私であった。

 オイシカッタ!!
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あのね、

 あーちゃん、ひまちゃん、いいものあげる。


 4月から二人とも幼稚園に行くんだよね。これを冷蔵庫に貼っておいて帽子とか掛けるといいよ。おじちゃんが毎日飲むウーロン茶に付いてたおまけを集めたものだけど、二人にあげるよ。何なのか、もう分かるよね。青いのがゾウさん、灰色がパンダ、赤いのがおサル、肌色がワンちゃんで黄色がネコ、ピンクはウサギさんだよ。こうやって並べると可愛いでしょう。
 でも、ちょっとふつうとは違うよね。どこが違うと思う?・・・そうだね、色が変だよね。青いゾウさんなんて見たことないし、パンダは白と黒だよね。おサルのお尻は赤いけど、体中真っ赤なサルはいないよね。ウサギだって目は赤いけど、ピンクの毛をしたのは見たことがない、やっぱり変だよね。でもね、色はふつうのとは違うけど、パンダはパンダに見えるし、おサルはどう見たっておサルだよね。どうしてかなぁ?・・・それはね、動物っていうのは仲間によって形が決まっているからなんだよ。ゾウさんはみんな鼻が長いし、ウサギは耳が長い。ひまちゃんとあーちゃんは人間って仲間だから、頭には毛が生えていて、手には物がつかみやすいように指があって、立って歩くでしょ。それはお父さんでもおじちゃんでもみんな同じだよ、みんな人間だからね。そんなふうに動物は仲間ごとに決まった形をしているから、他の仲間と見分けがつくんだよ。おもしろいね。
 でも、よく見ると色だけじゃなくって、もっと他にも変なところがあると思わない?じっと見てみて・・・。そうだね、ゾウさんがネコよりも小さいなんておかしいよね。ゾウさんはネコよりもずっとずっと大きいから、こんなの変だよね。本当はこれくらい違うよねぇ。

 

 動物って面白いよねぇ。仲間によって色が違うし、形が違うし、大きさが違う。同じ仲間でも少しは違ってるけど、だいたいは同じ、そういう同じところを「特徴」って言うんだけど、もっと他にも色んな「特徴」があるんだけど、どんなものがあるか分かるかな?分からない?難しいかな・・。それじゃあ、ヒント出すよ。イヌはどうやって鳴く?そう、「ワンワン」って鳴くよね。ネコは?「ニャー」だよね。それじゃあパンダは? ふふふ・・、パンダの鳴き声はおじちゃんも知らないんだ、ごめんね。でもね、パンダにはパンダの鳴き声があるんだよ。そうじゃなきゃ、仲間どうしでお話できないもんね。
 パンダの声聞きたいよね。どうやって鳴くんだろう?
 あーちゃんとひまちゃんは動物園に行ったことあるよね。おじちゃんもウチのおネエちゃんやおニイちゃんが小さかった頃はよく行ったよ。おじちゃんはライオンやトラが好きだけど、あーちゃんは何が好き?ひまちゃんは?
 行きたいよね、動物園・・。そうだ、今度おじちゃんと一緒に動物園に行こうね。約束だよ!!
 
 
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墓場鬼太郎

 木曜日の深夜(日付は3月14日)、家に帰ってTVを点けたら「鬼太郎」がやっていた。こんな深夜に何故鬼太郎?と不思議に思いながらしばらく見ていたら、どうもふつうの「ゲゲゲの鬼太郎」とは趣が違う。鬼太郎の髪形が違う。背景が妙に古めかしい。めだま親父がスマートだし、ねずみ男がいい奴っぽい・・。何だこれは?と訝しくなってきたので、夕刊のTV欄を見た。すると、2:00からは「墓場鬼太郎」と書いてあった。???、「墓場鬼太郎?何だ、それ?」とますます訳が分からなくなったが、話はなかなか面白くて思わずTVに入り込んでしまった。

 ジョニーと呼ばれる吸血鬼が総理大臣を襲おうとしているのだが、それを察知した総理が鬼太郎をボディーガードに雇う。それを知ったジョニーは、魔力を持ったギターを弾き鳴らして眠っている鬼太郎を自分の館に誘い込む。ジョニーの秘書となっていたねずみ男が、ジョニーの仲間になるよう鬼太郎を説得するものの、拒否されたため、ジョニーは鬼太郎を薬で溶かしてしまう。邪魔者がいなくなったジョニーは総理を襲うが、鬼太郎のしゃれこうべが危機一髪のところで総理を救う。館に戻ったジョニーは鬼太郎とねずみ男を、館の下にある二度と戻れぬ砂丘に突き落とすが、自らもめだま親父の捨て身の攻撃に屈して砂丘に落ちてしまう。その後めだま親父の機転で縄梯子を伝ってねずみ男は脱出するが、ジョニーはねずみ男が火をつけた館とともに砂丘にまっさかさまに落ちていく。
 鬼太郎は、骨と溶けた液体を三年恐山の温泉につけておけば元通りになるらしい・・。

 などと覚えている限りのあらすじを書いても面白さは伝わらないだろうが、レトロな雰囲気の漂うアニメで見ていたら、途中で止めることが出来ずに、とうとう最後まで見てしまった。
 金曜日に改めてネット検索してみたら、面白いことが分かった。

 『2008年1月10日よりフジテレビ系列の深夜アニメ枠『ノイタミナ』他で放送開始。全11話予定。少年誌で連載される前の貸本版の『墓場鬼太郎』を原作とし、内容・キャラクターデザイン共に当時のものを踏襲した怪奇漫画風となっている。また、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第1~2作目で演じた声優(鬼太郎:野沢雅子、目玉親父:田の中勇、ねずみ男:大塚周夫)が再び当時と同じ役を演じる。
 高度経済成長時代へと歩み出そうとする裏側で、まだ貧しさや死の影が色濃く残っていた昭和30年代の日本を舞台に、幽霊族最後の生き残りとして墓場から生まれた鬼太郎の誕生秘話がついに紐解かれる。

 

 もう2ヶ月以上も放送されていたのか、全然知らなかった。
 アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』がTV放送されてから今年で40年になると言うのだから、ちょうど私が漫画を読み始めた頃に放送が始まったことになる。そう言われてみれば、私がTVで見始めた頃の鬼太郎は今のアニメほど善良なキャラではなかったような気がする。もちろん、ねずみ男のようにこすっからくもなかったが、人間と妖怪の狭間にあって苦しむといった設定だったような気がする。ひょっとするとこんな印象を持っているのは、「妖怪人間ベラ」と話がごっちゃになっているせいかもしれないが、初めて見た「墓場鬼太郎」から子供の頃に見た「鬼太郎」を思い出したのも、ある意味当然だったのかもしれない。
 私が見た「霧の中のジョニー」は第9話なので後2話しか放送されないことになる。私が好きな一反もめんやぬりかべ、ねこ娘、こなきじじい、砂かけ婆あなどは誰も登場しなかったから少々寂しい気もした。果たして残りの2話で彼らが登場するのか、楽しみにしよう・・。

 YouTube で見つけた「墓場鬼太郎」OPを貼っておく。


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クロスレンチ

 これだけ暖かくなれば、さすがにスタッドレスタイヤを外してもいいだろうと、公立高校の入試も一段落した昨日、バスのタイヤ交換をすることにした。その準備のために前日にはオートバックスでクロスレンチを買ってきた。マイクロバス3台のうち、2台のスタッドレスタイヤには、自動車屋がタダで譲ってくれた中古のアルミホイールがつけてあるが、アルミホイールのナットの穴に家にあったレンチでは厚さが合わないため、ヤスリで細く削って使ってきた。しかし、それでも使い勝手があまり良くなく、タイヤ交換のたびに苦労してきたので、薄手のレンチを買わなくちゃ、とずっと思い続けていた。しかし、何と言っても怠惰な性格であるため、なかなか買いに行くことができなかった。ところが、昨年の大晦日に息子とその友人にタイヤ交換をしてもらった時には、レンチが扱いににくくてかなりの時間がかかってしまったし、結局はナットの締め方が甘くて、ガソリンスタンドで締め直してもらったりしたため、さすがに次のタイヤ交換の時には必ず新しいレンチを買おうと思い続けてきたため、今回は何とかオートバックスに買いに行くことができた。

 

 ナットにはめる部分をソケットと呼ぶらしいが、21㎜サイズの薄口ソケットがダブルで装備されたクロスレンチが900円弱で買えた。案外安いのに驚いたが、こんなに安いものならもっと早く買えばよかったのに、と改めて後悔した。
 家に戻って早速バスのホイールにセットしてみたら、ピタッと嵌まって気持ちがよかった。「よしッ、外そう!」と意気込んで、両手で握って力を込めてレンチを回そうとしてみたが、ウンともスンとも動かない。「おかしいなあ・・」と思いながらも、全身の力をレンチに集中させたが、一向に回る気配がない。よほどきつく締まっているのだろう(と言っても自分で締めたのだから世話はない)。私はナットをどれだけきつく締めたらいいのか、その加減がよく分からないので、手を使ってできるだけきつく締めた後に、レンチの柄の部分を足で蹴って、「ギュッ!ギュッ!」と音がするまで締めることにしている。こんなにまできつく締める必要はないかもしれないが、この音を聞かないと途中で外れてしまいそうで不安になる。ぞうり履きで細い金属の棒を蹴るのだから、足の裏が痛くなってしまうが、そうしないと気が収まらないのだから仕方がない。
 こんな風にして思い切り締めてあるのだから、両手の力だけではとても叶わない。クロスレンチを使いさえすれば、あっという間に作業を終えられるとばかり思っていた目論見が外れてしまい、いささか狼狽してしまったが、今までずっとやってきたようにクロスレンチも足で蹴るしかないなと、思い至った。だが、穴に嵌まる以外の部分の重量が重いせいなのか、足で蹴るとレンチが穴から外れてしまってうまくいかない。何度か試行錯誤するうちに、なるべくぎゅっと穴に突っ込んで、安定させてから思いっきり蹴れば、「ギュッ」と音を立ててナットがゆるむのを発見した。そんなコツをつかんだ後は作業がスムーズに進むようになった。やはり何でも失敗から学ぶことが大切なんだと、実感した・・。
 予想以上に時間はかかったものの、何とかバス一台のタイヤを交換し終えたら、体中がヘトヘトになっていた。1日でバス3台のタイヤを交換しようと意気込んで始めたが、これではとてもそんなことはできそうもない。一台で精一杯だ。いったい何だ、このスタミナのなさは!情けない・・。これ以上やったら夕方からの塾の授業に差し障りがあると判断して、とりあえずバス一台の交換だけで満足しておくことにした。外したスタッドレスタイヤをタイヤ置き場に並べて作業を終えようとしたら、タイヤの溝に多くの小石が挟まっているのに気づいた。

 

 さすがに毎日市内を縦横に走り回っているだけあって、色んなところで小石がタイヤに挟まってしまうのだろう。金具を使って1つ1つ小石を取って溝をきれいにしてから棚に並べた。来年もまだまだ使わなければいけないから、少しでも長持ちするよう丁寧に扱わなければならない。
 
 それにしても疲れた。
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「アニキの時代」

 谷岡雅樹「アニキの時代」(角川新書)を読んだ。「Vシネマに見るアニキ考」と副題があるように、Vシネマ評論家という作者が見てきた、アニキ俳優たちの本質を解説するという内容になっている。Vシネマというものを、竹内力の「難波金融伝・ミナミの帝王」シリーズしか見たことのない私にとっては、ほとんど興味のない世界を描いたものであり、途中斜め読みになってしまった箇所もたくさんあったが、それでも何とか読み終えたのは、最近よく耳にする「アニキ」という存在が現代社会の中でどういう意味合いを持っているのかが知りたかったからである。
 著者は、「アニキ」を『「物分りよく接する大人」でもなければ、「オヤジ」でもない、新しい水先案内人』だと定義する。そして具体的な例として、Vシネマの二大帝王、哀川翔と竹内力から始まって、小沢仁志・白竜・清水健太郎・寺島進などの役者たちの「アニキ」ぶりを述べ立てる。しかし、残念なことに私はこのうち哀川と竹内くらいしか認識できないので、Vシネマの歴史などと絡めて説明されてもピンとこなかった。Vシネマの世界だけでなく、もっと広い視野で「アニキ」という存在についての解説を期待していただけに途中から読むのが面倒になってしまった。
 それでも何とか「あとがき」までたどり着いたところ、著者の考える「アニキ」像がまとめてあったので、以下にそれを書き出してみる。
 
 ・アニキは、かつてオヤジたちが持っていたような既得権益にしがみつかない。
 ・アニキはオヤジの能書きをたれずに、黙って背中で見せる、黙って働く。
 ・アニキは既存のシステムには参加しないし、共同体にも参画しない。
   (アニキと弟分との関係は、無数に広がる「一対一」の関係である)
 ・アニキが必要としているのは人間であり、人材ではない。

 なにやら「アニキ」に対する著者の熱い思いが伝わってくる文言であり、確かにこんな人物がいたら「アニキ」と慕う者も多いだろう。
 
 私が塾を始めた頃は、まだ生徒たちと年齢が大して離れていず、まさしく「アニキ」のような気持ちで毎日生徒たちと接していた。谷岡の言うような小難しいことなど考えたこともなかったが、心は生徒たちと密接に結びついていたように思う。それが年月が過ぎ、生徒と私の年齢がだんだん離れていき、自分の子供よりも若い生徒ばかりになってしまった今では、気持ちの上ではまだまだ「アニキ」のような溌剌さは忘れないようにしているが、年齢のギャップは如何ともしがたく、ついつい生徒たちに説教してしまうことが多くなってきた。昔と変わらず「黙って俺について来い!」といった思いで接しているつもりでも、私の吹く笛に生徒たちが思い通りに踊らなくなってしまっている。そうした心の距離が開いてしまったのは、もう私が「アニキ」なんかじゃなくて「オヤジ」になってしまったからなんだろう。そのスイッチに切り替えが自分の中でうまくいっていないのが、ここ数年の私の生徒に対する苛立ちの原因なのかもしれない。
 
 作者が言うように、今の時代が「アニキ」的なリーダーを求めているのかどうか、私にはよく分からない。著者の「アニキ」像に当てはめてみれば、小泉純一郎が「アニキ」的な指導者であったような気がしなくもないが、世の中を引っ掻き回しただけで自負するほどの改革は成し遂げられなかったように思う。その後の安倍ちゃんはただの「坊ちゃん」だったし、福田康夫に至ってはドラえもんが傍についていない「ノビ太」にすぎない。こんなに頼りないリーダーを前にしても、「アニキ」を求める声が澎湃と広がっているようには思えない。しかし、目をアメリカに移してみると、どうだろう、民主党の大統領候補にならんとしているオバマは「アニキ」だと言えないだろうか?彼の政治信条や施策方針などよく知らない私であるから、軽々に言うべきではないのは重々承知しているが、それでも、漏れ聞くところから「アニキ」っぽいなぁ、と思わないでもない。さて、どうだろう・・。
 
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 昨日は一気に春がやってきた。風はまだまだ冷たいが、日差しはぽかぽかとして気持ちがいい。そんな陽気の中、お千代保稲荷へ月参りにでかけた。17日が初午の大祭だというのは知っていたが、その日はきっと大勢の人でごった返すだろうと、あえて昨日出かけてみた。麗らかな日差しの中、高速道路から伊吹山を見ても、春霞がかかったようにぼんやりと輪郭が確認できただけだった。「黄砂?」とたずねる妻に「霞だろう」などと知ったかぶりをしたが、実際霞の何たるかを詳らかにしない私ではそれ以上の説明はできなかった。でも、あれは霞だ、きっと・・。
 1ヶ月前にお参りに来たのは雪混じりのものすごく寒い日だった。1ヶ月でこれほどまで暖かくなるものかと驚きながらも、上着を脱いで参道を歩いた。暖かさにつられたのか、多くの人でにぎわっていたが、やはりお千代保さんはこうでなくてはいけない。行きかう人の顔もどことなく緩やかで楽しそうだ。
 
 お参りを済ませた後、よく行く漬物屋に立ち寄った。ここで試食するのがちょっとした楽しみになっている。私のお気に入りは「里ごぼう醤油漬」だ。

 

 試食用に細かく切られたごぼうはあっさりしているが、噛んでいるとじわっと醤油風味が口に広がり、ごぼうのしゃきしゃきした歯ごたえと見事にマッチする。どれだけでも食べられそうだ、思わず何度も口に運んでしまった。おいしい。年を取ったせいなのか、最近は漬物をおいしいとしみじみ思うようになった。
 
 いつものうどん屋で昼ごはんを食べてから帰路に付いたが、こんなに気持ちのいい空の下、家にまっすぐ帰るのもちょっと寂しいと、少しばかり寄り道をすることにした。フルーツパークの一隅にある梅園を初めて訪ねてみた。我が家の梅はようやくほころび始めたばかりなので、まだちょっと早いかな、と心配したが、梅園は満開の花で溢れていた。

  

  

  

 この園には12種類もの梅が栽培されているそうだ。確かによく見ると、1本1本の木にネームプレートが付けられている。しかし、白梅と紅梅しか見分けが付かない私には、そんな名前などどうでもよかった。それでも、5枚の花弁があるものと八重のものとの違い、さらには枝垂れ梅なるものがあることも初めて知った。芳香漂うものもあれば、さほど匂わないものがあることも分かった。春の盛りの桜もいいが、春の初めの梅もまた格別だ。しばし梅の可憐さにふれていたら、京都の北野天満宮の梅を見たくなった。天神さんの庭の梅の見事さと比べれば、この梅園など児戯に等しい・・。
 とは言え、梅の花の間をせっせと飛び交う虻の姿も見られたし、気持ちのいい時を過ごせたのはうれしかった。
 
 
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