緑ヶ丘・第二幼稚園 最新かがやき日記

緑ヶ丘・第二幼稚園のかがやく子ども達の成長を見守り、親も教師も園長も子どもに負けず共に成長する日々を綴った日記です。

ふれあい参観日

2008年04月27日 21時10分00秒 | 教育

平成20年4月27日(日)

爽やかな晴天に恵まれ、一番早い方々は、9時半頃から来園。

今日は、「ふれあい参観日」。

新入園して初めての参観日だった方々は、初めての行事参加で

少し緊張気味に子どもたちの保育室の様子を覗き込み

ハラハラドキドキしていたのかもしれません。

                             

園庭の南側の藤棚には、先日ほころび始めた藤の花が、見事な

花房を開花し、長寿を約す芳しい香りが漂ってきています。

きょうは、皆様が、楽しみにしていた「ふれあい参観日」でした。

            

ご家族総出で、お忙しい中お出掛けいただき、真剣に

ご参観いただき、有り難くおもいました。

初めての、参観に、緊張気味の子どもや、

嬉しくてたまらず興奮気味の子どももいました。

テレビでの園長のご挨拶でしたが、如何でしたか?

年長組は、僅かの練習日数でしたが、ピアニカやカスタネットの

演奏も上手でしたね。

            

また、

早速  緊急時連絡網も作っていただき

クラス役員3名も選出いただき、

誠に有り難うございました。

                   

お話し合いの進行も大変スムーズに行ったクラスが多かった

ようで、特に自ら進んで、園のために、園児達のために

と、ボランティアを申し出ていただいた方々が、

大変多かったようで、即3人が決まったという組が

大多数だったのは、毎年の事ながら、非常に喜ばしく

有り難いことと、保護者の皆様の協力的な現状を

喜んでいます。

火曜日の午前中に役員総会で執行部役員(三役)決定です。

クラス役員さん方には、また、話し合いをしていただきます。

そして、今年度の立ち上げや、年間の行事の打ち合わせを

していただきます。

               

共働きの方々が、多くなりましたが、

どなたも、出来る範囲で、諸行事へのサポートを

どうぞ よろしくおねがいします。

そして、子どもたちだけでなく、

保護者の皆様方も

良きお友だち作りをなさってください。

             

 

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白洲次郎 が自動車運転のマナーについて寄稿した文には…

2008年04月25日 21時51分10秒 | 近頃思うこと・政治・経済・時事問題

平成20年5月24日 

娘が、留学中 フランス パリでお世話になったことがきっかけで

親しくなったT・F氏も 非常に興味をもってオススメくださった

白洲 次郎(しらすじろう)さんは、1902年2月17日、兵庫県生れ。

180cmを超す日本人離れした長身&ダンディな風貌。

 

17才でケンブリッジ大学に留学、1928年・26才まで英国で過ごし、

ブガッティベントレーを生涯乗り回しつつ

Queen's Englishと英国流のマナー・着こなし・コミュニケーションを身につける。

白洲正子によれば、寝言は全て英語だったと言う。

裕福な商家だった実家の破産による帰国後、英字新聞記者を経て

貿易関係の職を渡り歩き世界を股にかける生活を送るが、

昭和15年、対米開戦と日本の敗北、東京の荒廃と食糧難までを予測して、

東京町田に江戸時代に建てられた古い農家と田畑を求め、

18年に都内から引っ越して半農の隠遁生活に入る。


彼の本領発揮はその後。

敗戦後、妻正子の父を通じて戦前から知己を得ていた吉田茂に請われ、

その右腕として対米交渉に従事。

憲法制定に深く関与する等、戦後日本の立て直しにおいて大きな役割を果たす。

当時アメリカ人と対等に渡り合った唯一の日本人。

アメリカから見れば、「従順ならざるただ一人の日本人」。

サンフランシスコ講和条約締結の場では、吉田茂の英語の演説原稿を

直前に巻紙に書いた日本語に差し替えさせ、

それを羽織袴姿で読み上げるように仕向けるなど、

負けん気の強さを遺憾なく発揮。

吉田内閣では貿易庁長官も努め、「通商産業省」創設にも腕を振るった。

戦後処理が終わった後はあっさりと政界から身を引き、

その後は東北電力会長・大沢商会会長等の職務を歴任。

公職引退後も80才過ぎまでPorsche911を乗り回し、時には

友人であったイッセイミヤケのモデルを引き受けるなど、悠々自適に暮らす。

長く理事長を務めていた軽井沢ゴルフ倶楽部では、

数多くいた入会待ちの人間に対して、たとえそれがどんな政財界の大物であっても

便宜は図らない等、その運営に徹底的なフェアプレイ精神を貫き通す一方、

従業員にはいまだに慕われるほどあたたかく接していた。


 エピソード

吉田茂に請われて敗戦処理の任に着いた直後、

  GHQの民政局長ホイットニー准将との初対面の席で

「キミは英語がなかなか上手だね」

「あなたも、もうすこし勉強すれば上手になりますよ」


■ある時、時の首相が軽井沢ゴルフ倶楽部でのプレイを要望してきたが、

「プレイしたければまず会員になれ!」


■ある日倶楽部にやって来た会員が、乗ってきた車の運転手に

   自分のゴルフシューズの紐を結ばせているのを目にして・・・


「テメェには手がないのか!」


■1985年の晩秋に京都へ夫妻で訪れてから数日後の夕刻、

  自宅で具合が悪くなり急遽入院。ベッドに入る前に看護婦が注射しようとして


「白洲さんは右利きですか?」

「右利きです。でも、夜は左・・・」


その言葉を最後に気持ちよさそうに眠りに落ち、そのまま2日後に息を引き取る。

1985年11月28日、享年83才。

遺言は「葬式無用 戒名不用」。



白洲家三代の物語
http://www.nogami.gr.jp/rekisi/...



白洲次郎に興味を持った方にお勧めの本

「風の男 白洲次郎」 新潮文庫
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/...

「白洲次郎」 白洲正子・三宅一生・宮沢喜一他著
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/...

「プリンシプルのない日本」 白洲次郎著
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/...

「白洲次郎の流儀」
       

 カッコいい男がいなくなってから久しい。

カッコいいといっても、顔のことではない。

生き方、スタイルが、である。

そのように思っている人々にとって、

白洲次郎という男はとても気になる存在となるはずだ。

夫人である白洲正子が

『白洲正子自伝』のなかで、次のように書いている。

〈そこへ忽然と現れたのが白洲次郎である。「ひと目惚れ」というヤツで、二十五歳まで遊ぶことも、勉強も、目の前から吹っ飛んでしまった。が、何といっても、十八歳のひと目惚れなのだから、当てにならぬことおびただしい。特に美男というわけではないが、西洋人みたいな身ごなしと、一八〇センチの長身に、その頃はやったラッパズボンをはいてバッサバッサと歩き廻っていたのが気に入ったのかも知れない。忽ち意気投合して、——といっても、その頃のことだから、せいぜい映画を見に行ったり、食事をいっしょにする程度で、無邪気なものであった。〉

「特に美男というわけではないが」と

エクスキューズを入れてはいるものの、

私が「ひと目惚れ」したのだから世に類なきカッコいい男だ、

と 言い切っているように思えてならない。

ならば、そのカッコよさをグラフィックに構成したら、どうなるか?

本書誕生の源である。

この本がひろく読まれ、カッコいい男がふたたび出現する日がくれば、

本書の目的は達せられることになるのであろう。

    



最新刊「白洲次郎 占領を背負った男」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/...
彼のいわゆる「ライフスタイル」ではなく、
実際の仕事=戦後史の中で果たした役割 の話。
もちろん、仕事っぷりにその人となりもよく表れている。
お勧め。


「白洲次郎の生き方」


白洲夫妻の生活の一端に触れてみたいという方は、
旧白洲邸「武相荘」へ
    http://www.buaiso.com/index.html

                

最近、自動車やガソリンに関する税金の使い方や、

高速道路建設の是非など世間で議論が盛んですが、

あの白洲次郎さんは中学校の頃から車を乗り回し

ケンブリッジ大学生の頃は 自動車レースに熱中し、

最晩年まで運転を楽しんでおりました。

昨年行った町田市の武相荘にも、

玄関左側には広いガレージがありました。

              

 家族にも「運転はなるべく若いうちに覚えるべし」と、言い、

結婚直後に妻の正子にも教えようと試みたようですが、

大抵の夫婦がそうであるように パソコンでも、テニスや ゴルフも含め、

夫が教えると必ず 大喧嘩になり楽しむどころでは無くなるのが落ちですが、

正子さんも ご多分に漏れず ある時、 癇癪を起こし

生涯車の運転をしませんでした。

         
 
  先月、恒例の「春の交通安全運動」が終わりましたが、

次郎が52年前54歳のとき、読売新聞に

 自動車運転のマナーについて寄稿した小文には

 「私は免許を貰ってから35年以上にもなり、

現役の運転手の内では最古参の一人だと思うが、

 自動車の運転手族は他人様の迷惑など

全然念頭にないと言うことだ。

道路は全部ご自身様用 に出来ていて、

自分だけが占有するのが当たり前だと言う建前らしい。

 交通量が多くなればなるほど必要なのは互譲の精神で、

各自がわがままに振舞えば振舞うほど

 交通地獄の形相は悪化するのだ」

と書いています。

   実は 実際の 白洲次郎の 運転は、 それほど互譲的ではなく

  かなり攻撃的だったのだそうです。

            

とにかく、国民の大切なお金 税金は 有効に使って、

安全で、事故や渋滞のない車社会を心がけたいものです。

               

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全国学力テスト

2008年04月21日 21時21分21秒 | 教育

平成20年4月21日(月)

       

明日 4月22日は、文科省が「全国学力テスト」

小6と中3の 232万人対象で 再開2年目。

   小学6年と中学3年を対象にした

文部科学省の「全国学力・学習状況調査」

(全国学力テスト)が22日、一斉に行われる。

         

学年全員が受けるテストは

昨年、43年ぶりに再開され、今年は約232万人が参加する。

        

学校間の序列化や競争過熱につながるとの懸念に対し、

銭谷真美事務次官は

「市町村名や学校名を明らかにした結果公表はしない。

各学校や教育委員会も、

過度の競争が生じないように十分配慮してほしい」

と話している。

        

テストは国語、算数(数学)の2教科。

短文や文章で答えさせて考え方を問う記述式の出題が多いのが特徴。

採点作業は両学年とも数千人がかりの人海戦術となり、

民間企業に委託している。 

 

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4月20日“穀雨”

2008年04月20日 21時15分10秒 | 近況・記念日

平成20年4月20日(日) 

本日、4月20日は二十四節気のひとつ“穀雨”です。

『春雨降りて百穀を生化すれば也』


田んぼや畑の種蒔きの準備が整い、

それに合わせるように柔らかな春の雨が降る頃。

この時期は春雨が降る日が多くなります。

しとしとと降る雨は気が重くなりがちですが、

穀物が生長するために必要な雨です。


つまりは私たちが生きるためにも必要な恵みの雨でもあるのですね。

そう思うと元気がでます。

イギリスにも、「4月の天気は雨と日光がともに降り注ぐ
(April weather,rain and sunshine both together)」
ということわざがあるそうです。

この季節雨が多いのは洋の東西同じなのですね。

この雨が5月の新緑を美しくするのかもしれません。

もう夏の訪れが間近です。

         

この頃より変りやすい春の天気も安定し

日差しも強まってきます。

天気予報と一緒に

紫外線情報のチェックもお忘れなく!!

                        

                             

        

                    

  朝から久しぶりに晴れ渡った青空。

「おはようございます!」

お隣のYさんの奥さんの声が玄関で弾む!

そうそう、

今日は隣組(1組)の公民館掃除当番日。

午前8時から、手分けして掃除。

公民館の内側も外側も スッキリ埃を払ってしまった後、

終わり次第に 9時頃から 

お茶を飲みながら 隣組情報交換会議。

           

今回は、高齢者の介護や

中高年に差し掛かった自分たち自身の健康問題や

75歳以上の後期高齢者の新医療制度や

年金の問題も話題になりました。

           

道を挟んだ北側のYさん宅では、91歳のお舅さんが、

先日脳梗塞で倒れ、リハビリの苦労談。

そして、同時期に、以前から心労の

連れ合いのおばあさまの認知症がひどくなり、

我々より少し年配の60歳台のお嫁さんは、

日々、舅姑お二人のために 

細心の心配りで、大変なご苦労。

           

それで、以前はふっくらしてふくよかな体形でしたが、

随分ヤツレ痩せて見える。

銘々に色々と体験談が飛び交い、そうこうしているうちに、

どの方も似たような体験が様々にあったということが

お互いにご近所に住まいしておりながら、初めて判明した。

           

斜め向かいのH氏宅の

しっかりもののお嫁さんのご実家の母上、

お洒落な明るい満76歳の上品なおばあさまも、

同居を始めて 4年後  時々、

「私は、ごはんを食べさせてもらえない。」

などと言い始め、食べた直後にも何度も

「ごはんはまだかしら?」

「ひもじくて死にそう!」…

 また、

「お金を盗られた。泥棒がいる。」

とも言い、

娘の婿の H氏を疑い、つきまとう始末。

 ついに 初めて 子ども達も 

満80歳を過ぎた母親の異変に気づき

Shockを受け、

兄弟姉妹が集まり親族会議。

実家に戻って 2年後にご他界でした。

       

とにかく、記憶の糸をたぐり

昔を思い出しながら、

わが身の心身の健康と

今日の幸福に感謝しながら

別れを惜しみ、

気を取り直し、

反省と、明日への期待と、

日常生活のルーチーンワークの数々に…

まるで

バッハゴールトベルク変奏曲』のカノンを想う!

この曲は、http://jp.youtube.com/watch?v=Rtt1msnwlZQ

不眠症のカイザーリンク伯爵のために作曲したものとされている。

           

Hurry,don't hurry!

Stop,don't stop!

上々のお天気でしたが、午後から風が強く吹き

また、気温が下がってきている気がしました。

            

健康管理に気をつけ、体調をしっかり整えて、

毎日元気に

よい出会いが

たくさんありますように…

新学期のスタートに希望に燃える未来を

お祈り申し上げています。

              

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全盲のピアニスト辻井伸行くん

2008年04月14日 23時07分32秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

平成20年4月14日(月)

今日から、平常の保育時間になりました。

なるべく、スムーズに慣らし保育の効果が出て

新入園児さんが、新しい環境、教諭やおともだちに慣れるように

と、祈っています。

              

全盲のピアニスト辻井伸行くん19歳は、昨年秋、CDデビュー。

サントリーホール2000人収容の音楽家あこがれのホールに立つ

最年少のプロピアニスト!

ピアノソナタ第14番『月光』ベートーベン作曲

最初の音に全神経を集中した。

アンコール曲は、親子の思い出『川のささやき』を演奏!

長蛇の列の演奏後の握手!

成功!

川の流れが、こんなに美しい音色に生まれ変わるとは!

母親は、家事の合間に…

なにげなく口ずさんでいた

♪『ジングルベル』だった。

その曲を… 2歳3ヶ月で突然

いきなりおもちゃのピアノで

♪『ジングルベル』を弾きだした子どもに

母親は、開眼! 早速手ほどきした。

4歳よりピアノをはじめ、6歳より川上昌裕川上ゆかり に師事。

10歳でプロ・オーケストラと共演し、12歳でサントリーホールでソロ・デビュー。

カーネギーホールモスクワ音楽院大ホールなど、海外の著名なホールでも

演奏を披露している天才ピアニストに成長。

2007年秋デビュー・アルバム♪『debut』をリリース。

今は、上野学園音楽大学に学ぶ。

両親は、全盲の息子に夢を託している。

天才的な才能… 17歳でショパンコンクールに挑戦!

もう随分前、BS朝日TVで

「全盲のピアニスト ショパンコンクールに挑戦!」を観た。

このコンクールは、ショパンの祖国ポーランドで、5年に一度開催されます。

もう15回目の歴史ある国際ピアノコンクールです。

審査員に中村紘子さんがいて、彼女は1965年大会の第4位入賞者。

今回、生まれながらにして全盲の辻井伸行くんが、最年少17歳で挑戦しました。

257名の参加で、2次予選(上位30名)にまで進みました。

本選の12名には残れませんでしたけど、ポーランド批評家賞を受賞。

彼は27歳という年齢制限まで、まだ2回のチャンスがあり、将来が楽しみ。

天才は、才能以外に、本人の努力、家族の支え、先生や友人との出会いなど

さまざまな人の協力があって、初めて存在する。

彼のピアノは、参加した多くの人を感動させ、

涙するシーンもたくさんありました。

しかし、全ての人に敬意を払い、

公平に審査する大会の素晴らしさはさすが。

前回、やはり全盲の梯(かけはし)剛之さんが

ワルシャワ市長賞を受賞しています。

         

全盲のピアニスト辻井伸行くんは『川のささやき』を自分で作曲した。

この曲には、父親と共に散歩に行った時の神田川の印象が表現されている。

辻井伸行くんは音楽が好きなお母様と

産婦人科医のお父様との長男として、この世に生を受け、

多くの盲人に夢と希望を与え、

生きる喜びを感じさせる演奏を目指している!

生まれつきのハンディを 

絶望的な障害とあきらめずに

前向きに、辻井伸行くんの母親は 

藁をもすがる気持ちで二人三脚を続けてきた。

もう、彼も、独り立ちの時を迎えました。

母親にとっては、寂しい気分に襲われる時でしょうが、

息子の自立のためには、我慢して見守る時期ですね。

I can do it!

You can do it!

さあ、

新入園児のおかあさん、おとうさん、

もう、ぼつぼつ、独りで着替えたり、食事したり、

トイレも 手洗いも うがいも 出来るように…

徐々に 

全盲のピアニスト辻井伸行くんの両親の関わりに習い

深い愛情で、しっかり手取り足取り

年齢に応じた躾や教育を行い、時期が来たら

親離れ、子離れを 順調にいたしましょう。

そして、わが子へのよいお手本、モデルとなってください!

あわてず、あせらず、無理しないで、…

いつも、子どもの心の成長に着目し

心に寄り添っていきましょう!

少しずつ

褒めながら

自信を持たせるのがコツです!

 

                  

 

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上野の国立科学博物館で

2008年04月12日 23時47分12秒 | 地球環境保護・省エネルギー・温暖化

 

 4月10日午後、新幹線のぞみ号で出発~

11日は、上野の国立科学博物館に行きました。

もちろん、『未来の科学の夢』絵画展の表彰式に出席するためでした。

会場の国立科学博物館では、今、“「進化」発見の旅へ!”というタイトルで

ダーウィン展が開催されていました。

この展覧会は、2005年から06年にかけて、

アメリカ自然史博物館(ニューヨーク)で開催され、好評を博し、

その後ブラジル・サンパウロ、ニュージーランドを経て、

今年5月の連休まで東京で開催。そのあと夏休みは、大阪での開催です。
dawin.jpg

P1120212p 
国立科学博物館は、小、中、高生は入館料タダってありがたいですね。

(ただし、ダーウィン展などの特別展は、入館料がかかります。)


P1120211p 
入り口のシロナガスクジラ

 

P1120205p 
上野はツツジが咲いていました。
P1120207p
 これは、ハナミズキ

P1120215p
 これは、ヒメシャガ

P1120222p
 ソメイヨシノの時期は終わり、八重桜が咲いていました。
 P1120223p
 

新緑と花の並木路もきれい!


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 チャールズ・ダーウィン(1809〜1882)は、進化論の創始者として、

その代表的著書「種の起源」(1859年出版)とともに世界中で広く知られています。

日本では江戸時代です。

ダーウィンの「進化」の考え方は、その後の世界を大きく変えました。

 私も 子どものころにはよく偉人伝などを読み、

その偉業や生涯、主なエピソードなどを知り 感心したものです。

大人になっても、様々な先人の伝記を読むのは好きですが、

人物像を垣間見れるこのような展覧会では新しい発見があります。

今回の展覧会は、ダーウィンの人生をたどりながら、

彼が生み出した偉大な業績に迫るもので、

ダーウィンの進化論の着想のもとになったガラパゴス諸島

生物のはく製から、航海に使った「ビーグル号」の模型、航海日誌、

身の回りの品々など、様々な資料が展示されています。

ダーウィンは1831年、ビーグル号に乗船し、世界航海を始めました。

本展ではその航海での出来事や、ダーウィンが遭遇した生物などを展示。

「進化」を巡る旅を体感できます!

ダーウィンとビーグル号が1831年の出航から、1835年にガラパゴス諸島上陸を果たし、1836年にイギリスに帰港するまでの行程

ダーウィンとビーグル号が1831年の出航から、

1835年に南米エクアドルのガラパゴス諸島上陸を果たし、

1836年にイギリスに帰港するまでの行程。

 ダーウィンは、当時の紳士階級の子どもたちと同様に

パブリックスクールに通いましたが、勉強が嫌いで

決して優秀な生徒ではありませんでした。いわば「おちこぼれ」でした。

丁度そのころ祖父の影響を受けて、「博物学」に興味を持ち

自然観察や化学実験に熱中していました。

パブリックスクールでの勉強に身の入らないダーウィンに対し、

父は早いうちから医師として後を継がせるために、

エディンバラ大学に通わせることにしました。

しかし、ここでもダーウィンはあまり熱心には勉強しませんでした。

この大学もやめて今度は牧師になるために、

ケンブリッジ大学で神学を学ぶことにしました。

そこでもあまり勉強せず、

博物学をはじめ、

乗馬と狩猟、昆虫採集に没頭します。

              

そこで祖父は、ダーウィンの博物学嗜好に着目しました。

母方のウェッジウッド家は、あのウェッジウッド陶器で有名な裕福な家柄で、

幸運にも財源にも恵まれていたので、チャールズは、祖父の支援で

航海に旅立つことが出来、やっと火種が見つかり、

着火し、後に偉業を果たすことになるのです。

人によって熱中するものが違います。

それが何なのか、それを見つけるために人生があるのかもしれません。

それが見つかり、それに取り組むことができたときには、

「貢献」できる偉業を成し遂げるのかもしれません。

            

その偉業は、本人のためではなく、人類、地球のためになります。

しかし、その偉業は、考え方に変化をもたらしますし、

今までの考え方を否定することになるかもしれません。


ダーウィンの進化論は、自然環境による「自然選択」と

特徴的な形質が次の世代に引き継がれる「性選択」によるものでした。

当時の英国での主流の考え方は、

「神がすべての生物を作り出して以来、それらの生物はずっと不変である」

というものでした。ですから、当然、ダーウィンの進化論は、

宗教的価値観では、危険な思想だったのです。

ですから、発表後に起きるであろう多くの反論と戦うため、

できるだけ多くの研究を重ねました。

発表当初、予想通り、激しい論戦が繰り広げられましたが、

進化論の正しさはやがて広く認められていきます。


実践からの研究を積み重ね、過去からの刷り込みをなくし、

時代の変化をよく見つめ、それに対して柔軟な対応をしていかなければ、

その時代に貢献することはできないでしょう。

          

4月20日(日)午後7時30分から、NHKの番組で、

『ダーウィンが来た! 絶海の孤島アホウドリ今復活中』があります。

人間の残酷な乱獲によって絶滅に瀕していたと思われたアホウドリ

鳥島の断崖絶壁に棲息していました。

アホウドリを虐殺した人間から、自分の身を守るため、

人間が近づけない場所を棲息地にしていたようです。

そのアホウドリの棲息地を、鳥島全域に回復するためのこころみを

映像化したものが、放映されます。

「絶海の孤島アホウドリ今復活中」・・絶海の孤島・・その名は鳥島。

「鳥島」は通称で、正確には「硫黄鳥島」だそうです。

http://www.nhk.or.jp/darwin/

大河ドラマ『篤姫』の前に、親子でどうぞ! 

そして、地球環境の保護や、省エネについて親子でもっと話し合いましょう。

 

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東京上野『国立科学博物館』で表彰式でした!

2008年04月12日 22時40分35秒 | 心を育てる・感性をゆたかに

平成20年4月11日(金)

東京上野『国立科学博物館』日本館で 発明協会主催の

『未来の科学の夢』絵画展の表彰式でした!

緑ヶ丘・第二幼稚園の年中組 坂本美月ちゃんが、

幼児の部最優秀賞『発明協会会長賞』をいただきました。

 

 

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第55回入園式 新入園児 顔晴れ!

2008年04月05日 20時15分18秒 | 教育

平成20年4月5日(土)

第55回入園式でした。

初めての教室で出会う見知らぬおともだち、

机やいすにも初めて座ります。

緊張の中にも喜びが溢れた一日でした。

毎日、感動の体験がたくさん出来るように

そして、

心が大きく育つようにお祈りしています。

             

園庭の満開の桜の花が歓迎して、

花壇のチューリップもシャンと首を伸ばし可愛い花が微笑んでいる!

うらうらかなポカポカ陽気で、写真撮影の時には薄曇りになり、

絶好のシャッターチャンスでした。

少しずつ先生やお友達との生活になじむように

見守って励まし、初めてのことばかりでしょうが、

がんばりを認めて、ほめましょう!

最初から何もかも満点の人はいません。

心配しないで、元気にイキイキと 明るく送り出してください。

どの子も 楽しい園生活が送れるように願っています。

               

保護者の皆様も、最初は心配や不安もあるかもしれませんが

何でも幼稚園の担任の先生に相談し、色々と協力し合って

よりよい方向へ向かうように、あせらずに着実に進みましょう!

明後日は、バスリハーサルです。

雨の予報ですが、

予定通りに安全に定時運行が出来ますように

バス停への集合時間に遅れないように 

5分前には出ていただき、

余裕で送り出してください。

ご協力をよろしくお願いします。

         

火曜日からは、いよいよ始業式です。

全員一致団結で、心をこめて

一人ひとりの個性のよいところを見つけるように努力し

磨きをかけるように、幼児教育に邁進します。

早ね早起きで Fight!

幼稚園をおやすみしないように、

健康管理には充分にお気をつけください。

             

 新入園児 顔晴れ!

ご家族の皆様も 顔晴れ!

幼稚園教諭、スタッフ一同も 顔晴れ!

              

コメント
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