★ 中間テストが迫ってきて忙しくなってきました。日々の授業、父親の介護、諸々の支払いと余裕なく動き回っていますが、ちょっと立ち止まって一息つける時間をつくりたいものです。
★ 「大丈夫、心配するな、何とかなる」(一休禅師)
★ 「どうしても咲けない時もあります。その代わりに、根を下へ下へと降ろして根を張るのです」(渡辺和子)
★ 買い物帰りに近所のおばさんと雑談。ポンと肩を叩いて「そのうちいいこともあるよ」と言ってくれました。励みになります。
★ 大学院生の時、国語の授業で大河原忠蔵先生のご指導を受けた。その授業で「コブシ型の思想」「テノヒラ型の思想」を学びました。
★ 「コブシ型の思想」について次のように説明されている。「コブシは、テーブルをたたいて叱咤激励し、苦しみに堪えたり、決意を固めたりするときに、ぎゅっとにぎりしめる。馬のたずなをしっかりつかむのもコブシだ。それと同じように、コブシ型の思想は、人生の指標、行動に指針、生活のあらゆる場面における判断の基準になって、わたしたちを、たたき、はげます。また、それによって、それまでばらばらにしかとらえられなかった個々の事実が、一つの視点でまとめられ、そこで、馬のたずなのように統一的に握られる。コブシ型思想は、たたく思想であり、にぎる思想である。」(「状況認識の文学教育」有精堂、1982年、69頁)
★ それに対して「テノヒラ型思想」について次のように説明されている。「わたしたちは、真っ暗な洞窟のなかを手さぐりで歩くとき、テノヒラをひろげて、指先に注意を集中する。けっして、コブシを前につき出して進んだりしない。五本の指は、柔らかく広げられ、すこしずつちがった箇所をさぐり、状況探知機のように、それぞれの指先に触れる岩の表面を吟味していく。もし、岩がぬれていたら水が近いことに気付く。岩と指は、何度もちがった場所で触れ合う。岩の表面には、かぞえきれない指先のあとがついていく。テノヒラ型思想は、主体と状況との具体的な緊張関係のなかに、コトバのかたちをとって、成り立っている」(前著、73頁)
★ 人を動かすのは、イデオロギーや「べき論」ではなく、テノヒラで包み込むような包容力なのかも知れません。
★ 「大丈夫、心配するな、何とかなる」(一休禅師)
★ 「どうしても咲けない時もあります。その代わりに、根を下へ下へと降ろして根を張るのです」(渡辺和子)
★ 買い物帰りに近所のおばさんと雑談。ポンと肩を叩いて「そのうちいいこともあるよ」と言ってくれました。励みになります。
★ 大学院生の時、国語の授業で大河原忠蔵先生のご指導を受けた。その授業で「コブシ型の思想」「テノヒラ型の思想」を学びました。
★ 「コブシ型の思想」について次のように説明されている。「コブシは、テーブルをたたいて叱咤激励し、苦しみに堪えたり、決意を固めたりするときに、ぎゅっとにぎりしめる。馬のたずなをしっかりつかむのもコブシだ。それと同じように、コブシ型の思想は、人生の指標、行動に指針、生活のあらゆる場面における判断の基準になって、わたしたちを、たたき、はげます。また、それによって、それまでばらばらにしかとらえられなかった個々の事実が、一つの視点でまとめられ、そこで、馬のたずなのように統一的に握られる。コブシ型思想は、たたく思想であり、にぎる思想である。」(「状況認識の文学教育」有精堂、1982年、69頁)
★ それに対して「テノヒラ型思想」について次のように説明されている。「わたしたちは、真っ暗な洞窟のなかを手さぐりで歩くとき、テノヒラをひろげて、指先に注意を集中する。けっして、コブシを前につき出して進んだりしない。五本の指は、柔らかく広げられ、すこしずつちがった箇所をさぐり、状況探知機のように、それぞれの指先に触れる岩の表面を吟味していく。もし、岩がぬれていたら水が近いことに気付く。岩と指は、何度もちがった場所で触れ合う。岩の表面には、かぞえきれない指先のあとがついていく。テノヒラ型思想は、主体と状況との具体的な緊張関係のなかに、コトバのかたちをとって、成り立っている」(前著、73頁)
★ 人を動かすのは、イデオロギーや「べき論」ではなく、テノヒラで包み込むような包容力なのかも知れません。