緑ヶ丘・第二幼稚園 最新かがやき日記

緑ヶ丘・第二幼稚園のかがやく子ども達の成長を見守り、親も教師も園長も子どもに負けず共に成長する日々を綴った日記です。

おもちつきと慰問

2012年12月07日 21時22分25秒 | 教育

平成24年12月7日(金)のちのち

朝から厳しい寒さに震えました。

ですが、10時頃には晴れ上がってきて、上天気。

気温は、低いのですが、風は強く吹き付けず、

お餅つきにはピッタリのお天気に恵まれました。

               

午前9時前から、園バスの運転手さんたちや

39人もの『お餅つきサポーター』のボランティアの保護者の皆様が集まり

ケガや事故が無いように、諸注意を確認したあと、

各持ち場に分かれて、いよいよ『お餅つき大会』が始まりました。

                       

 

今年は、お天気がとても心配でしたが、

お陰様で皆様の協力に恵まれ

朝から『お餅つき大会』で歓声を上げて、

70kgのもち米が見る間にお餅に変わりました。

                  

昔ながらに、園庭におくどさんを据えて、

蒸篭に、洗っておいたもち米をのせて蒸しあげ、

石臼に移して、杵で搗きます。

                 

(もち)は、穀物、特にに水分と熱を加えた後に、

外力を加えて練り合わせ、成形した食品

粒状の米を蒸して、杵で搗いたものは、つき餅(搗き餅)という。

穀物の粉に湯を加えて練り、蒸しあげたものは、練り餅(ねりもち)という。

日本では餅といえばつき餅をさす場合が多い。

英語ではrice cakeと呼ばれる。

                   

子ども達も 全員 元気いっぱい

♪『おもちつき』の歌をうたいながら

杵を持ってがんばりました。

 

子育て支援、たんぽぽくらぶの2歳児さんも参加しました。

保護者の皆様、大変お世話になりました。有難うございました。

                    

 

午後1時からは、若葉町の『西部障害者福祉センター』へ

慰問・なかよし交流会へ行きました。

まず、歌を3曲歌いました。 

『あわてんぼうのサンタクロース』『たきび』『園歌』

高齢者の皆様が、絵手紙やつきたてのお餅を受け取り

うれし涙を流して喜んでくださいました。

園児代表の年長組さん、

やさしい心が育ってきていますか?

             

たくさんのサポーターの皆様、母の会の役員さん、

ボランティアの数々、誠に有難うございました。 

              

お家でも、 

持って帰ったつきたてのおを、焼いて

おろし酢もち黄粉もち砂糖醤油で、

あるいは、ゆでてお雑煮にしたり、

焼いてぜんざいに入れたり、

あぶら揚げに入れて口を結び、おでんの具に、

また鍋物に… 色々な賞味の仕方があるようです。

あなたはどのようなお味のお餅が好きですか?

 

                                    

                              

   おしらせ 

 園児募集

平成25年度の新入園願書は、 

10月1日から配布しています。

 11月1日午前8時から願書の受付をいたしております。

転勤枠がとってありますが、ほぼ定員に達してきています。

まだ入園手続きがすんでいない方は至急 お急ぎください。

     

満3才組(2歳4年保育)は、

募集人数が少ないので、お早めに!

定員に達し次第に受付を締め切ります。

転勤枠がいっぱいになりましたら、

キャンセル待ちになります。

在園児の弟妹は、

お早めに

手続きを済ませてください。

  子育て支援の満2歳児

「たんぽぽくらぶ」は、

随時受付をしています。

 詳細は、親子で見学して、

遠慮なくお尋ねください。

     

 見学は、随時,日常のありのままを見学出来ます。

  園外保育に出かけて、

留守していることもありますので、

     朝、   電話してからお越しください!

         TEL093-631-3939

 

 

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卒園生が活躍してます!『2012福智町音楽祭』

2012年12月02日 10時23分11秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

平成24年12月2日(日)

一昨日~は、雨が降ったり止んだりしました。

でも、お出かけも苦にはなりません。

一昨夜の『2010福智町音楽祭』の余韻を反芻しています。

  http://www.town.fukuchi.lg.jp/pdf/oshirase/120911_1.pdf

 

 この音楽祭の実現には、実は、卒園生永田郁代さんが大活躍していました。

 11月30日(金)19時~ の『2012福智町音楽祭』には、

10月に永田さんから丁寧なご招待状をいただいていました。

 

 第4回を迎えた今回の音楽祭は、

国内外で活躍するスーパープレイヤーの奥村愛さん( ヴァイオリン)、

中間市出身でパリ在住の瀬尾和紀さん(フルート)、

フランス出身で仙台在住のエマニュエル・ジ ラールさん(チェロ)、

北九州市八幡西区出身 永田郁代 さん(ピアノ・音楽監督)が、

馴染みのある曲や聴く機会の少ない名曲を取り混ぜて演奏。

 名曲の数々を披露し、プロが奏でる豊かな音色 を、心ゆくまで堪能。

 

 コンサートの会場は、『福智町地域交流センター』(多目的ホール)でした。

 主催者は、福智町 福智町教育委員会

 出演者の永田郁代さんは卒園生で、理事長先生が担任教諭でした。


福智町は、福岡県の中央部。

昔の田川郡赤池町と金田町と方城町が合併して誕生。

 人口約2万4600人余り。田川パイパス沿いです。

   一世を風靡している美容家のIKKOさんの出身地でもあり、

   世界一長寿の114歳7ヵ月皆川ヨ子(よね)さんがいた町として有名です!

   

また、福智町は童謡作曲家・河村光陽(かわむらこうよう)の生誕地

   としても知られています。

   彼が残した数々の名曲は、半世紀以上たった今でも色あせていない。

   光陽が残した大きな足跡とその精神は、ふるさと福智の地で、脈々と

   受け継がれています。

 

   童謡が口から口へ伝わっていくように、童謡や音楽の町づくりの想いが、

   心から心へ伝わっていくことを願ってこの音楽祭に取り組み開始とのこと。

 

   河村光陽(直則)は、明治30年8月23日、福智町上野(当時上野村)で

   産声を上げました。雄大な福智山を背景に清らかな流れをたたえる福智川、

   周囲に田園風景が広がるのどかな環境で育ちます。

   こんもりとした丘の上に福智下宮神社、その隣に光陽の生家がありました。

   当時は、秋にお神楽が奉納され、たいへんにぎやかだったと言います。

  光陽の生家は広い屋敷だったので、お神楽のメンバーが宿泊していました。

  光陽はその演奏に聞き惚れ、尺八を習いました。

  それが彼のメロディーやリズム感、音楽家の原点です。

  

  地主だった父を早く亡くした光陽は、母ヒデノの希望で小倉師範学校に進学。

  そこで作曲家藤井清水に出会い、野口雨情らのコンサートに参加するなど

  強い影響を受けます。

   卒業後の大正七年、音楽教師として隣町の金田小学校に赴任。

   しかし光陽の胸には断ちがたい目標がありました。

 「シベリア鉄道でモスクワへ行きロシア国民楽派の音楽を学ぼう。

  できればヨーロッパにも足を延ばしたい…。」

 

   大正9年、光陽は音楽家としての将来を託し、単身で朝鮮に渡ります。

 公立師範学校に勤めた後、国境近くの学校に転勤。

 そこは豆満江を隔て、対岸にロシアの灯りが見える場所でした。

  しかしそのころ、幸か不幸か、日本人が陸路シベリア経由で

 モスクワへ行ける情勢ではなくなりました。

 

 光陽はモスクワ行きを断念しソウルの学校に移ります。

  光陽がもし、シベリア鉄道に乗っていたら… 

 国民学派の音楽に刺激され、管弦楽曲への道を

 まっしぐらに進んだかも知れません。

 立ちはだかった時代の壁が運命の分岐点となり、

 後に光陽を童謡の世界へと導いて行きます。

 

  ソウルでは八波武治に作曲法とヴァイオリン奏法を学んでいました。

 そこへ母ヒデノが「1人息子がこのまま帰らないのでは」と迎えに来ます。

 光陽は、東京に出ることを母に約束し日本に戻りました。

   大正13年、山田耕筰らによって日本初のシンフォニーオーケストラ

 「新交響楽団」が結成され、光陽はヴァイオリン奏者に応じようと上京します。

 

   しかしヴァイオリン奏者の募集は終わっていました。

 光陽は奏者をあきらめ、学習研究のため東京音楽学校選科(現東京芸大)に

 入学します。

 そこで音楽理論を学び、卒業後も2年間、中田章(和声)、榊原直(ピアノ)、

 藤井清水(作曲)、大沼 哲(管弦楽法)らの自宅で 個人指導を受け、

 本格的基礎を学習。

 その間長女順子、次女陽子が生まれますが、就職はせず

 学習専念の4年間を過ごしました。

  

 「別テーブルで読書をしながらの食事でした」と妻 都根美さんは語っています。

  3女博子が誕生した昭和4年、光陽は東京の竹早小学校に教師として復職。

 すでに昭和3年から自宅でヴァイオリンと歌を教えはじめていた光陽は、

 NHK出演やコロンビアレコードの吹き込みなどで多忙になります。

 

  光陽の童謡作曲が始まったのはそのころでした。

  光陽は子どもの実生活をうたった武内俊子やサトウハチローらと出会い、

 美しい詩を日本旋律にのせていきます。

  光陽が童謡を作曲するうえで最も大切にしていたのが、

 子どもたちの息づかいや遊びのリズムでした。

  

   彼は著書にこう記しています。

  「子どもの世界を知らぬ人には本当の童謡は作り得ない」

と…。

  河村光陽の作品は、日本全国の幼稚園・保育所でも歌われている

  『うれしいひなまつり』をはじめ、『グッドバイ』、『かもめの水兵さん』、

  『赤い帽子白い帽子』、『仲よし小道』、『りんごのひとりごと』など千余曲を作曲。

 日本童謡史に一時代を築き

 昭和21年12月24日、胃潰瘍発作で急逝、享年49歳。

 

 郁代さんもこのところ数年がかりで

 「美術館コンサート」や「添田町オークホール」にも出掛けて…

 田川関係の芸術文化振興にも一役かっているらしく、

 今回もクラッシックにはあまり縁がなかったという人も沢山足を運んでいました!

 

 前回まで、毎年、前日は、中学校でスクールコンサートを実施。

でも今回は試験中で、前日のスクールコンサートは割愛されましたが、

プログラム最後に中一の女子が特別出演し、トライアングルで

4人の演奏家とコラボレーション。

 

 大ホールでのフルオーケストラの時とは違う

あたたかいアットホームな雰囲気…

  4人の肉声での解説も 分かり易く面白く、

 初めてクラッシック生演奏を聴いた人にも

親しみやすい、充実した演奏会でした!

 【Program】

ハイドン●ロンドントリオ
モリコーネ●ニュー・シネマ・パラダイス
キュイ●五つの小さな二重奏曲
ポッパー●セレナーデ Op.54 No.2
グリエール●8つの小品より
ヴィラ・ロボス●ジェットホイッスル
クライスラー編●ロンドンデリー エア
ブラームス●ハンガリー舞曲より
パガニーニ●24の奇想曲より24番
クライスラー●レチタティーボとスケルツォカプリス

【チラシ】


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4人の個性の佳さ、そのコラボが、素敵でした!

生演奏ならではの琴線に触れる音…Wonderful!



アンコールは『チャルダッシュ』で、

外の寒さが嘘みたいに心が熱くなる渾身の演奏でした!

生きる希望を与える音楽!

愛情をタップリ込めた繊細で心地良い演奏を楽しみました!

音楽は、人をchangeし、即、元気にする力があります。

 

北九州市立響ホールの館長さんも、いらっしゃっていました。

「とてもお洒落でハイセンスな選曲とアレンジ…素晴らしい演奏会!」

「ハイレベルの演奏、4人の息が合い、トークもとても楽しめた。」

などと高く評価されていました。

 

10月の作品展に初来園、このコンサートのポスターを作製なさった

新進のイラストレーター浜方コオさんも、いらっしゃっていました。

 

満席の会場からは、ため息と賞賛の拍手が惜しみなく送られて

皆様満足感に浸って家路につきました。

卒園生の今後のご活躍を心からお祈りしています。

コメント (2)
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