平成24年2月26日(日) のち のち
昨夜の雨が嘘みたいに晴れ上がり、うららかなお天気に恵まれました。
今日は、『2012福智町音楽祭』が午後2時半からありました。
http://www.town.fukuchi.lg.jp/pdf/oshirase/120110_1.pdf
この音楽祭の実現には、
実は、当園の卒園生永田郁代さんが大活躍していました。
2月26日(日)14時半~の『2012福智町音楽祭』には、
1月に 永田さんから丁寧なご招待状をいただいていました。
今年の音楽祭は「時空を超えた音楽との出会い ~人は響き合える~」
をテーマに、
会場は、『福智町地域交流センター』(多目的ホール)
主催者は、福智町 福智町教育委員会
出演者は、 大萩康司さん(ギター)、奥村智洋さん(ヴァイオリン)、
永田郁代さん(ピアノ)が、
生演奏ではほとんど聴く機会のない名曲などを披露します。
プロが奏でる豊かな音色、堪能です。さらに今年は、福岡県出身の
2人の大学生・二葉円香さん(ヴァイオリン)と林田順平さん(チェロ)も共演。
心にしみる美しい響きの世界を楽しめました。
司会は元NHKアナウンサー 重松さん
http://joho-tagawa.jp/wp-content/uploads/2012/01/fukuchi-ongakusai.pdf
福智町は、昔の田川郡赤池町と金田町と方城町が合併して誕生。
人口約2万4600人余り。田川パイパス沿いです。
世界一長寿の114歳7ヵ月 皆川 ヨ子(よね)さんがいた町として有名です!
最近では、美容家のIKKOさんの出身地として、
昨年、NHKテレビで 田川の縁(ゆかり)の地 の紹介があっていました。
また、福智町は童謡作曲家・河村光陽(かわむらこうよう)の生誕地
としても知られています。
彼が残した数々の名曲は、半世紀以上たった今でも色あせない。
光陽が残した大きな足跡とその精神は、ふるさと福智の地で、脈々と
受け継がれています。
童謡が口から口へ伝わっていくように、童謡や音楽の町づくりの想いが、
心から心へ伝わっていくことを願って取り組まれています。
河村光陽(直則)は、明治30年8月23日、福智町上野(当時上野村)で
産声を上げました。
雄大な福智山を背景に清らかな流れをたたえる福智川、
周囲に田園風景が広がるのどかな環境で育ちます。
こんもりとした丘の上に福智下宮神社、その隣に光陽の生家がありました。
当時は、秋にお神楽が奉納され、たいへんにぎやかだったと言います。
光陽の生家は広い屋敷だったので、お神楽のメンバーが宿泊していました。
光陽はその演奏に聞き惚れ、尺八を習いました。
それが、彼のメロディーやリズム感、音楽家の原点です。
地主だった父を早く亡くした光陽は、母ヒデノの希望で小倉師範学校に進学。
そこで作曲家藤井清水に出会い、野口雨情らのコンサートに参加するなど
強い影響を受けます。
卒業後の大正七年、音楽教師として隣町の金田小学校に赴任。
しかし光陽の胸には断ちがたい目標がありました。
「シベリア鉄道でモスクワへ行きロシア国民楽派の音楽を学ぼう。
できればヨーロッパにも足を延ばしたい…」。
大正9年、光陽は音楽家としての将来を託し、単身で朝鮮に渡ります。
公立師範学校に勤めた後、国境近くの学校に転勤。
そこは豆満江を隔て、対岸にロシアの灯りが見える場所でした。
しかしそのころ、幸か不幸か、日本人が陸路シベリア経由で
モスクワへ行ける情勢ではなくなりました。
光陽はモスクワ行きを断念しソウルの学校に移ります。
光陽がもし、シベリア鉄道に乗っていたら…
国民学派の音楽に刺激され、管弦楽曲への道を
まっしぐらに進んだかも知れません。
立ちはだかった時代の壁が運命の分岐点となり、
後に光陽を童謡の世界へと導いて行きます。
ソウルでは八波武治に作曲法とヴァイオリン奏法を学んでいました。
そこへ母ヒデノが「1人息子がこのまま帰らないのでは」と迎えに来ます。
光陽は、東京に出ることを母に約束し日本に戻りました。
大正13年、山田耕筰らによって日本初のシンフォニーオーケストラ
「新交響楽団」が結成され、光陽はヴァイオリン奏者に応じようと上京します。
しかし募集は終わっていました。
光陽は奏者をあきらめ、学習研究のため東京音楽学校選科(現東京芸大)に
入学します。
そこで音楽理論を学び、卒業後も2年間、中田章(和声)、榊原直(ピアノ)、
藤井清水(作曲)、大沼 哲(管弦楽法)らの自宅で 個人指導を受け、
本格的基礎を学習。
その間長女順子、次女陽子が生まれますが、就職はせず
学習専念の4年間を過ごしました。
「別テーブルで読書をしながらの食事でした。」
と妻 都根美さんは語っています。
3女博子が誕生した昭和4年、光陽は東京の竹早小学校に教師として復職。
すでに昭和3年から自宅でヴァイオリンと歌を教えはじめていた光陽は、
NHK出演やコロンビアレコードの吹き込みなどで多忙になります。
光陽の童謡作曲が始まったのはそのころでした。
光陽は子どもの実生活をうたった武内俊子やサトウハチローらと出会い、
美しい詩を日本旋律にのせていきます。
光陽が童謡を作曲するうえで最も大切にしていたのが、
子どもたちの息づかいや遊びのリズムでした。
彼は著書にこう記しています。
「子どもの世界を知らぬ人には本当の童謡は作り得ない」と…。
河村光陽の作品は、幼稚園でもこの時期日本全国で歌われている
『うれしいひなまつり』をはじめ、『グッドバイ』、『かもめの水兵さん』、
『赤い帽子白い帽子』、『仲よし小道』、『りんごのひとりごと』など千余曲を作曲。
日本童謡史に一時代を築きました。
昭和21年12月24日、胃潰瘍発作で急逝、享年49歳。
永田郁代さんも、このところ数年がかりで「美術館コンサート」や「添田町オークホール」
にも出掛けて…田川関係の芸術文化振興にも一役かっているらしく、
今回もまたクラッシックには全然縁がなかった人も沢山足を運んでいました!
翌日に中学校でスクールコンサートを実施する予定とのこと。
あたたかいアットホームな雰囲気…
解説も分かり易く面白く、初めてクラッシック生演奏を聴いた人にも
親しみやすい、充実した演奏会でした!
生ならではの琴線に触れる音…Wonderful!
愛情をタップリ込めた繊細で心地良い演奏を楽しみました!
特にギターのアンコール曲『さくら変奏曲』は、超絶技巧を駆使!圧巻でした。
音楽って、人をchangeし、即、元気にする力があります
また、来年も、 福智町音楽祭へ、あなたもどうぞいらっしゃいませんか?
私は、このように、卒園生の皆様が、それぞれの個性の良いところを発揮して
社会の中で、世界に通じる仕事をして 生き生きとご活躍の姿に接し
本当に嬉しく思います。
「幼児教育の成果が花開いていますね。」と評価してくださる方々もいらっしゃり
有り難い事です。
さて、大学受験生の皆さん、どうぞ、体調管理に充分気をつけて!
ベストコンディションで実力を発揮できるようお祈りしています。
さて、3月1日は、県立高校の卒業式。おめでとうございます!
そして、園では、おひなまつりのお茶会です。
どうぞ、園児のみなさま、おたのしみに!