緑ヶ丘・第二幼稚園 最新かがやき日記

緑ヶ丘・第二幼稚園のかがやく子ども達の成長を見守り、親も教師も園長も子どもに負けず共に成長する日々を綴った日記です。

『割れ窓理論』(ブロークン・ウインドウズ)とは?

2007年03月30日 18時18分54秒 | 近頃思うこと・政治・経済・時事問題

平成19年3月30日(金)夜半から激しい雷鳴、

暴風が吹き荒れて一夜が明けました。のち 

皆様、安眠できましたか?

熟睡できなかった方が、多かったようですね。春の嵐でした。

で、何かが吹き飛ばされて、ご近所で 窓ガラスが、一枚割れた。

それで、突然 思い出したのですが、

最近は、田舎といえども、いつも施錠をしなくては

物騒な世の中になってきました。

 嫁いで約10年間(昭和53年3月~)は、嘉穂郡のご近所で、

夜間 施錠して就寝するお宅など皆無でした。

特に夏場は、クーラーなど普及してない時代で、

皆、どこもかしこも開けっ放しで 蚊遣りを焚き、寝間には蚊帳をつり、

風の通りを良くして、扇風機をゆるくタイマーセットして休んでいました。

そんなのでも、泥棒が入ったなんて話は、全然聞いたことがありませんでした。

所が、約20年前頃、特に平成に入ってから、あちらこちらで、空き巣ねらいや、

洗濯物干し場での女性物の下着の盗難が相次ぐようになり、 こんな田舎でも

用心を怠りなくしなくてはならないようになったもんだ…と、

隣組の集会でも 眉をひそめて嘆き始めていました。

特に十数年ぐらい前からは、派出所からのパトロールの担当者も 

「日中でも、在宅中でも、畑仕事をしているほんの僅かの間でも、

必ず、表の通りの方には、施錠をして、庭仕事をしてください。」

と、指導に回ってくださっていました。

ご近所には、高齢の単身の方や、老夫婦だけ暮らしているお宅が増え

瞬く間に、中高年の家庭ばかりになりました。

 それで、一軒のお宅が、老主人の入院で、ついに空き家になり、

暫くして まず、風呂場の窓ガラスが割られました。

すぐに、町内会長さんに連絡をしたが、

老主人の入院先も家族の連絡先もわからず、

苦労して、娘さん達の連絡先を調べていただきました。

その間に、どうやら、その家は、非行少年のたまり場に使われ…

気づいて、また、派出所に連絡し、室内を見たときには、

たばこの吸い殻やジュースの空き缶やお菓子の食べ殻など、

室内や廊下や風呂場にあれこれゴミが散乱して、

縁側の方も、ガラスが割られて室内が荒らされていたそうです。

これは、

かれこれ 四,五十年前,米サンフランシスコで,

空家になった住宅にヒッピーが住みつき,

美しい街が荒廃の危機に直面した経緯があったのに似ています。

つまり,たった1枚の割れ窓の放置から起きる荒廃の始まりで,

街は荒れ,無秩序状態となって犯罪は多発し,

地域共同体を作っていた住民は街から逃げ出し,

街が崩壊してゆくという例でした。

 たった1枚の割れたガラス窓を対処することから,

窓ガラスを割ったり,ビルの壁に落書きをするなど

軽微な事犯でも,見逃さないという警察の存在があるから,

安全に対する住民意識が変わり、

全体的な犯罪傾向事態は大きく変わらないのに,

地域共同体は、見事に再生できた。

それは,『割れ窓理論』というのだそうです。落書きを放置したり,

『割れ窓理論』により 警察は殺人や強盗など重大犯罪だけでなく,

日本でいう軽犯罪法違反の事犯も

どんどん取り締まるという姿勢を見せたので、

それにより,住民は安心感を自ら作り出すという効果があるともいえる。 

『割れ窓理論』(ブロークン・ウインドウズ)とは?

提唱者は、米ニュージャージー州ルトガーズ大学

ジョージ・ケリング博士

 米国の警察財団は,1972年,カンザスシティ(米カンザス州)で

『防犯パトロール活動』を,

ニューアーク(米ニュージャーシー州)では

『警察官の徒歩パトロール強化』を実施した。

このニューアークの徒歩パトロールが,『割窓理論』の基調となったそうです。

 この成果を調べたケリング博士は,警察官の徒歩パトロールには,

犯罪を減少する効果はないが,地域住民に安心感を与え,

住民が警察活動へ親近感を増す効果があることに気がついた。

『割れ窓(割られた窓)』とは,言葉のとおり,建物やビルの窓ガラスが割られて,

そのまま放置しておくと,外部から,その建物は管理されていないと認識され,

割られる窓ガラスが増える。

建物やビル全体が荒廃し,それはさらに地域全体が荒れていくという理屈です。

 つまり,『割れ窓理論』 このケリング博士の理論は,

米政治学者ジェームズ・ウイルソン博士(米UCLAで公共政策講座)と

共同でアトランティック・マンスリー誌に掲載されました。

これを実践的に採用したのが,ニューヨーク市R・ジュリアーニ市長だった。

 ジュリアーニ市長は,1994(平成6)年1月,

NY市警察本部長にブラットン氏を任命。

『割れ窓理論』を採用してニューヨークの街角から“割れた窓”の一掃を図った。

 このために警察官5000人を採用し,徹底した徒歩パトロールと

軽微な犯罪の取り締まりに入った。

同時にNY迷惑防止条例の積極的な運用も図った。

ニューヨークのイメージは変わり,落書きで有名なNY地下鉄は,

いまではキレイな車体で,安全な乗り物としてニューヨーク市民の足になっている。

ところが、日本では、安全神話の崩壊…

 2005年発表された「社会意識に関する世論調査」では、
 
現在の日本で悪い方向に向かっていると思われるのは「治安」であり、
 
大きく上回り、まさしく「安全神話の崩壊」を裏付ける結果となっています
(図表-1)。
(「神話」が崩壊したということの証左ではありますが、
「現実」としてどうなのかについては別途詳細な分析が
必要となることは、すでにお判りのことかと思います。)


図表-1
図表-1
(出典)内閣府大臣官房政府広報室HPより
http://www8.cao.go.jp/survey/h16/h16-shakai/2-2.html


 このような国民不安の払拭は、わが国の喫緊の課題となり、
 
「安心・安全」というキーワードは、総理の施政方針にも登場し、
 
自治体のまちづくりにおいても大きな柱になりつつあります。
 
我が隣組でも、「安心・安全」の概念は、
 
「安全・安心なまちづくり」イコール「犯罪に強いまちづくり」と考えて
 
『割れ窓理論』に のっとって 取り組んでいます。
「割れ窓理論」における「割れた窓」は、
 
縄張意識と当事者意識が低い地域の象徴であり、
 
犯罪者が気軽に犯行に及ぶことのできる地域の象徴です。
 
米国のJ.Q.Wilson とG.L.Kelling両博士による理論です。
 
逆に言えば、割れた窓が1枚もない地域は、犯罪者にとってやっかいな地域
 
すなわち“犯罪に強い(の少ない)地域”ということなのです。
 
このようなことを説明すると、「では地域の窓ガラスの取替え発生率と
 
犯罪発生率が統計的に負の相関があると説明できるのか?」
 
などとすぐいう人もいますが、そういうことの詮索の時間が無いので、不明です。

 この理論の重要な点は、 個人個人の「管理意識」を
 
「縄張意識と当事者意識」というかたちで
 
地域に広げるべきであるというところなのです。
 
もちろん意識だけではだめで、下図のとおり、
 
ハードな要素とが合わさることが重要です。
 
ここで、賢明な読者の多くは、「それって昔の日本じゃないのかな?」
 
と思われるかもしれません。実は正解です。
 
「割れ窓理論」はかつての日本の地域社会が実践してきた
 
「向こう三軒両隣」のコミュニケーションに他なりませんね。


図表-2 犯罪に強い3要素
図表-2
(出典)割れ窓理論による犯罪防止、小宮信夫監訳、文化書房博文社等より



割れ窓理論とソーシャル・キャピタル

 さて、ソーシャル・キャピタルは、
 
「ネットワーク(社会的な繋がり)」「規範」「信頼」といった社会組織の特徴で、
 
共通の目的に向かって協調行動を導くものとされています。
 
日本ではやや耳慣れなかったこの言葉も 昨今は、
 
かなり浸透しつつあるという実感があります
 
割れ窓理論が規定する「縄張意識と当事者意識」
 
は、内部結束型 すなわちBondingなソーシャル・キャピタルと
 
かなり似たものです。
 
Bondingなソーシャル・キャピタルは、
 
実は強すぎると弊害があると言われています。
 
すなわち「排他性」の問題です。
 
民族的な結束は異民族を排除しようとする運動につながりますし、
 
組織的には「長いものには巻かれろ」主義の蔓延につながり
 
活力をそぐことになります。
 
ソーシャル・キャピタルの議論では、
Bondingよりも「橋渡し型」(Bridging)のソーシャル・キャピタルが
重要と言われています。

 犯罪に強いまちづくりのためには
「縄張意識と当事者意識」が重要であるとの「割れ窓理論」と、
その性格は強すぎると良くないというソーシャル・キャピタルの議論。
 
これらをどこでどう折り合いをつけるべきなのでしょうか?
 
参考に↓
割れ窓理論による犯罪防止」小宮信夫監訳、文化書房博文社、2004

「ソーシャル・キャピタルって何だ??」東 一洋、2003

「ソーシャル・キャピタル:豊かな人間関係と市民活動の好循環を求めて」

内閣府、2002

常々思うのですが、見事に美しく景観がよみがえった 所は、則松です。

日頃から、則松金山川コスモス会のボランティアグループの皆様のように

地道に、コツコツと 美しくて 住みやすいまちづくりを考え皆で協力して

子育ての環境を向上させましょう。

               

もう、園庭のさくらが、7~8分咲きになりました。

4月1日の入園式に、満開で 晴れて歓迎出来ると良いのですが…

年度末の金曜日のせいでしょうか?

                

夕方の交通が、混雑し、もの凄い渋滞でした。

もしかしたら、あなたもお花見にお出掛け?くれぐれも、お気をつけて…

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ディズニーランドのカストーディアルとは?

2007年03月22日 21時30分15秒 | 近頃思うこと・政治・経済・時事問題

平成19年3月22日(木)ぽかぽかあたたかくなりました。

明日は、三学期の終業式。 

残念ながら、明日でお別れのお友だちや先生もいます。

遠くへ引っ越して行くのです。

お別れは寂しくて辛いのですが、また、

新しいお友だちを沢山作って元気に活躍して欲しいですね。

明日は、大掃除もします。

長いことお世話になった教室や棚や机や椅子にも御礼を言います。

そして、新しいお部屋へ引っ越しします。

新しいお部屋で、新しいお友だちや先生との出会いは楽しみですね。

ピカピカのお部屋に入って気持ちよくスタート出来るように、大掃除ですね。

                               

掃除と言えば、「カストーディアル」と呼ばれる人をご存知でしょうか?

ディズニーランドに行った人は、いつ行ってもゴミが無いし、とても綺麗に掃除が行き届いていることに感動します。

ディズニーランドは、日本最高の人気のテーマパークで、混雑していること以外は、いつも気持ちよく楽しく過ごす事が出来ます。

その秘密は、カストーディアルの存在です。

カストーディアルは、ディズニーリゾートを掃除をする人ですが、清掃係とかゴミ拾い等とは呼ばれません。

カストーディアルは、実は、ディズニーランドが最も力を入れている主役級の仕事なのです。

ウォルト・ディズニーは、かつてディズニーランド開設前にこう語っていたそうです。「いつでも掃除が行き届いていて、おいしいものが食べられる。そんな夢の世界を作りたい。」

無論これは現在のディズニーランドの土台となっている大事な思想で、「夢と魔法の王国であるためには、現実を想起させるゴミが落ちていたら全てが台無しになる」と、考えました。

しかし、パーク内には至る所にポップコーンなどの販売所があり、子ども連れがたべちらかしたり、こぼしたり…と言った様子がそこここで見られ、その状況を見て、ゴミを見つけたら、片っ端から徹底してすぐに綺麗にする仕組みを作ることが大事と考えました。それが、カストーディアルだったのです。

掃除人であると同時に、エンターテインメントな役割を演じる存在でもあります。

それが、ほかの「掃除をする人」と大きく違う点です。
エンターテイメントといわれる所以は、踊るように掃除をする姿…スイーピングです。

トイブルーム(ほうき)とダストパン(ちりとり)をテンポよく動かし、踊っているようにも見えるような動作で、カストーディアルはキャストの中でも、独特な行動様式を持って表舞台に立ち、今では、カストーディアルはディズニーランドの中でも最も人気のある仕事の一つになっているそうです。

町で見かける掃除の人や、ふつうのキャラクターキャストとも違う 誇り高い行動様式はカストーディアルの特徴です。踊るように掃除をする姿~これは、結局のところ、動きながらスピーディーに掃除をすることの追求から生まれたスタイルです。立ったまま掃除をするカストーディアルは、けっしてしゃがまない、ともいわれている。

例えば、地面にジュースなどがこぼれた痕があったとき、しゃがんで拭き取ることは基本的にせず、装備している紙ペーパーを地面に落として、足を使って拭き取る。一見、行儀が悪い、横着のように見えるこの行動は、しゃがんで拭くと、通りかかったゲストが、しゃがんだキャストに気づかずにぶつかって転倒してしまう危険性があるからなのだそうです。それを極力避けるために、しゃがまない。

もちろん、しゃがまないと対応できないものの場合は、周囲をよく確認してからしゃがむのです。めったにしゃがまないカストーディアルは足技をよく使うのです。例えば、ゲストが硬貨を地面に落としたとき。転がる硬貨を踏みつけて止めたあとに拾う。

このように安全に気をつけているカストーディアルは、清掃の資機材の使用でもいろいろと見えない気配りをしているらしい。ホウキやモップなど、先が細い資機材を使う場合、その先端を手で覆うようにつかんでガードすることになっている。

これは、先端がゲストにあたって怪我をさせないための安全行為です。
チリトリやごみを回収するカートなど、ゲストにぶつかると怪我をさせるようなものをどうしても人ごみの中で使う場合が多いとき、あやうくぶつかりそうだ、と思ったときは、その資機材を自分の方にもってくる、つまり、自分の身体にぶつけることで、ゲストをお守りするのがマニュアルなのです。

カストーディアルは自然とやっていることなのですが、足などにはチリトリをぶつけたアザができることなど、生傷も多いそうです。人ごみの中を突っ切りながら掃除をするカストーディアルならではの勲章ともいえます。

地面の掃除は、赤ちゃんがハイハイできるほどきれいにしなければならない。

これは、幼稚園や保育園での教諭や保育士の基本と一緒です。

あとは、どれだけ早く歩いていても、必死に掃除をしていても、

ゲストから声をかけられれば、

最高の笑顔で親切に答えるのもカストーディアルならではの心得です。

こうした存在がいるから、ディズニーランドへのリピーターが多いのも、夢と感動を与える為に清掃を徹底して出来ているのも 納得でき頷けます。

清掃に対する意識の高さが、

常に心地よい快適な空間や環境の提供に繋がっているのです。

幼稚園や学校でも、子どもたちが毎日、快適に

健康ですくすく成長できるように、

日々の清掃にも力を入れて取り組まねばなりません。

カストーディアルに、学ばねば

元カストーディアルが後輩に、コツを述べたくだりがHPにありましたが、…

高速にスイーピングをするには、早く歩かなければならない。走るとだめなので、ぎりぎりバッドショーにならない程度に、大股で早く歩くこと。
簡単なことのようだが、実は難しい。
早く歩くと、ついごみを見落としてしまう。ゲストの声や困った様子に気づかない。混んでいるときはゲストを避けることが難しい。早足で歩きつづけると体力の消耗が激しい…などの理由で、簡単なようで一番難しいことなのだ。
私がキャストとなったとき、最初に指導されたことは
「ごみをちゃんと拾えなくてもいから、とにかく早く歩きなさい。そのかわり、ゲストの様子をきちんと見ること」
…今なら、ぜったいに言われないことだろうが、昔は早く歩くことが基本だった。ごみを拾わなくてもいいから早く歩け、というのは、早く慣れるため、ということもあったが、すばやく動くカストーディアルの中で新人がゆったりと歩いているのはバッドショー、ということでもあった。
…今は、ごみを拾わなくてもいいから、というわけにはいかないだろうが、移動は早く歩くことを心がけ、ごみがあるたびに「立ち止まって」スイーピングする、というのが、よい訓練方法だろう。
そのうち体力もつき、余裕もでてゲストの様子やまわりも見えるようになるし、人ごみの中をぶつからずに高速で通り抜ける術が身につく。

ただ、あまり無理をすると手首を痛めるので、注意です。

どんなに高速でスイーピングをしていても、忘れてはならないのが、ゲストの存在。つい一生懸命掃除をしていると、困っているゲストや、声をかけようかどうしようか迷っているゲストを見逃してしまいそうになる。
高速でスイーピングしようとするキャストほど自分の動きとごみだけに集中してしまう。あとはゲストにぶつからないように距離をとろうとする。
その結果、一番大切なはずのゲストサービスがおろそかになってしまう。一時期、技や早歩きが禁止されたのも、こういったことが原因だ。
 どんなに急いでいても、掃除に集中していても、ゲストの様子には注意し、声をかけられたり、こちらから声をかけるときは、笑顔になって応えよう。
慣れないうちは、ゲストがいないところで速く動くようにして、比較的混んでいるというか、ゲストの人通りが多い場所はゆっくりと歩く。

…以上のポイントは、現在最速のスイーパーがいかにして、今のような速いスイーパーとなっていったか、を 私(元カスト)が、傍目から見て感じたこと、を元に書いてみました。実は、私は、上記のようなパワースイーピングよりも、現在の多くのカストーディアルが行なっている落ち着いた流れるようなスイーピングの方が好きです。
でも、各エリアに一人くらいは、パワースイーピングの人がいると、にぎやかさがあって、いいな、と思います。 (原文転載)

清掃日本一への取り組みは、心磨き日本一にも繋がります。
 
 
昔、団塊の世代の私が小倉の米町小学校へ通っていた時代のことを 
思い出しましたが、…
当時は、『清掃学習』の時間といっていました。
 
清掃の時間には、マスクを掛けて、頭には三角巾のようなもので、埃よけを被り、
「心磨き」といって、建て替わる前の古い木造校舎の木の床や、廊下や、講堂を、ゴシゴシ力を入れて黙々と乾拭きし、ピカピカにしていました。
 
私の担任の先生は、清掃中のおしゃべりを禁じていましたが、他のクラスはしゃべっても良いクラスもありました。
 
なかには、先生の目を盗んで、
特に外掃の時には、
箒を持って、チャンバラごっこをする男の子たちがいました。
 
それで、先生は、私が副級長だったので、さぼった人をいつも記録させ、
報告させていました。
バカ正直にいちいち報告するものだから、
男子の級長他数名~いつもふざけて、私をからかっていた掃除をさぼる連中が、
いわば「チクリ」を怒って、私は結局 相当いじめられました。
でも、少々悪口いわれても、後ろからお下げの髪の毛を引っ張られても、ほっぺたをひっかかれても平気でした。
逆に、やられたら、必ずやりかえし、負けん気も正義感も強かったようです。
 
先生からも、祖父からも、
「一見おとなしいが、正義感が強くて、勇気があり、男の子と同等にやり合っても絶対に負けないので、できたら、やさしい弟と気の強い姉が入れ換わっていたら丁度良かったのに…」などと、 小学生の頃には よくいわれていました。
 
弟が、泣かされて帰ってくると、
「どうしたの?誰が泣かせたの?」
と、聞いて、すぐ箒を持って飛び出して行って 
いじめっこを退散させていた そんな姉だったようです。
 
中学生になってからは、性格ががらりと変わり
無口な文学少女?になりましたが…
 
            
 
さて、明日は、終業式です。
 
「カストーディアル」のようにパフォーマンスしながら清掃する必要はありませんが、
 
身の回りを整え、教室や机や椅子にも感謝して、
 
「ありがとうございます」
と、
「立つ鳥跡を濁さず」
美しくして引っ越していきたいものです。
 
                
 
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福岡県立高校入試合否発表日に…坂村真民さんの詩

2007年03月20日 06時24分17秒 | 教育

平成19年3月20日(火)

最高気温12℃の予報で、昨日よりやや暖かい。

 三学期の纏めの仕事に 時間との闘い中。

さて、本日は、福岡県立高校の入試結果の発表日です。

受験した中学3年生の皆さんやご家族の方々は、

 9時を目前に ドキドキしている人もいるかもしれませんね。

全員が第一希望の高校に合格すると良いのですが、

競争率平均1.3倍くらいですからなかなかそうはいかない。

               

試験当日の体調が悪くて、高熱でうなりながら保健室で受験した人も

いるようですが、中学浪人は、なるべくなら しないでください。

上の娘も、高校三年生の時に、風邪具合で大学受験し…

風邪薬の副作用で眠くなり、頭がボーっとした中で、惨憺たる結果でした。

でも、浪人生活も彼女には良い経験になったようです。

今、学習塾で英語を教えています。

             

それぞれにきっと相応しい進路があります。

不合格でも、人生がおしまいになるわけではありません。

受験に失敗したから…と言ってもう全てがダメだというわけでは無い。

悲観し 落ち込んで、早まった考えで、自暴自棄にはならないでください。

人生って自分の思い通りには、ならないことだらけですから。

でも、失敗や挫折があったことは、あとから考えてみると、意外にも

かえって、自分にとっては、良いご縁との出会いに繋がることも多い。

実に 有り難い、神仏のおはからいでしょうか…

禍福は糾える縄の如し

               

合格した人も、たまたま得意な問題が多く出題されただけで、

本当は、自分より優れた有能な人が、偶然のなりゆきで

落ちてしまっているのかもしれません。

 思い起こせば、私の娘(次女)の私立中学入試の時のことでしたが、

娘は、それまでに 所謂「肝だめし」で受験した中学は、何故か…不合格。

なのに、県内でも最難関の女子中高一貫校を受けた時、

絶対大丈夫と思われたA判定の友人が二人も落ちてしまい、

娘は、C判定だったのに 予想外にて 合格し…大波乱

合格するはずは無いが、受けるだけ受けてみたら諦めもつく…

といった程度で ただ受験しただけの筈だったのに、何故ビックリ!実は

たまたまその年に限って、数学の問題が、ひねりにひねった超難問ばかり

出題で、日頃 数学が得意な友人たちも、うまく得点出来ていなかったらしく

数学が苦手な娘は、やや得意な国語や社会科での確実な得点が合格に繋がった?

という結果でした。

それで、「受験するだけ」との約束は、見事に破られてしまい、

家族会議の結果、最終的には、片道2時間もかけて はるばる…と 

朝4時起きで、一番列車で通学する中学生活になったのでした。

親にはなるべく負担をかけず、

JR鯰田駅までは自転車で往復。自分で弁当は詰める。

なぜ、その中学にそんなに行きたかったかというと、

水泳部で部活が思う存分したい…その一心だったのです。

地元の公立中学にはプールがないのです。

そんな中学には、行きたくない…の一点張りでした。

                 

合格した人は、有頂天になって、回りにいる落ちてしまった友人の事を

やさしく思いやる気持ちを無くさないでくださいネ。

                  

悲喜こもごもの季節ですが、立ち止まっている時間は有りません。

前進あるのみ…   

                   

 

                      

         坂村真民さんの 詩

  

           大事なこと

王家に

生まれようと

馬小屋に

生まれようと

それは

たいしたことではない

どう生き

どう死ぬかが

一番大切なことだ

 

 

念ずれば花ひらく

念ずれば

花ひらく

 

苦しいとき

母がいつも口にしていた

このことばを

わたしもいつのころからか

となえるようになった

そうして

そのたび

 

わたしの花が

ふしぎと

ひとつ

ひとつ

ひらいていった

 

 

三不忘

貧しかったときのことを

忘れるな

苦しかったときのことを

忘れるな

嬉しかったときのことを

忘れるな

 

 

 

歴史

光と

風のなかを

生まれたばかりの

蝶が

飛び立って

行った

新しい歴史を

作るかのように

 

 

光と風のなかを

光が愛だということを

教えてくれたのは木々だった

風が愛だということを

教えてくれたのは鳥たちだった

それ以後わたしは

光と風のなかを歩いてきた

生きてきたといってもよかろう

暗かった心が明るくなり

重かった体が軽くなり

狭かった世界が広くなり

人生が一変した

ああ

この永久なるものよ

われを導きたまえ




今日只今(こんにちただいま) 

今日只今

この四字八音の大切さを

自覚し実践し

少しでも世のため

人のためになる

自分自身を作りあげてゆこう

そしたら短い人生でも

意義のあるものとなろう

木木を見よ

花花を見よ

全ては今日只今に生きる

大宇宙の姿である





タンポポのように

わたしはタンポポの根のように

強くなりたいと思いました

タンポポは

踏みにじられても

食いちぎられても

泣きごとや弱音や

ぐちは言いません

却ってぐんぐん根を

大地におろしてゆくのです

わたしはタンポポのように

明るく生きたいと思いました

太陽の光をいっぱい吸い取って

道べに咲いている

この野草の花をじっと見ていると

どんな辛いことがあっても

どんな苦しいことがあっても

リンリンとした勇気が

体のなかに満ち溢れてくるのです

わたしはタンポポの種のように

どんな遠い処へも飛んでいって

その花言葉のように

幸せをまき散らしたいのです

この花の心をわたしの願いとして

一筋に生きてゆきたいのです




 ある人へ       

光が射しているのに

あなたはそれを浴びようとしない

呼んでおられるのに

あなたはそれを聞こうとしない

手をさしのべておられるのに

あなたはそれを握ろうとしない

お経にもそんな人のことを

書いてあります

どうか素直なこころになって

二度々ない人生を

意義あるよう生きてください

 

合掌

 

     

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お雛祭りお茶会と誕生会

2007年03月01日 17時50分41秒 | 教育

平成19年3月1日(木)朝方は霜が激しく、霜注意報が出ていました。

昨日も 日中は暖かく、夕方から急激に気温が低下してきました。 

今日も日中は、ぽかぽか暖かくて午後からは、車で移動するときには

ジリジリ照りつける日射しにクーラーを軽くかける程でした。

でも、夕方からは、また、ヒンヤリして参りました。

明日も、きっと良い天気に恵まれそうです。

例年は、如月の直後の弥生は

三寒四温」の時期ですが、今年は…暖冬

桃の花を花瓶に活けて飾り、炉の炭にお香を偲ばせ、馥郁たる雅な雰囲気で、

和室のしつらえを整え、毎年迎える雛祭りのお茶会を、今年も致しました。

和服に着替えた いつもとは違ったおしとやかな先生方のお点前により、日頃は活発な男の子も神妙な面持ちで、和の風情にひたり、心ゆたかな時間が流れました。

船津理事長先生が、11席の茶席の席主を勤め、心に響く色々なお話をしました。

琴の演奏は、主任仰木ミヤコ先生でした。

裏方の水屋の点てだしのお手伝いをくださった先生方、金子正一先生、岡部先生もお世話になりました。ありがとうございました。

様々な体験を通じて、こどもたちは

大きく飛躍するターニングポイントを迎えます。

 また、今日は、今月生まれの子どもたちのお誕生会もしました。

クラス毎に、三月生まれの園児を お友だちや先生が祝福し、

写真やメッセージの書いてあるバースデイカードを

受け取った子どもたちはにこにこ照れたりしながら

「わたしは、大きくなったら○○になります。」

「ぼくは、大人になったら小学校の先生になりたいです。」

…などと発表したり、歌を歌ったり…

心なごむ今年度の最後のお誕生会になりました。

 

また、午後から年長組全体の

ニール トーマス ミリントン先生と私のコンビの『Let's Enjoy English !』で

今月のテーマの『誕生日』に関する歌Happy Birthday”を覚えて

さくら組担任の 山内先生の お誕生日なので、先生の名前を入れて歌い

三月生の子どもたちのお祝いをしました。

山内先生の誕生日は、正確に言うと2月29日なのですが、

閏年にだけしかその日は巡ってきませんので、まだ、

生まれて5回しかその日は迎えていないのです。

 

同じく北九州アカデミー少年少女合唱団

カリスマ指揮者坂田正克先生も

「2月29日がお誕生日」とのことでした。

不思議ですね?まだ、15回目

 

お誕生日の日には、このHappy Birthday”を、世界中で歌って、

その人が、この世に生まれてきてくれたことに想いを寄せ

その存在に感謝し、

また 今日までの周りの家族や沢山の人のサポートにも

しっかり感謝する日に~と願っています。

        

人間は一人では生まれてくることもできず、生きることも出来ません。

お誕生日の日には、とりわけ命あることを、有り難く思い返してみましょう。

また、このブログも  一周年を迎えています。

愛読くださり、ありがとうございます。

        

ところで、

お誕生日にお薦めの本、いっぱいあるのですが、

今回は全然違った傾向の本を見つけました。10歳と言えば、

小学校4年生。近頃「二分の一成人式」を行う学校が増えてきました。

近隣の小学校でも2月の授業参観で行っていました。

『十歳のきみへ九十五歳のわたしから 日野原 重明 著

薦める人:中川 晟(童話作家)

十歳の子どもたちに私の思いを伝えておきたい…。

その思いは、私が八十八歳の米寿を迎えたころ、

各地の小学校で出張授業をするようになってからつのってきた思いです。

私は、小学校での授業に、子どもたち二人に一つの数の聴診器持参します。

そして、子どもたち二人一組になってもらい、

友だちの心臓の鼓動を聴いてもらうのです

年老いて耳が遠くなった医師よりもおそらくずっと正確に、子どもたちは

ドッキンドッキンと規則正しく打つ心臓の音を聴き取って、みな驚きの声をあげます。

そうして、私はこどもたちに、『いのち』についての話を始めるのです。」

(あとがきより)

 二千六年十月に、九十五歳を迎えた日野原先生は、

しずかに、しかし熱く、生きてきたいのちのあかしを

一つ一つ丁寧に掘り起こし、まさしく遺書とも受け止められる

深く重い言葉を、私たちに語りかけます。

 言葉だけが残り、ほんとうの姿が見えづらくなってしまった

“いのちとは?”“家族とは?”“人間とは?”…。

 十歳の子どもだけでなく、十歳を通り越し、いま、生かされて生きている

一人ひとりのいのちに、メッセージが重く届きます。

いまだからこそ、すべての人たちにとって大切な一冊です。

また、『ガンに生きた鈴木章子さん』 という題で、

中川真昭さんが書いていらっしゃった文章の中に紹介されていたのですが、

鈴木章子さんの遺した「うめ吉」ノートのなかに…

筆ペンで綴った25編の詩が書き綴られていたのです。その一つ

10月8日の詩から

肺ガンになって

ここ あそこから

如来様の説法が

少しずつ

きこえてきます

今 現在 説法の真っ只中

今 生きています

如来さま

この驕慢で 自我の深い

どうしょうもない私を思って

このやまいを賜ったのですね

おかげさまで

少しですが

自分の劣かさが

自分の汚れが

見えてきました

 

11月27日の詩から

清水の舞台から

紅葉の群

美しい

一本一本の美しさもさりながら

群の美しさである

淡い赤 オレンジ 真赤…

みどり…

枝の色

青い空

青色青光 黄色黄光…

 

11月29日の詩から

きのう京の紅葉に歓声を挙げ

今日

ふる里の雪に歓声を挙げ

久しぶりの

家族の出会いに 笑いあっています

生きるということは

昨日の歓声を捨て

今日の歓声をいただく

このくり返しだったのですね

七日間の京都の旅が

教えてくれました

私も今日の歓声を

無邪気に全身で受けとってゆこう

(詩は原文のままの表記です)

 

コメント
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