平成21年1月12日(月)成人の日
成人の日といえば、昔は、「1月15日」でしたが、最近は三連休に
なったので、固定的では ありません。
1月11日は「塩の日」でした。そこで、「塩」について考えています。
塩を一般生活の風習として使う場合は「きよめ」の意味合いが強く
不祝儀の帰りに自宅に入る前に塩を身体に振りかけたり、
地域によってはいまでも掃除のあとに「きよめ」に塩をまくところがあるそうです。
料亭の店先に置かれる「盛り塩」も悪い客を追い払った時にも使われる。
客が帰ったあとに「塩を撒いておきな!」と店の女将さんが言うせりふです。
店の周りを掃除し夏なら打ち水をして「きよめ」たあとに、玄関に「盛り塩」をおく。
入ってくる客に多く踏まれるほど大入り満員ということになる。
しかし『塩と日本人』の著者 民俗学者田村勇は「きよめ」でなく、
盛り砂や注連縄(しめなわ)などと同じように盛り塩は
「結界(けっかい)」の意味合いが強いという。
大相撲でも盛大に塩を撒いて取り組みが始まりますが、
塩を撒きたいような とんでもないぶち壊しのマナー違反の成人式のニュースに
接して、又今年も「二十歳の幼さ」に心が痛みます。
さて、私は今、その三倍の還暦が間近かになり、減塩食をいただいています。
塩気のない食事になってから、改めて『塩』の大切さを考えています。
http://www.shio-navi.com/blog/archives/2005/04/post_8.php
『塩』よりも、今では、世界中で『ソルト』と呼ぶ方が広まっていますが、
そもそも『ソルト』は古代ローマのラテン語「サール(sal)」から由来しています。
ローマでは兵士の給料が塩で支払われたこともあったことから、
サラリー(salary)の語源になっていることで知られていますが、
それ以外にも、「塩をかける」を意味するサラダや、
兵士ソルジャー(solrier)の語源にもなっています。
同じユーラシア大陸に位置するヨーロッパ諸国は、
ほとんどがこの「サール」から派生した言葉ばかりです。
エジプトやイラクなどアラブ諸国のアラビア語は使用範囲が広いため、
国・地域によって違ってきますが、
標準アラビア語では塩をミルフ(milhun)と言います。
同じイスラム教圏でも、イランのペルシア語ではナマック。
近隣国でも随分違っています。
オーストリアの首都 モーツァルトと音楽祭の街ザルツブルクは、
もともと「ザルツ」という言葉、つまり「ソルト」という言葉
「塩」から由来している地名で「岩塩」で栄えた町なのです。
日本にも塩に縁のある地名が多いのですが、特に、長野に
塩のつく地名が多いことは、臥竜塾のブログでも以前
藤森先生が書かれていました。
その時に「敵に塩を送る」という逸話にも言及されていました。
この逸話は、ちょうど今年、NHK大河ドラマで放送が始まった
『天地人』に出てくる上杉謙信と武田信玄の話です。
信玄が三国(甲斐・相模・駿河)同盟を破って
駿河へ侵攻すると、今川氏真は、相模の北条氏康とはかり、
その報復措置として、信玄の領国へ塩を送ることを前面的に禁止しました。
これは、今でいう経済封鎖政策です。
塩がないというのは生活にとても困ります。
このことを知った上杉謙信は、
「塩を絶つとは卑劣で武士の恥であり、
相手の国の力を弱めようとする行為自体が、
相手に対し恐れをもっている証拠だ」
と言い、敵国である武田家に塩を以前同様に
通常の価格で売るように家来に命じたそうです。
もしも高い値段で塩を売りつける者がいるのなら
連絡せよ とも言ったとか。
このため武田の領民は、
「蘇生の思いをなし、深く謙信の高義を感じ、その厚志を徳とした」
といいます。
謙信が「義」を重んじた態度に感謝した信玄は、
そのお礼に太刀一振りを贈ったといわれています。
その太刀のことを「塩留めの太刀」といい、
現在、東京国立博物館に所蔵されているそうです。
これを、江戸時代の陽明学者頼山陽が讃えて
「所争在弓箭不在米塩」
(争うところは、弓箭(=いくさのこと)にある。米や塩ではない)と言い、
「敵が苦しんでいる時に、かえってその苦境を救う」ことを
「敵に塩を送る」と言うようになったのです。
このとき、塩が当時の武田領の松本市に到着した日が
1569年1月11日で、甲府には1月14日に到着しました。
ですから、昨日1月11日は「塩の日」と決められています。
そして、
松本市に到着した1月11日に、
ここのえびす様を祭っていた
宮村天神(深志神社)の神主が
塩を売るのが恒例となり
「塩市」が始まったとされています。
しかし、江戸時代前期に、
飴を売る露天が本町に軒を連ねたため、
今は「飴市」と呼ばれています。
また、松本には、本庁の街角に
「牛つなぎ石」という石がありますが、
これは、その昔、上杉謙信が牛の背に塩を乗せて
松本の地まで運んできたおりに、牛をつないでおいた石だとされています。
塩は、よく高血圧の敵 のように言われますが、
実は体にとってはとても重要な役目があります。
まず、「塩」のナトリウム分には
神経・筋肉の働きを調節するという役割があり、
ナトリウムが不足すると筋肉の収縮、弛緩がうまく行かなくなります。
ですから、塩は筋肉運動に重要な役割を果たしているのです。
また、
体温が上がりすぎると
発熱体である塩分を体外に出し体温を下げようとします。
これがいわゆる汗で、舐めるとしょっぱいのはそのせいです。
脱水症状というのは
この活動が過ぎた時に起きる、塩分不足状態です。
このように、塩は体温をコントロールしているのです。
また、塩は
導電物質で、人間の体内では塩分濃度が不足すると
電流がよく流れなくなるため、
情報伝達がうまくいかず、体調不良をきたします。
また、塩のナトリウムイオンが不足すると新陳代謝は衰えてしまいます。
他にも、ナトリウムイオンは腎臓の働きも助けています。
そして、血液が酸性になるのを防いだり、消化の働きにも
塩化ナトリウムが必要なのです。
http://www.siojoho.com/index.html
日本の塩の自給率は、現在15パーセントです。
人間は、砂糖がなくても生きられますが、
塩を絶たれると生命に関わり困るわけです。
でも、塩は、いくら体に良いからといっても、
それだけ食べるものではありません。
ただ、激しい肉体労働をする人は、
汗で大量の塩分を失いますので、
塩をなめながら仕事をするのです。
製鉄所の溶鉱炉で働く人は、その典型的な例としてよく知られています。
特に日本では、日本酒が好きな人はお塩を酒の肴にします。
米飯にお塩を一振り。おかずがなくてもご飯をいただけ、
りんごにさっとお塩を振るとりんごの甘酸っぱさとお塩のしょっぱさが混じり合い
何ともいえない味わいあるりんごを 変色することなく食することができます。
小豆から餡を拵える時もお砂糖を多く使用しますが、甘味を引き出すために
お塩を一振り。ひときわ甘味が引き立ち美味しい餡子(あんこ)ができます。
ぜんざいにもおしるこにも隠し味として塩が使われています。
塩は、いろいろなものに利用されています。
日本の伝統食である味噌、醤油、漬物、梅干等に使い、食を豊かにしたり、
保存食を作る時にとても重要な役割を果たしています。
世界一と言われる日本人の寿命を支えているのは
この伝統食世代であり、この人たちが長生きするようになったことが
長寿世界一の一番の要因と考えると、
塩こそ その陰の立役者的な存在といえるかもしれません。
徳川家康はある日、側に仕える阿茶の局に、
「この世で一番うまいものは何か?」
と尋ねた答えに、
「それは塩です。山海の珍味も塩の味付け次第。
また、一番まずいものも塩です。
どんなにうまいものでも塩味が過ぎると
食べられなくなります。」
と答えたと言われています。
塩は
さじ加減ひとつで、他のものの味を引き出します。
指導者もまた、同じように、家臣の心を巧みにとらえ
能力を引き出すことが肝心ということを、
暗にほのめかした局の答えに、
家康は深く感銘し、以後教訓としたといわれています。
それは、教育にも言えます。
親や教師が強すぎず、家庭でも園でも、親や教師という「人的な環境」が
子どもの持っている力をぐんぐん引き出し個性を輝かせるのです。
また、それが 「いい塩梅(あんばい)」というのが肝心なのでしょう。
人間の体は塩を必要としていますが、
塩の過剰摂取は、高血圧、脳卒中、さらには胃ガンなどを引き起こす恐れもあり、
体にとって良くないということは一般的によくいわれます。
人が一日に体外に排出する塩分は1.3gと言われていますので、
健康体であれば、最低でもそのくらいの塩分が必要になります。
ではその適量とはいったいどれくらいなのでしょうか?
人が一般的に美味しいと感じる塩分濃度は0.8%だといわれています。
これは人間の細胞外液の塩分濃度の数値に一致します。
つまり適塩を守る=体液濃度を維持すること
そのために守るべき摂取量は10g、すなわち小さじ2杯分です。
ナメクジに塩をかけると縮んで死んでしまいます。
それは、ナメクジの体の殆どは水分で構成されているため、
塩をかけると浸透圧の関係で水分を失ってしまうからです。
ですから、すっかり元気がなくなることのたとえとして、
また、苦手なものの前に出て萎縮してしまうことのたとえとして
「ナメクジに塩」と言いますし、
同じように塩をかけると縮んで死んでしまう「ひる」にたとえて、
「ひるに塩」といって、忌み嫌う苦手なものに直面して
縮こまることのたとえとしてや、
弱って足腰が立たなくなることのたとえとして使います。
同様に、
青菜に塩をかけると、
葉や茎に含まれた水分が外に吸い出され、しおれてしまいます。
そこから、急に元気をなくしてしょげるさまを、「青菜に塩」と言います。
体に良いものも、その使い方次第では
体に悪いものになってしまうことが多いのです。
薬も適量を過ぎると、毒になることがあります。
「塩たらず」という言葉は、
「塩は、ほどよい量を使わないと
食べ物の持ち味を引き出せない。
塩が足りないと間のぬけた味になってしまう」
ということから、人がのろのろしていること、能力が低いことを表します。
ヨーロッパには、
「塩の豊かな人」という言葉があり、
すぐれた人、教養のある人を表現するときに用いるようです。
そして、子どもは、「手塩にかけて」育てないといけないのです。
自分の手で塩をふり、時間をかけて漬け込む漬物や、
手のひらいっぱいに塩をつけて握りしめるおむすびのように、
昔から手に塩をつけて丹念にものを作る行為には、
愛情が込められています。
「子どもは、手塩にかけて育てなさい。」
と、我が父も、私が子育てをし始めた新米ママになりたての頃に
よく申しておりました。
今日は、成人の日に、『塩』にまつわる、あれこれを思い巡らせながら
子育てについて考えています。
老婆心ながら、最近の子育ては、手抜きが目立ちます。
まずは、心を込めて
「子どもは、手塩にかけて育てなさい。」を実践したい。
この子達が『成人の日』を迎える頃には、
日本は、世界は、どんな世の中になっているのでしょうか?