緑ヶ丘・第二幼稚園 最新かがやき日記

緑ヶ丘・第二幼稚園のかがやく子ども達の成長を見守り、親も教師も園長も子どもに負けず共に成長する日々を綴った日記です。

ピアノ発表会

2012年03月25日 18時26分07秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

平成24年3月25日(日)

  目覚しい成長ぶりで無事に平成23年度の三学期も終わり、

春休みに入りました。

一昨日から風が強く、春の嵐でしょう。

大陸からの黄砂が飛んできています。

朝方から、久し振りにうららかな日和に恵まれました。

午後1時から北九州市立八幡西生涯学習センター4階大ホールで

『ピアノ発表会』がありました。

 緑ヶ丘第二幼稚園の午後の課外教室で、

月・火・水・木の放課後に個人レッスンを受けている子ども19人がステージに登場。

きれいなお花のスタンドが、ステージ右手で、子ども達を応援してくれている感じ。

ベテラン山口裕子先生のご指導で、素晴らしい練習の成果を見せてくれました。

         プログラム

         一部

1 西野 由香   パンの歌

             かえるのうた

2 増田 心羽   おどり

             アマリリス

3 堂薗 玲花   しずかなよる

             むすんでひらいて

4 椎原 渚     春が来た

             アルプス一万尺

5 松崎 志音    ちょうちょ

              キラキラ星

6 松元 玲名     手をたたきましょう

              ことりの結婚式

7 向坊 春佳     こぎつね

              フランスの子守歌

8 珠久 玄気    聖者が町にやってくる

             五月に

9 小塚 俊亮    おともだち

             よろこびの歌

10 小野塚 凛   家路

             きつつき

11 田中 那実    なぞなぞ

              スワニー河

12 永野 亜弓    五月のそよかぜ

              マズルカ

13 上原 ひかり   メヌエット ハ長調

              子供の謝肉祭

14 柴田 莉子    シュタイヤーのおどり

              ハイ・ホー

15 田邉 百花    エリーゼのために

              ノクターン第2番

16 島崎 帆乃香    SONATE

               トロイメライ

17 福永 凛      メヌエット ト長調

               春~『四季』より~

18 神谷 菜々美    ミュゼット

                さくらさくら

19 乗秀 友佳      G線上のアリア

                ノクターン作品9の2

        休         憩

        第二部 ピアノ連弾

1  西野 由香      メリーさんのひつじ

   山口 裕子      チューリップ

2   珠久 玄気    雨だれのおどり

    珠久 真純    川は呼んでる

3   堂薗 玲花    かっこう

    堂薗 明子    つきのひかりに

4   松崎 志音    茶色のこびん

    松崎 美和    ぶんぶんぶん

5   増田 心羽    森のくまさん

    増田 美里    どんぐりころころ

6   椎原 渚      ロンドン橋

    椎原 敦子    ぞうさんのさんぽ

7   向坊 春佳    アイアイ

    向坊 美帆    みつばちマーチ

8   松元 玲名    こいのぼり

    山口 裕子    あわてんぼうの歌

9   小塚 俊亮    ミッキーマウス・マーチ

    山口 裕子    ゆかいな牧場

10   小野塚 凛    野ばら

     小野塚 美和   小さな世界

11   田中 那実  黄色いリボン

     田中 智子    アビニョンの橋の上で

12    上原 ひかり    アイネ・クライネ・ナハトムジーク 第2楽章

    上原 愛       私のお気に入り

13   永野 亜弓    さんぽ

    山口 裕子     オブラディ・オブラダ

14   柴田 莉子    やさしさに包まれたなら

     山口 裕子    わらの中の七面鳥

15   島崎 帆乃香    君をのせて

     島崎 由美子    ル・ローヌ

16   福永 凛       山の音楽家

     田邉 百花

     福永 凛        情熱大陸

     山口 裕子      

17    田邉 百花     クラリネットをこわしちゃった

      福永 凛   

      田邉 百花     レット・イット・ビー

      山口 裕子

18    神谷 菜々美     シェリト・リンド

      山口 裕子

19    乗秀 友佳     ライオンの行進

       山口 裕子     『動物の謝肉祭』より 桜の木になろう

 

    それぞれ、猛練習でオンステージ!

    特に第二部は、楽しみな連弾でした。

   親子で、兄弟姉妹で、友人同志で、または恩師と弟子でペアを組み

   やや緊張しながらも、息を合わせて、楽しそうに演奏していました。

   音楽のある日常生活、しあわせですね。

   心ゆたかに、歌ったり、楽器を演奏したり、自然に楽しい会話が弾みます。

   幼児期から、音楽に親しみ、右脳に良い刺激を与えながら

   イライラせずに、心のゆとりのある暮らしを心がけ、家族そろって

   新しい曲に挑戦して、また、人前で発表するのも

   印象深い思い出の喜びのシーンの一つですね。

   楽しいひとときを 誠にありがとうございました。

  皆さん、また、新たな曲にどんどん挑戦して腕を磨いてください。

  また、例年は、お父さんとこどものペアが数人いましたが、

  今回は、お父様方のオンステージ者が居なかったのはとても残念でした。

  来年も、また、頑張っておけいこして、表現する技を極めて

  音楽をめいっぱい楽しんでください。

  井上楽器店さん、山口先生、お疲れ様でした。

   

 


第58回☆卒園式

2012年03月17日 20時17分42秒 | 教育

平成24年3月17日(土)曇り後晴れ

 本日、晴れやかな卒園式の日を迎えました。昨日までは、雨天で、本降りの予報。

お天気が大変気がかりでしたが、朝方には、雨があがり嬉しく有り難いことでした。

 一昨年は福岡県が日本で二番目に早い開花宣言が出ていたのですが、

今年は、まだ、梅の花も、やっと開花の段階。5分咲きです。

 園庭のシンボルツリー3本の桜の木も、つぼみがぐんぐん膨らみつつありますが、

開花は、例年より随分遅れているようです。

南側のバス通りのこぶしの花も、例年は少し開花しかけているのですが、

今年は寒波が続いたせいで、まだ、遅れているようです。

 

 昨年は、2011年3月11日午後2時46分ごろ、まさに「未曾有の国難」の巨大地震が、

三陸沖を震源に日本列島を襲いその直後に卒園式でした。

 阪神大震災の約1000倍に相当するM9.0のエネルギーで激震が約5分も続いた後、

最大数十メートルの津波が押し寄せ、無数の方々の命や生活が奪われました。

 日本本土の地盤が約2.4メートルも移動したというほどの衝撃に、相次ぐ余震、

そしてあってはならなかった福島原子力発電所での炉心溶融。

 被曝被害も発生し、数十万人が避難生活を余儀なくされ、

広範囲で大きな被害が出て緊張の日々が続きました。

 都内でも相当大きく長い時間の揺れがあり、いまだに東北~関東では、

大きい余震が続いています。 皆様のご無事を心よりお祈りいたします。

 当園でも、現在、被災地からの園児を2名受け入れていますが、

一年後の3・11は、当時の悲惨な光景などを思い出し微妙な時期です。

 毎日、新聞や報道番組を観ながら、落ち着きませんね。

福島の原発の状況も刻々と伝えられてはいますが30年はかかる長期戦で、

先ずは、東北三県の瓦礫の処理が最優先課題でしょう。

 関東~東海地方に、重ねてマグニチュード7クラスの最悪の事態が起こらないよう願いつつ

被災者の皆さんの一刻も早い復興と、犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。

 

 さて、 第58回卒園式が無事に終了しました。

今日は、第58回☆卒園式 123人の

ご卒園、おめでとうございます!

  今年も早い方々は、8時半過ぎには家族そろってもう登園。

玄関や園庭や教室やホール…思い出のシーンをしっかり脳裏に刻むように

あちらこちらで家族で記念撮影をしている姿がみられました。

いよいよ10時過ぎには全員が登園し、

10時15分には在園生も少し緊張した表情でホールに入場しました。

 10時20分には卒園生の保護者の皆様も 殆ど着席し、

その直後5分前に 園長先生と一緒に ご来賓も入場。

 そして、今日の主役の123名の年長組さんが担任の先生と胸を張って整列。

左胸には、心を込めて折り紙で作った薔薇の花かざりが とてもきれいです。

 10時25分、威風堂々』のメロディーにのって皆の拍手の中

                          

いよいよ卒園生が入場開始し、丁度10時半から 卒園式開式でした。

 厳粛な静寂の中、担任の先生が一人ひとりの名前を呼び上げ

緊張した面持ちの子ども達は、元気な返事「はい!」

まず、卒園証書を一人ひとりに手渡しました。

123人の卒園生は、引き締まった表情で、しっかり胸を張り

園長先生に視線を合わせて、お辞儀して、どの子も立派な態度で受け取った

 証書を大事に持って…、着席いたしました。

 

式の最中、ある男の子が歌を歌いながら顔をぐしゃぐしゃにして泣いていました。

また、保護者席でも、あるお父さんがめがねの奥の涙を一生懸命に拭いていました。

私も園長になったばかりの時に、一人ひとりの子どもに卒園証書を渡す場面で、

その子の在園のときのさまざまな思い出が、言わば走馬灯のように頭の中でめぐり、

その思い出で胸がいっぱいになって、たびたび涙ぐみそうになりました。

ですから、今は、卒園証書を渡すときには、涙ぐまないで笑顔でお別れできるように

一人ひとりの子のエピソードをなるべく思い入れしないようにしています。

 卒園式のときに、涙ぐむ職員や、保護者、卒園生も多いのですが、

たぶん園生活の初めからのことをいろいろと思い出してその見事な成長ぶりや

印象深かった出来事が想起され、感動して涙ぐむことが多いでしょう。

        

ご来賓の近隣小学校の校長先生は、

「卒園生の態度が素晴らしい!すごい集中力!」

その上

「在園生代表の年中組さんが最後までよい姿勢で、

歌も呼びかけも素晴らしく、キョロキョロしないで

態度がとても良いのにビックリしました!」

と お褒めの言葉をくださいました。

北九州アカデミー少年少女合唱団創設者・指導者の坂田正克先生も

「行儀が良いし、はきはき、きびきびしていてとても良かった。」

とおっしゃっていました。

                            

本当に、在園生(年中組さん)の姿勢が良くて、最後まで

よい態度で、心を込めて しっかり集中して 式に参加し

素晴らしい集中力!お話を聴く態度が、とてもよく育ってきています。

 

式の後には、在園生代表年中組さんがお見送りのPA鼓隊生演奏曲を初披露し、

年中組の保護者の皆様も 初めて演奏を聴き大感激でした。

平成24年度がとてもたのしみです。

               

                              

 昨年も過去最高の落ち着いた雰囲気と申し上げましたが、

一段と和やかに、落ち着いて自然な雰囲気で厳粛な卒園式が終わりました。

うららかな日差しの園庭でも、しばらくクラスごとに名残を惜しみつつ

それぞれ沢山の思い出を胸に刻んで、家路へ!

 今年は、

保護者の皆様のマナーもとてもよく、式中の私語もなく、

駐車マナーをよく守ってださり、お互いに譲り合い、

大変スムーズに良い雰囲気で進行いたしました。

            

ご卒園、おめでとうございます!

6月の第1回同窓会まで、お元気で!

きょうの卒園式のシーンも入れた卒園アルバムは、

そのときにお渡しいたします。どうぞ、お楽しみに!

                         

数々のご協力をいただきありがとうございました。

卒園後も 末永く 幼稚園を「心のふるさと」として

親子でより所にしてください。

折に触れ、子どもたちの成長ぶりを 

園長・担任教諭に ぜひ園へ訪れて お知らせください。

全員の健やかな成長とご活躍をお祈りしています。

                  

 志を高く、大きな夢の実現に向かって、親子で

 元気、勇気、根気、やる気で頑張ってください。

卒園生総数は、12,856人+123人=12,979人

になりました。

  国会議員・北九州市会議員・大学や高校や中学・小学校の先生や校長先生、

会社の社長さんになった人も、医者・薬剤師・看護師・介護などの仕事についた人も

あるいは、デザイナーや画家やピアニストや音楽家、書家などなど

芸術的な分野でのご活躍目覚しい人もいます。スポーツマンもいるようです。

 

 世界的に目覚しい活躍で名前の知られた卒園生は、

孫正義さん(ソフトバンクホークスのオーナー) でしょう。

  http://www.ustream.tv/recorded/11223402

 (ユーストリームで約2時間、↑ 未来の教育に関する興味深い対談もあります。)

  http://www.softbank.co.jp/donations/?page=list.html

今年度は、北九州市立引野小学校の創立50周年の記念式典が2月1に催され

その折に、卒業生の孫正義さんからのお祝いのビデオレターが、来賓紹介の最後に

披露されました。そのことは、先月のブログでも紹介させていただきました。

子ども向けと大人向けの二種類をDVDに収録してありました。

 他にも実業家、建設業、大工さん、有機農業家、エンジニア、仕出し屋、公務員…

コックさん、パン屋さん、パティシエ、果物店主、八百屋、自営業など、

様々な社会の分野で、それぞれの能力に磨きをかけて卒園生の皆さんは

個性を輝かせて、世のため人のために才能を発揮し貢献しています。

どの子も、

緑ヶ丘第二幼稚園出身に誇りを持ち これからも胸を張って

元気にそれぞれの道で目覚しいご活躍をお祈りしています

      

いつも、卒園生全員の幸せな人生を心からお祈りしています。 


宇宙飛行士山崎直子さんの「夢はエンドレス」

2012年03月04日 22時58分01秒 | 宇宙・天体・地学・科学技術・理科関係

平成24年3月4日(日)

 福岡県青少年アンビシャス運動の10年目を検証する会議がありました。

そして本日午後1時~は、アクロス福岡の地下2階イベントホールで

まず、県知事小川洋さんのご挨拶があり、

特に勝れたアンビシャス運動参加団体に対して表彰式がありました。

 その後、福岡教育大学名誉教授横山正幸先生のまとめの報告やアドバイス。

 

その後、午後2時半~4時は、パワーポイントでの様々な資料や

貴重な宇宙での写真と共に

宇宙飛行士山崎直子さんの講演をお聴きしました。

司会者の紹介で、左手から 颯爽とNASAのブルーのつなぎ姿でステージに登場!

『夢を叶える成功の秘訣』

と題して、日本人最後のスペースシャトル搭乗員として

厳しい訓練の日々を振り返り、大活躍した国際宇宙ステーションでのミッション

それを支えてきた夫の大地氏とのエピソード、

「夢はエンドレス」と、繰り返し熱く

チームワークや家族の絆や使命感について興味深いお話でした。

 

山崎 (旧姓角野(すみの)宇宙飛行士は、

1969年7月にアポロ11号が月面着陸した直後 1970年、千葉県松戸市で生まれました。

小学生のころに、プラネタリウムや惑星探査機(わくせいたんさき)ボイジャーが

送ってきた画像をみて、宇宙に興味を持ちはじめたのだそうです。

天体望遠鏡で、くっきりとした月のクレーターを見た時にはとても感動したそうです。

また、「宇宙戦艦ヤマト」のアニメにも影響(えいきょう)を受けたそうです。

 しかし、そのころは宇宙へのあこがれはあるものの、

大きくなったら「 お花屋さん」にもあこがれていたり、また、

「学校の先生やディズニーランドのお姉さんになりたい。」

とも思う少女でした。

 

ある日、ラーメン屋さんで家族と食事をしている時、インド人に遭ったそうです。

物珍しくてジロジロ見てしまっていた。でも、そのインド人は全然怒らずに

「世界は広くて地球は大きいのよ。」と言ったので、外国人や海外に

興味を持つきっかけになったそうです。

それで、中学生の時には、アメリカ人と月に1度、文通していたのだそうです。

 

きっかけはチャレンジャー号の事故

ところが中学生のとき、スペースシャトル・チャレンジャー号の打上げを

テレビでみて、人間は宇宙に行けるんだ、私も行きたい、と強く思ったのでした。

そのチャレンジャーには、当時初めて民間人が宇宙飛行士として

ロケットの乗組員に選ばれたことでも注目されていました。

その女性は、クリスタ・マコーリーさん。中学の科学の教師だった。

マコーリーさんの娘(4歳)が 訓練のため久しく会っていない母に 

テレビ中継を通して「がんばってー!」とメッセージを送るなど、何かと話題が多かった。

女性宇宙飛行士マコーリさんは学校の先生、ならば自分も行けると…

 しかし、このときのチャレンジャー号は打上げ直後に爆発し、

乗っていた宇宙飛行士全員が亡くなってしまいました。

山崎さんは、この亡くなった宇宙飛行士マコーリさんの遺志を引きついで、

多くの子どもたちに宇宙のすばらしさを教えたいと思ったそうです。

でも、高校生になってからは、テニス部に所属し

まだ、どうすれば宇宙飛行士になれるのか具体的にわからなかったのでした。

そして、東大では、英語部に所属。

海外に行きたいと 両親に留学を相談し メリーランド大学に留学。

フロリダの地で、スペースシャトルの打ち上げを直接見て、

宇宙飛行士になりたいと強く決意を固めたのだそうです。

 小学生の時の書道のおけいこも、テニスも、英会話も、

全てが、後日、宇宙飛行士になるためにとても役立ったのでした。

必死で、どうしたら宇宙飛行士になれるかを調べたら、

厳しい条件が書かれた応募規定があるとわかったのでした。

 エンジニアとなって日本で仕事を始めたころ、

宇宙飛行士の募集があったので、

早速応募したのですが、初回はダメでした。

 http://iss.jaxa.jp/astro/select2008/pdf/bosyuyoko.pdf

また、3年後に二度目の挑戦をして、654人の応募者で、

まず第一次は書類選考で200人に絞られ、第二次で50人が残り、

第三次試験で8人になり、その中には

古川さん、星出さんと一緒に、直子さんも残ったのでした。

  JAXA宇宙飛行士の応募条件が示された中でも、ある項目には

『日本人の宇宙飛行士として相応しい教養等を身に着けていること』

というような項目があり、国際的に活躍する上で、

「和の心や日本人の素養」が要求され…それは、どこかでつながってくるのです。

 2年半基礎訓練、次の2年半ミッションスペシャリストの訓練。

そして、米国ワイオミング州でのサバイバル野外リーダーシップ訓練。

ロシアでの、ー15℃での冬季サバイバル訓練。

次々と危機的な状況から生き延びようとする力を養う訓練の連続。

8~9割が、非常時のとっさの判断や素早い修理・正確な危機管理能力をつける訓練。

衣食住に関して、さまざまな視点から改善を試みて、

四畳半二階建ての狭い空間でしたが、

現在のような8分40秒で宇宙空間に…

野口さんは、6か月間も国際宇宙ステーションに滞在しさまざまな実験をしている。

限られた空間で、資源も限られていて、食事もゴミが出ないように工夫。

ゴミは大気圏突入時に燃えてしまうようにして処理しているのでした。

水も節水。風呂はないから、汗も拭きとるだけ。シャンプーも拭き取るタイプ。

なんと、自分の尿を、日本製の浄水機で漉して飲むのだそうです。

歯磨きした後の口を漱いだ水も、全部飲みこむのだそうですよ。

慣れたらなんともなくなるそうですが、最初はかなりいやだったみたい。

 

宇宙飛行士になってから  

山崎さんは、東京大学や東大の大学院で航空や宇宙、 ロボットのことを勉強して、

宇宙開発事業(現在は宇宙航空研究開発機構)に就職(しゅうしょく)し、

国際宇宙ステーション開発の仕事をしました。

そして1999年2月に、古川聡さん、星出彰彦さんとともに

あこがれの宇宙飛行士候補者に選ばれました。

宇宙飛行士になるためのいろいろな訓練を受け、

2001年9月に正式な宇宙飛行士となりました。

それからは宇宙へ行く日に向けて、4088日かかり

毎日いろいろな過酷な訓練がありました。

 趣味(しゅみ)は、琴(こと)、書道、スキューバダイビング、テニス、ジャズダンス

 

宇宙飛行士の方々↓

毛利衛さん  向井千秋さん  土井隆雄さん  若田光一さん  野口聡一さん 古川聡さん  星出彰彦さん 

毛利衛   向井千秋 土井隆雄 若田光一  野口聡一 古川聡  星出彰彦 

山崎直子さん

 山崎直子

 http://iss.jaxa.jp/astro/yamazaki/

 山崎さんは、近著『何とかなるさ!』(サンマーク出版)で

「一度だけ挫折を感じたことがある」と告白。

「それは、夫が環境適応障害になったとき。」と述べている。

妻の訓練を支えるため、会社を辞めて

『主夫』を引き受け渡米した大地さんが一時、心の病に。

家庭崩壊の危機も訪れた。

子育てしながら飛行士を続けることの難しさ。

米航空宇宙局(NASA)の先輩女性飛行士に

「それは不可能ではなく、挑戦に値すること」

と励まされ、前を向き続けた。

大地さんは、シャトルに乗り込む妻に、宇宙へ持っていってほしいと

オメガの腕時計を託した。アポロ月面着陸の際、宇宙飛行士が着用していたモデル。

大地さんが貯金と初任給で買った宝物だ。

山崎さんは感謝の思いを込め、夫の願いを快諾した。

二人にはもうひとつ、帰還後に温めている計画があった。

宇宙飛行の夢を優先し、先延ばしにしてきた結婚式。

「滑走路でできたら最高ですね。」夫婦の共通の願いだった。

 

 実父は陸上自衛官(防大3期)で第1空挺団の幹部自衛官

(元陸上自衛隊需品学校副校長・最終階級1等陸佐)であった。

宇宙飛行士を志したのは落下傘降下する父親の姿の影響を

受けたのでは…とする説もあるようです。

山崎さん(40)は、JAXA(=宇宙航空研究開発機構)を2011年8月31日付で退職した。

山崎さんは、会見で「しばらく育児に専念し、その後は宇宙を身近にしていく活動をしたい」

と話した。

 「10月後半、第2子を出産予定。しばらくは一人の人間として、

家族と向き合っていきたい。」

山崎さんは01年9月に宇宙飛行士となり、その後、娘を出産し、

母親として宇宙を目指した。去年4月、スペースシャトル「ディスカバリー」に搭乗し、

国際宇宙ステーション(=ISS)に長期滞在。

宇宙飛行士・野口聡一さんと、史上初めて日本人同士で共同作業を行った。

  「もともと学校の先生に憧れていたので、今後は

宇宙と教育を軸にした活動ができればと思っています。」

山崎さんは退職後、しばらくは育児に専念し、その後、フリーの立場で、

宇宙を身近にしていく活動をしていきたいと抱負を語っていた。

 

最近、ある日、娘さんから 聞かれたそうです。

娘「私は大きくなったら…になりたいけど、ママは大きくなったら何になるの?」

母「すでに、もう宇宙飛行士になっているよ。」と答えかかったが、そうではない。

母「夢をつなぐ人になるンだ!『夢はエンドレス』だから。」

  アンビシャスな大きな夢を持つ人になって…という強力なメッセージが

会場に来ていた子どもたちにもきっと伝わったことでしょう。

 子どもたちにもワクワクするとても分かりやすいお話で、

あっという間に時間が経ってしまいました。 宇宙空間に浮かぶ月や地球の写真も

スペースシャトルから見た富士山の写真も素敵でした。

 もっともっと、詳しくお話をお聴きしたかった。

「目に見えないところが、一番大事。」と、最後におっしゃった。

 山崎さんは、スラリとして清楚で、ハキハキ話し、

聡明さに輝き、明るい魅力的な女性でした。 

 園の子どもたちも、志高く、アンビシャスな大きな夢を持ち、

その夢の実現の為に地道にコツコツ努力する人になって

地球規模、いや宇宙規模の大活躍をしてもらいたいものです。


おひなまつりお茶会

2012年03月01日 16時57分16秒 | 心を育てる・感性をゆたかに

平成24年3月1日(木)朝からずーっと雨天。一日中が本降りです。

明後日は桃の節句。ですが、また寒さがぶり返してきています。

三寒四温の時期です。

啓蟄が近いので、きっと一雨毎にあたたかい春が近づいてきています。

 

晩秋に年長さんが植えつけたチューリップの球根も

2月下旬から2㎝位芽を伸ばして、

遅かった梅の花も、やっとかたい蕾がふくらんできました。

 

遠賀川の川土手は、菜の花がチラホラ開花し、

黄色い絨毯がうっすらと広がってきました。

 

朝方は肌寒い日でしたが、

園の和室は、早朝からお茶席用の炭を炉におこして、

お香を燻らせて、馥郁とした雅な雰囲気に包まれました。

 

例年のとおりに桃の花と菜の花を花瓶に活けて飾り、和室のしつらえを整え、

毎年迎える健康と長寿を祈る雛祭りのお茶会を、今年も致しました。

 

和服に着替え いつもとは違ったおしとやかな先生方のお点前により、

日頃は活発な男の子も神妙な面持ちで、

伝統の和の風情『わび・さび』の世界にひたり、心ゆたかな時間が流れました。

                    

理事長先生が、7席の茶席の席主を勤め、

子どもの年齢に応じて、心に響く色々なお話をしました。

           『ひなまつり』のはじまりは?

           『ながしびな』のはなし…

           『お茶』の効用

           『炭』の話も…

 

     そして、『うれしいひなまつり』を歌いました。

        

            うれしいひな祭り

                   作詞:サトウハチロー

                   作曲:河村光陽

         あかりを つけましょ ぼんぼりに

          おはなを あげましょ もものはな

          五人ばやしの ふえ たいこ 

          きょうは、たのしい ひなまつり

 

          お内裏様と お雛様 

          ふーたり ならんで すましがお

          およめに いらした 姉さまに 

          よく似た 官女の白い顔

 

          きんの びょうぶに うつる ひを

          かすかに ゆする はるの かぜ

          すこし 白酒 めされたか 

          あかい おかおの 右大臣 

 

          着物を きがえて 帯しめて

          きょうは わたしも はれすがた

          はるの やよいの このよきひ

          なにより うれしい ひなまつり

       

           

 席入りの、おの演奏『さくら』は、主任仰木ミヤコ先生でした。

裏方の水屋の点てだしのお手伝いをくださった先生方、

http://verdure.tyanoyu.net/mizuya.html

お運び担当もご苦労様でした。

お菓子の準備や裏方の采配をしてくださった

ベテランの金子正一先生にも大変お世話になりました。

岡部キヨ子先生も山本かよみ先生も金子弘子先生も和服姿で

お点前くださりありがとうございました。

様々な体験を通じて、こどもたちは

大きく飛躍するターニングポイントを迎えます。

情操をゆたかに、感性を高めるためには、

心にひびく環境に浸るのも非常に大事なことです。

 

今、園の玄関ホールには、美しい『さげもん』や『てまり』がたくさん飾ってあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%92%E3%82%82%E3%82%93

この『さげもん』は、いつも慰問や仲良し交流会に年長組がおじゃましている

倫尚会特別養護老人ホーム 『ウェル馬場山』の

http://www.rinsyoukai.or.jp/

デイサービスの高齢者の方々が、丁寧に型紙をあてて、

ちり緬の布を切り取り、一針ひとはり おばあさんたちが心を込めて縫い合わせて

そこへ おじいさんたちが綿をきっちり詰めて、まりの形に、また

接ぎ合せて 手作りしてくださり プレゼントしていただいたものです。

 また、柳川にお出かけした方から寄贈の 美しい刺繍の鞠も

玄関ホールの七段飾りのひな壇の横に飾ってあります。

手作りのあたたかい真心の込められた素晴らしい作品の数々です。

                

日本の伝統の技の中に、

多くの方々の 子どもたちの成長や長命を心から祈る

そのあたたかい気持ちが伝わってまいります。

どうぞ、園へお越しの節は、お雛様をご覧になり、

その周辺に飾ってある『さげもん』や『刺繍手まり』もゆっくりご覧ください。

一つひとつ色合いや柄が違い、味わいがあり、心ゆたかになります。

 

「わざわざ柳川に行かなくても幼稚園で幽玄夢幻の雅な雰囲気が味わえる」

と、保護者の方々や、近隣地域の方々もおっしゃって

しばし 親子で足を止めて 眺めて、会話を楽しんでくださっています。

                     

最近は、輸入住宅や洋風のモダンなつくりのお宅が増えてきて

全室フローリング、つまり、和室が全然無いお宅もあるようですが、

時々は の上で、正座して 心を落ち着ける体験も

日本人なら、ぜひとも必要ではないでしょうか?

 

ちゃぶ台について、正座してお食事するお宅も 殆どなくなり、

テーブルで椅子に座るという家庭ばかりになってきました。

畳の上で座って、かしこまって飲食をする経験も 殆ど無くなったようです。

その時の作法が伝承されない時代になってまいりました。

座り方やお箸の使い方、お茶碗の持ち方、全て昔は 家庭で

繰り返し注意され、子どもたちは食事の時間には、かしこまって

静かにお行儀よく空腹を満たし、厳粛な気分でお茶やごはんを口にしました。

 

ウロウロしながら立ち飲みや立ち食いは、決して許されませんでした。

特に女の子は、

「氏より育ち。はしたないことをするとお里がしれる。」

などと言われ 

女の子はどんな方とご縁があって結婚するかわからないから

どんな家風のところにお嫁入りしても恥をかかないですむように…

とか、幼少時から気立てよく、感謝の気持ちを表す女性になるようにと、

立ち居振る舞いやお行儀面は、両親だけでなく祖父母からも悉く厳しく躾られました。

たとえば…

「お辞儀は座ってなさい。立ったままでご挨拶とは、なんて行儀の悪い子だ!」

などと言われ、夕方、埃を掃き清めた玄関では、

「お父様、おかえりなさい!お疲れ様でした。」と

母親と共に、子どもたちは走り出て、

三つ指ついてお辞儀し一家の大黒柱のお父さんを出迎えたものです。

 

だが、最近の玄関は、スライド式の戸ではなく

ドアー式の玄関が増えましたから、

戸の開け方も閉め方も以前の方法とは異なって、

中にはバリアフリーで段差も無いような玄関も登場して、

上がり框なども無く、随分ライフスタイルが変わりました。

 

でも、日本人は、宇宙飛行士の山崎直子さんもおっしゃっていましたが

国際化の時代だからこそ、より一層日常生活でも和の心を忘れずに

やはり、四季折々の季節感のある伝統行事を大事にして、

肌で感じる感性をゆたかに育てていきたいものです。

 

それぞれのご家庭でも、子どもたちの健康と長命を願い

『おひなまつり』を伝統にのっとりお祝いしてみませんか?

子どもたちの心をゆたかに育てる『情操教育』に

もっともっと関心をはらい、感性を高める工夫をしてみましょう。

 

この乳幼児の時期には、特に感性をつかさどる右脳に良い刺激を与え

ご家庭でも『右脳の配線工事』にも力を入れていただきたいものです。