☆ 100分de名著「維摩経」、面白かった。改めてテキスト(NHKテキスト 釈徹宗「維摩経」)で読むとさらに面白かった。
☆ 維摩と言う爺さんが病気になったので、お釈迦さんは弟子を見舞いにやることにした。
☆ ところが、智慧第一と言われる舎利弗はじめ十大弟子はことごとく断る。みんなこの爺さんは苦手だという。今までに、それぞれの痛いところ、弱いところ(実は本人たちが得意としているところ)を突かれて、言いくるめられてしまったというのだ。
☆ お釈迦さんは仕方なく菩薩さんたちに頼むが、彼らも嫌がる。ことごとく断られるお釈迦さん。気の毒になって、遂に智慧の象徴である文殊菩薩が行くことになる。
☆ 維摩爺さんと文殊菩薩。稀代の論客2人、どんな対話になるのかと興味津々のギャラリーは、文殊菩薩の後に続いて爺さんの家に向かう。
☆ そこで繰り広げられる仏法対話。碩学同士の息詰まる攻防。そこに椅子のエピソードやら、天女のエピソードなども織り交ぜられながら、読者は次第に大乗仏教の本質(空の思想や縁起の思想)に導かれていく。
☆ 「入不二法門品」では、維摩爺さんの発問に、菩薩さんたちが「生と滅」「善と不善」「光と闇」など対立する例を挙げ、そうした対立のない世界こそが不二の法門、つまり悟りの世界だと語っていく。まるで教室の風景のようだ。
☆ 最後は文殊菩薩が「すべての存在や現象において。言葉も思考も認識も問いも答えも、すべてから離れること」(86頁)と語り、「維摩さんは、どう考えますか」と尋ねる。
☆ そのあとがすごい。 ・・・ 維摩爺さんは何も語らないのだ。「維摩の一黙、雷(らい)の如し」「維摩一黙」と言うらしい。それを見た文殊菩薩の反応もすごい。「すばらしい!」と感嘆するのだ。
☆ 張り詰めた沈黙と感動の叫び。まさに「アハ体験」だ。
☆ そのあと、維摩爺さんの本性が明かされ、グランドフィナーレへ。
☆ 仏教に現代物理学の最先端、「マルチバース」(この宇宙は1つではない)といった発想があるのには驚かされる。悟りの道を求めるのに出家者、在家者の区別はない。むしろ俗世の中にこそ悟りの縁がある。「煩悩即菩提」の考え方も共鳴できる。
☆ 釈徹宗さんの解説はとてもわかりやすくてありがたい。私のような仏教に疎い者でも理解できるように説かれている。自分自身を振り返り、また周りを観察するよいきっかけになった。
☆ 維摩と言う爺さんが病気になったので、お釈迦さんは弟子を見舞いにやることにした。
☆ ところが、智慧第一と言われる舎利弗はじめ十大弟子はことごとく断る。みんなこの爺さんは苦手だという。今までに、それぞれの痛いところ、弱いところ(実は本人たちが得意としているところ)を突かれて、言いくるめられてしまったというのだ。
☆ お釈迦さんは仕方なく菩薩さんたちに頼むが、彼らも嫌がる。ことごとく断られるお釈迦さん。気の毒になって、遂に智慧の象徴である文殊菩薩が行くことになる。
☆ 維摩爺さんと文殊菩薩。稀代の論客2人、どんな対話になるのかと興味津々のギャラリーは、文殊菩薩の後に続いて爺さんの家に向かう。
☆ そこで繰り広げられる仏法対話。碩学同士の息詰まる攻防。そこに椅子のエピソードやら、天女のエピソードなども織り交ぜられながら、読者は次第に大乗仏教の本質(空の思想や縁起の思想)に導かれていく。
☆ 「入不二法門品」では、維摩爺さんの発問に、菩薩さんたちが「生と滅」「善と不善」「光と闇」など対立する例を挙げ、そうした対立のない世界こそが不二の法門、つまり悟りの世界だと語っていく。まるで教室の風景のようだ。
☆ 最後は文殊菩薩が「すべての存在や現象において。言葉も思考も認識も問いも答えも、すべてから離れること」(86頁)と語り、「維摩さんは、どう考えますか」と尋ねる。
☆ そのあとがすごい。 ・・・ 維摩爺さんは何も語らないのだ。「維摩の一黙、雷(らい)の如し」「維摩一黙」と言うらしい。それを見た文殊菩薩の反応もすごい。「すばらしい!」と感嘆するのだ。
☆ 張り詰めた沈黙と感動の叫び。まさに「アハ体験」だ。
☆ そのあと、維摩爺さんの本性が明かされ、グランドフィナーレへ。
☆ 仏教に現代物理学の最先端、「マルチバース」(この宇宙は1つではない)といった発想があるのには驚かされる。悟りの道を求めるのに出家者、在家者の区別はない。むしろ俗世の中にこそ悟りの縁がある。「煩悩即菩提」の考え方も共鳴できる。
☆ 釈徹宗さんの解説はとてもわかりやすくてありがたい。私のような仏教に疎い者でも理解できるように説かれている。自分自身を振り返り、また周りを観察するよいきっかけになった。