緑ヶ丘・第二幼稚園 最新かがやき日記

緑ヶ丘・第二幼稚園のかがやく子ども達の成長を見守り、親も教師も園長も子どもに負けず共に成長する日々を綴った日記です。

長崎で江戸時代の教育を考える

2010年08月22日 20時56分55秒 | 教育

平成22年8月22日(日)

 いよいよNHKテレビの大河ドラマ「龍馬伝」が、佳境に近づいてきました。

龍馬というと一番の功績と言われるのが、中岡慎太郎と奔走し、

犬猿の仲であった薩摩藩長州藩を結びつけた「薩長同盟」です。
 ryomatosintaro.JPG
  竜馬と慎太郎像

私が子どもの頃は「薩長連合」と言っていたのですが、

最近では「薩長密約」とか「薩長盟約」と呼ばれることが増えています。

 

テレビを見ていると、本当に薩長は仲が悪いようですが、

諸説があるようです。

しかし、どちらにしても、両藩がその後の倒幕の中心になっていくのは確かです。

明治政府の多くの要職を薩長で占めていたことも事実です。

薩長そして土肥、その影響力を、今でも感じます。

が、なぜ、薩摩と長州が中心になったのでしょうか。

その理由の一つは、

両藩とも先を見る力があったのでしょう。

「尊皇攘夷」を唱えながら、実は「攘夷」と言いながら、

欧米の文明の進んでいることを認め、攘夷などはできるものではなく、

それよりも早く欧米の文化・文明を学んだ方がいいと思っていたのです。


薩長は同盟を結ぶ前から、同じような考え方をし、

両藩の関わりがあったのです。

薩摩藩は、薩英戦争でイギリスと戦って、

イギリスの文明のすすんでいることを目の当たりにします。

そこで、攘夷の不可能を悟り、1865年、島津久光の意向で

イギリスに国禁を犯して15名の留学生と4名の引率者を派遣しました。

その薩摩藩派英の留学生のことを、「薩摩スチューデント」と呼びました。

このメンバーであった森金之丞(森有礼)は、外務卿、初代文部大臣になりますし、

松村淳蔵は、海軍中将、畠山丈之助(畠山義成)は、

東京開成学校(東京大学の前身)の初代校長になります。


一方、これに先立って、これより数年前に長州からも秘密裏に

イギリスへ留学のため派遣された5人がいました。

こちらは「長州ファイブ」と呼ばれ、映画にもなり話題になりました。

メンバーの5人は、それぞれ功績を残しています。

井上聞多(井上馨)は、初代外務大臣で、欧化政策を推進し、

不平等条約改正に尽力します。

遠藤勤助は、造幣事業に一生を捧げ、

「お雇い外国人」から独立し、

日本人の手による貨幣造りに成功します。

山尾庸三は、グラスゴーで造船を学び、

明治4年に工学寮(のちの東京大学工学部)を創立し、

また、聾盲唖教育の父とも呼ばれています。

伊藤博文は、もちろん初代内閣総理大臣となり、大日本帝国憲法を発布します。

野村弥吉(井上勝)は、鉄道の父とよばれ、

新橋-横浜間に日本初の鉄道を敷き、

以後、全国の鉄道敷設工事を指揮しました。

岩崎彌太郎とともに小岩井農場を創設します。


時を同じくしてイギリスに留学していた薩長はその地で交流をしていたようです。

それにしても、イギリスに着くまでに見た諸外国の姿や、

イギリスに着いてからも驚きの連続だったのでしょうね。

そんな日本人を見たイギリス人は、

日本人はなんと野蛮で遅れている国民なのだろうと思いますが、

しばらくしてその日本人たちは、農機具などすぐにマスターし、

イギリス人たちを指導するようになります。

今度は、イギリス人たちは、

日本人はなんと優秀な国民だと思うようになります。

それは、彼ら留学生のあくなき探究心の現れですが、

もうひとつは、江戸時代の教育の成果ともいえます。


進んだ外国の文化に触れて驚く彼らですが、実は、

日本の文化も決してひけをとらない高い水準を持っていたのです。

薩摩スチューデントたちや長州ファイブのメンバーたちが

広い世界から受けたカルチャーショック、驚き、恐れ、どのくらいだったかと

想像を超えるものがあります。それにもまして彼らの好奇心の旺盛さは、

近代日本の建設に少しでも活かそうという燃える様な若い情熱を感じます。

また、このメンバーには、自分たちの国をその内側からではなく、

外側から客観的にとらえていくという共通の経験があることによって、

帰国してからのつながりができていったような気がします。


明治になってからの変化は、急激な革命的なものではなく

江戸時代が長く維持した鎖国政策の中で、外国に左右されず、

長く緩やかな日本型の合理化・近代化、じわりじわりと『明治維新』だったのです。

その近代化は、他国の影響を受けないだけに非常に自律的な形をしていました。

 

ですから、寺子屋への就学率も、義務教育という形ではなくても、

世界の中で非常に高い就学率を誇ることができたのでしょう。

その自律的な近代化は、現在まで続く日本型社会を形成してきました。

 

そして、その中でも色々な改革が何度か行われています。

その改革で、国家システムは合理化され、

国家主導のもとで、国民教育も大いに普及したと言われています。

すべての近代化が、明治維新によってはじまったというのは間違いで

規制緩和、地方分権、首都機能移転などの今日的な政治課題同様、

教育制度においても、

江戸時代に国民諸階層の教育制度が整備されており、

幕府、藩、庶民のレベルでの藩校郷学

町や村の寺子屋など、国民的規模で整備されています。

 

この整備は、国家が庶民を教育の対象として捉えていたことは、

日本では、教育に対する国民の意識が非常に高かったことを示しています。

 

そして、この国民的規模での識字率の高さ、社会の近代化・均質化が、

明治以後活躍した人材の育成に貢献したのです。


江戸時代の教育は、非常に進んでおり、その中で、最終的には

四書、五経という儒教の基礎を勉強させるべきと述べています。

が、

それまでには、発達段階に応じた教材として

往来物の利用をしてきました。

 

その様子を、外国の人からはどのように映っていたか、

いろいろな書物から知ることができます。

黒船に乗ってきたペリーは、

ぺルリ提督日本遠征記」の中で、

本が安く大量に売られていることを驚き、

「教育は同帝国至る所に普及して居り」と、

教育の普及ぶりを評価しています。

プロイセンの画家ハイネは、

「ハイネ世界就航日本への旅」という書物の中で、

子どもたちがしっかりと男女ともに小学校に入って勉強し、

読み書きと祖国の歴史を教わっていると書いています。

同じことが、イギリス外交官の秘書ローレンス・オリファントも、

エルギン卿遣日使節録」で、

「子供たちが男女を問わず、またすべての階層を通じて必ず初等学校に送られ、

そこで読み書きを学び、また自国の歴史に関するいくらかの知識を与えられる」

というように書いています。

また、ロシア海軍軍人ゴロウニンは、

日本幽囚記」に、

「日本の国民教育については、全体として一国民を他国民と比較すれば、

日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である。

日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない」

また、

「しかしこれらの学者は国民を作るものではない。

だから国民全体を採るならば、

日本人はヨーロッパの下層階級よりも

物事に関しすぐれた理解をもってゐるのである。」

と、非常に高い評価が記されています。

スイスの全権主任アンベールは、

アンベール幕末日本図絵」上巻で、

「成年に達した男女とも、読み書き、数の勘定ができる」

と、驚いています。

イギリスの初代駐日公使オールコックは、

大君の都」に、

「日本では教育はおそらくヨーロッパの大半の国々が自慢できる以上に、

よくゆきわたっている」

と述べています。


外国に行った日本人は、

いろいろな進んだ文明に驚いていますが、

日本に来た外国人たちは、実は

日本のすすんだ教育に驚いているのです。 

 

この度、長崎市で、8月19日(木)~20日(金)

全日本私立幼稚園連合会九州地区教師研修大会が開催されました。

その折に平和祈念像にも行きましたが、如己堂も原爆資料館も5時まででした。

最後に、K先生と一緒に訪れた長崎歴史文化博物館にも、

         http://www.nmhc.jp/

長崎街道を通じて多数の外国人や文物の往来があり、

唯一の当時の様々な海外情報が出入りする場所としての「出島」や

龍馬や長崎奉行所に関する興味深い資料が多数展示してありました。

                                         

大浦天主堂グラバー邸付近は、以前に比べると綺麗に整備され

動く歩道で、高齢者や足の不自由な方も訪れやすくなっていました。

龍馬の足跡を尋ねる観光コースも、分かりやすく案内板が出ていましたが、

残念ながら時間の余裕が無く後ろ髪引かれる思いで帰宅しました。

 

テレビも、いよいよ薩長同盟~寺田屋~薩摩~大政奉還 終盤です。

江戸時代の教育の凄さを、龍馬を通しても、毎回確認させられます。

さて、自主的な創造的な意見を持った現代の救世主たる政治家は?

いのちをかけて働く人は?現れるのでしょうか?

子ども達の未来は?教育の大事さを考えさせられます。 


関門海峡絵画展、そして夏休みも残り少なく

2010年08月08日 20時28分46秒 | 教育

平成22年8月8日(日)

夏休みも中盤になりました。お元気でしょうか?

連日、素晴らしい晴天が続いています。

真夏日です。例年に無く 猛暑です。

(沖縄より北海道の方が気温が高いとは ?!)

毎日 朝から26℃~27℃、日中の最高気温は35℃を超えています。

 皆さん、どうか、熱中症には、充分お気をつけください!

 

今日は、午前11時から

北九州市門司区の関門海峡ミュージアム

第3回かんもん海峡門司港レトロこども絵画コンクール』の表彰式がありました。

                             

以下の皆さんの作品がのびのびと個性的な素敵な表現が認められて

多数の応募作品のなかから表彰を受けました。

特別賞は、4人も受賞者がいました。

 おめでとうございます!

表彰式:平成22年8月8日(日)

       関門海峡ミュージアム(海峡ドラマシップ)多目的ホール

作品展示:平成22年7月17日(土)~8月8日(日)

       海峡ドラマシップ・門司港レトロ展望室・旧大阪商船

     ※賞と入選番号により展示場所が異なります。

 

毎日新聞社賞

  年長 守口 瑛

門司港レトロ賞

  年長 小野塚 凛

トロッコ列車賞

  年長 小堤 ・也

トロッコ列車賞

  年長 津川 翔伍

 

入選(9人)

  年長 古賀 心菜  

  年長 上原 賢人

  年長 中島 涼

  年長 野元 侑希

  年長 山中 咲紀

  年長 後藤 奈々

  年長 玉田 雛子

  年長 大串 侑聖

  年長 中山 結生

 

佳作(17人)

  年長 藤木 虎春 

  年長 樫東 丞太朗

  年長 渡部 聡太

  年長 徳間 莉奈

  年長 宮村 日菜乃

  年長 秋好 莉那

  年長 柏木 ・紘

  年長 野村 洸太

  年長 中山 結生

  年長 新宅 椋太

  年長 池田 理奈

  年長 中村 朱音

  年長 中島 くるみ

  年長 井上 真聡

  年長 大塚 羽・孝

  年長 林 春輝

  年長 山田 杏実

 どの絵も 門司港レトロの風景や人々の姿を

一生懸命よくイメージしながら表現する努力や工夫がみられ

美しく丁寧に 素晴らしい作品になっていました!                 

 どうぞ、楽しい作品をご覧下さい。

第3回かんもん海峡・門司港レトロこども絵画コンクール

(海峡ドラマシップ主催、毎新聞社など後援)の審査をした

楠橋小学校の小林廉校長は

「力強い線や人物を入れた構図などレベルは高くなっています」と講評。

北九州市長賞の佐々木亜恋さん(小4年)は

「絵が大好きで、少し大変だったけど一生懸命描きました」

とうれしそうだった。

 

この絵画コンクールの展示作品を、

来日中の中国(上海・南京・揚州)からの

小学校や幼稚園の関係者の皆様も偶然ご覧になりました。

                             

 実は、

平成22年7月17日(土)は、福岡アジア美術館へ行きました。

 『日中友好児童絵画展』の主だった賞の表彰式が、

中華人民共和国在福岡総領事館でありました。

受賞作品は、全部 福岡アジア美術館に 展示されていました。

当園の2人の園児も、

福岡アジア美術館で 受賞しました。

 

 7月17日(土)夕方6時~福岡市大名で、

受賞者の友好を深める交流懇親会がありました。 

中国からの受賞者の子ども達は、歌も踊りもとても上手で、

詩の暗誦を披露してくれた子どももいました。

 

7月18日~20日は、中国からの受賞者の子ども達は、

北九州アカデミー少年少女合唱団の子ども達との歓迎交流会のあと、

日本の家庭に二泊三日ホームステイをしました。 

(卒園生の家庭も3家族が受け入れ協力して草の根交流に寄与しました)

 

その間、引率して来日した先生方や保護者の皆さん一行は、

門司港レトロや関門橋、小倉城など北九州市内を観光。

その折に、上記の場所で、受賞作品をご覧いただきました。 

 

19日は、午前中、緑ヶ丘第二幼稚園の視察・見学に訪問しました。

国は違っても、『教育』・『子育て』には、関心が深く

お互いに熱心に教育談義をしました。貴重な体験でした。

幼稚園での教育方針には特に興味を示し質問が沢山ありました。

 

当園は、じょうぶな体、やさしい心、ゆたかな感性の3本柱に創立以来

力を注ぎ、つまり、「情操教育」に力を入れていることを説明。

『心の育ち』にいつも一番気をつけながら、

先生達が毎日出来るだけ全員に言葉をかけたり、

目的意識を持たせたり、

意欲付けのために、

褒めて励ましたり、…

個性の良いところに着目して

のびのびと その子ならではの活動や独創的な表現が生まれるように

指導や支援を工夫していると説明しました。

『子育て教室』や『子育て相談』もできるように木曜日は、『子育てサロン』を

地域の皆様のために開放していることには、特に興味を示していました。 

                              

      お知らせ

7月20日は、1学期の終業式で、7月21日から夏休みです。

2学期は、9月1日(水)から始まります。

 

見学をご希望の方は、随時受け付けていますが、

   夏休み中は、朝、電話を入れて、

お泊り保育や園外保育に出かけていないかをよく確かめて、

なるべく お盆明け~ 8月下旬にお越しください

 

尚、8月13~15日は、お盆特別休暇で幼稚園は、休園です。

預かり保育は、ありません。

 

園児の皆様は、夏休み中に、病気の完治目指して、

しっかり虫歯や鼻炎なども治療しておきましょう。

8月23日(月)から夏季保育開始です。

25日~26日はA班お泊り保育

27日~28日はB班お泊り保育

 

9月1日、2学期のスタート日には、元気な笑顔で

全員事故やケガがなく 会えるようにしましょう。

 

万一、

引越しや入院や遠方への帰省… あるいは、

電話番号の変更などございましたら

すみやかに、

TEL 093-631-3939

へ連絡をください。