じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

「コブシ型の思想」「テノヒラ型の思想」

2019-05-14 10:51:30 | Weblog
★ 中間テストが迫ってきて忙しくなってきました。日々の授業、父親の介護、諸々の支払いと余裕なく動き回っていますが、ちょっと立ち止まって一息つける時間をつくりたいものです。

★ 「大丈夫、心配するな、何とかなる」(一休禅師)

★ 「どうしても咲けない時もあります。その代わりに、根を下へ下へと降ろして根を張るのです」(渡辺和子)

★ 買い物帰りに近所のおばさんと雑談。ポンと肩を叩いて「そのうちいいこともあるよ」と言ってくれました。励みになります。

★ 大学院生の時、国語の授業で大河原忠蔵先生のご指導を受けた。その授業で「コブシ型の思想」「テノヒラ型の思想」を学びました。

★ 「コブシ型の思想」について次のように説明されている。「コブシは、テーブルをたたいて叱咤激励し、苦しみに堪えたり、決意を固めたりするときに、ぎゅっとにぎりしめる。馬のたずなをしっかりつかむのもコブシだ。それと同じように、コブシ型の思想は、人生の指標、行動に指針、生活のあらゆる場面における判断の基準になって、わたしたちを、たたき、はげます。また、それによって、それまでばらばらにしかとらえられなかった個々の事実が、一つの視点でまとめられ、そこで、馬のたずなのように統一的に握られる。コブシ型思想は、たたく思想であり、にぎる思想である。」(「状況認識の文学教育」有精堂、1982年、69頁)

★ それに対して「テノヒラ型思想」について次のように説明されている。「わたしたちは、真っ暗な洞窟のなかを手さぐりで歩くとき、テノヒラをひろげて、指先に注意を集中する。けっして、コブシを前につき出して進んだりしない。五本の指は、柔らかく広げられ、すこしずつちがった箇所をさぐり、状況探知機のように、それぞれの指先に触れる岩の表面を吟味していく。もし、岩がぬれていたら水が近いことに気付く。岩と指は、何度もちがった場所で触れ合う。岩の表面には、かぞえきれない指先のあとがついていく。テノヒラ型思想は、主体と状況との具体的な緊張関係のなかに、コトバのかたちをとって、成り立っている」(前著、73頁)

★ 人を動かすのは、イデオロギーや「べき論」ではなく、テノヒラで包み込むような包容力なのかも知れません。
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自分の研究史を振り返る

2019-05-11 21:36:32 | Weblog
★ 大澤真幸さんの「社会学史」(講談社現代新書)、第1部第4章「マルクスー宗教としての資本主義」まで読み進んだ。

★ タイトルからしてもっと堅苦しいものかと思っていたが、語り口調で比較的わかりやすい。

★ 第3章までは言わば前振り、前座という感じだったが、「マルクス」に至って断然面白くなってきた。

★ 「下部構造ー上部構造」論を経て、これから「疎外論・物象化論」の解説に入る。楽しみだ。


★ ところで私事ながら、私はもともと心理学に興味があった。心理学の中でも社会心理学、とりわけ「パニック」という現象に関心を持った。大学でその研究を深めようかと思っていたが、希望する大学に進学できず、連敗の末たまたま合格できたのが京都教育大学教育学部教育学科。教育学科には教育学と心理学の2つの専攻があり、私は最初心理学を志していたが、1回生、2回生と行動心理学、教育心理学、発達心理学を学ぶうちに、興味を失った。

★ 教育学専攻になった。当時、教育学には「教育哲学」「教育史」「社会教育学」「教育社会学」「教育行財政学」の研究室があった。特に関心があるものはなく、「大衆社会における人間形成」などといった漠然とした問題意識しかもっていなかった。

★ 一応「教育社会学」の研究室に所属したものの、マンハイムやマートンに圧倒され、特に「社会学」を学ぶわけでもなく、むしろ隣の「教育行財政学」の研究室に入り浸り、その先生が放課後ボランティアで「資本論」の自主ゼミを開講してくださったので、そこでマルクスを学んだ。

★ 「社会変革と教育」の関係に興味をもったので、卒業論文は「ロバート・オーエンにおける社会変革と教育」を書き、自分なりに社会変動とその中で生きる人間の主体性、社会変革の意義について考えた。当時京都教育大学に大学院がなかったので奈良教育大学に進学。そこでは「学校経営学」の研究室に所属した。「生きることと学ぶことが合体した学校とはどのようなものか」という問題意識をもち、郷土教育や労作教育が盛り上がっていた昭和初期の実践記録を分析する中で、学校が家庭や地域社会と協働する中でどのような主体性を発揮したのかを研究し、修士論文とした。

★ 「社会学史」を読んでいると、そんな若い時代のことが蘇ってきた。大いに触発される本だ。

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ノエシス・ノエマ

2019-05-10 21:04:14 | Weblog
★ 谷徹さんの「これが現象学だ」(講談社現代新書)、第二章「現象学の学問論」は著者が「どうしても気合が入らないという向きには第三章に飛んでいただこう」(72頁)ということなので、お言葉に甘えて第三章へ。

★ 第三章は「直接経験とは何か」

★ はっきり言って何が何なのかわからない。ゲームでダンジョンに入り込み、何度やってもミッションがクリアできない時、ゲーム機を壊したくなる心境だ。

★ そこは落ち着いて、「ノエシス」「ノエマ」という言葉は何となくわかった。意識の二側面を言っているようだ。私が何かを意識する時、意識する能動的な作用を「ノエシス」、意識の対象を「ノエマ」と言うようだ。「ふ~ん」という感じだが。

★ ノエシスとノエマは単独ではありえず、ノエシスがなければノエマはなく、ノエマがなければノエシスもない。

★ わからない本を読んで何になるのかと思うけれど、「わかりたい」という知的好奇心とそれなりに頭の体操を楽しめます。
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右折

2019-05-10 11:42:32 | Weblog
★ 滋賀県の園児が巻き込まれる痛ましい事故。改めて自分の免許証を見た。今年が5年に1度の更新だ。

★ 私は免許を取って40年。無事故無違反のゴールド免許。優良ドライバーということだが、その訳はもう何十年も車を運転していないからだ。もちろん自家用車も持っていない。

★ 雨の日など「車があったらなぁ」と思う日もあるが、なければないでなんとかなっている。

★ 私が運転をやめた理由は右折ができないからだ。この話をすると生徒たちに笑われる。技術的にはできるのだが、対向車とどうもタイミングが合わないのだ。

★ 強引に行くと危ないし、かといって辛抱強く待っていると後続車にクラクションを鳴らされる。そうすると焦ってしまう。

★ だから、車を持っていた時は、近くのスーパーに行くのにも左折だけで行けるルートを通っていた。円を描くように。

★ 若者の自動車離れが進んでいるとは聞くが、夫婦それぞれが1台ずつ持っている家庭が増えたから、総数が減ったようには思えない。それに最近の車は快適性を重視するあまりか、車幅の広い装甲車のようなものも見受けられる。狭い道など走ってくると脅威だ。

★ セブンイレブンのお弁当の配達に使われる1人乗りの電気自動車など便利そうに思えるが、多分これからも乗ることはあるまい。完全な自動運転車にはまだハード面、ソフト面で時間がかかりそうだ。

★ 今後も自動車を運転することはないと思うが、更新だけは行っておこうかね。あと2回で70歳を超えるから、その時は返納しようかな。



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現象学

2019-05-09 19:47:54 | Weblog
★ 谷徹さんの「これが現象学だ」(講談社現代新書)を読んでいる。やっと第1章を読み終えた。

★ 何が書いてあるかと言えば、「諸現出は現出者に向けて突破される」(66頁)ということ。

★ 哲学者は独特の言葉を使うから厄介だ。「諸現出、現出者」ってハイデガー流に言えば「存在、存在者」って感じかな。仏教的に言えば「諸法実相」ってところかな。

★ 光速で走らなければ相対性理論を気にする必要がないように、「私は何を知りえるのか」とか「私は何か」とか「存在とは何か」「認識とは何か」など、別に考えなくても日々生きていけるのだが、それを考えてしまうところが人間の人間たるゆえんなんでしょうね。

★ 宗教は「信じるものは救われる」で、もしかしたら幸せになれるかも知れないけれど、哲学は行けども行けども果てはなく、苦しいだけの作業かも知れないね。
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遂に買った

2019-05-09 17:42:27 | Weblog


大澤真幸さんの「社会学史」(講談社現代新書)、遂に買った。

600ページを超えるボリューム。果たして読みきれるのか躊躇していたが、大澤ファンとしては読まねばなるまい。

早速「序」を読んだが、意外と入り込みやすい。さて、この先どうなるやら。
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古書たち

2019-05-09 11:41:40 | Weblog

昨日、門井慶喜さんの本を読んで古い本に興味を持ったので、うちにある古い本を探ってみた。

どれも教育学の本。

一番古かったのは、乙竹岩造「実験教育学」(目黒書店)で明治41年の初版だった。
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千早茜「ほむら」

2019-05-08 21:27:35 | Weblog
★ 千早茜さんの短編集「あとかた」(新潮文庫)から「ほむら」を読んだ。

★ 主人公の女性には同棲している男がいる、結婚を前提としているようだ。しかし、主人公は一歩踏み出せない。そんな時出会った男。体を重ねながら、お互いに何かを求める。形のない何か。言葉にすれば取り逃がしそうなもの。

★ 倫理では評価できないもの。もっと深層の何か。

★ 情念の「ほむら」が艶っぽい文で語られる。
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門井慶喜「図書館ではお静かに」

2019-05-08 19:18:06 | Weblog
★ 門井慶喜さんの短編集「おさがしの本は」(光文社文庫)から「図書館ではお静かに」を読んだ。

★ 市立図書館で相談係を務める和久山隆彦のもとに女子短大生がやってきた。林森太郎の「日本文学史」のレポートを書かなければならないという。

★ 和久山は森林太郎つまり森鷗外を間違ってメモしてきたのだと女生徒に説明するが、鷗外の作に「日本文学史」はない。やがて真実が明らかにされるのだが。

★ 図書の森のミステリー。興味のない人には読みづらいかも知れない。「博文館」「金港堂」など古い文献に関心のある人には懐かしい。それに実際、林森太郎という人物がいたのには驚いた。「日本文学史」は今日では国立国会図書館のデジタルライブラリーで簡単に閲覧できる。

★ 本の世界が広がった。
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令和不況の足音

2019-05-08 12:50:29 | Weblog
★ 長いゴールデンウィークが明けた。数十年(あるいは数百年)に一度の10連休。楽しめた人、時間を持て余した人、そもそも休めなかった人、3分割されるようだ。何をしても「格差」が浮き彫りになる。

★ 「分散」ということを考えれば、もっと快適に過ごせたのかも知れない。

★ それはともかく、令和の幕開け、世界経済は沈滞ムードだ。世界的な景気減速それに米中の経済摩擦(トランプ大統領の関心事は自らの再選だけか)。先行き不安から円高、株安が進んでいる。「令和不況」などにならねば良いのだが。不安からか消費税増税延期もささやかれ始めている。参議院選挙、それに衆議院選挙の時期も絡んで、政局がらみでこれからの日程が進みそうだ。

★ 長期休暇の後は事故や自殺が気になる。今朝も滋賀県で衝突した自動車が幼稚園児の列に突っ込んだ。事故にあった園児の通う幼稚園のフェイスブックを見るとかわいい子どもたちの写真が掲載されていた。なぜ彼ら、彼女たちが事故に合わねばならないのだ。不可抗力の結果とは言え取り返しがつかない。

★ かつて年間の死者が1万にを超え「交通戦争」とまで言われた。道路の整備や安全教育の成果か死者の数こそ減っているが、暴走事故や児童生徒が巻き込まれる事故は後を絶たない。

★ 運転手も「まさか自分が」ということなのだろうが、今一度「まさか」を自問してほしいものだ。
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