平成20年11月3日(月)
10月28日、文化勲章の受賞者の発表がありました。
そして、今年度の文化勲章授与式が本日3日、皇居・宮殿「松の間」であり、
小説家の田辺聖子さん(80)やスポーツ(水泳)の古橋広之進さん(80)ら
6人に、天皇陛下が橘(たちばな)の花をかたどった勲章を手渡しました。
授与式に出席したのはほかに指揮者の小澤征爾さん(73)、
今年のノーベル物理学賞に決まった素粒子物理学の益川敏英さん(68)、
同、小林誠さん(64)そして、日本文学のドナルド・キーンさん(86)。
数学の伊藤清さん(93)と ノーベル化学賞に決まったUSA在住の
海洋生物学者の下村脩さん(80)の二人は欠席。
受章者を代表し小説家の田辺さんが
「この栄誉に対し、一層精進を重ねる決意です。」 とごあいさつ。
天皇陛下は
「大きな成果を収められ、誠に喜ばしく思います。」
と述べられた。
記念撮影後の記者会見では、益川さんが
「私は誇りを持って(自分を)野蛮人だと思っている。
文化人と言われるとこそばゆい」。
これに横から小澤さんが
「今日から野蛮人やめれば?」
と話しかけ… 会場を沸かせた。
さて、世界でも指折りの指揮者小澤征爾さんは1935年中国・奉天(現瀋陽)生まれ。
幼い頃からピアノを学び、成城学園中学校を経て
桐朋学園で斎藤秀雄(親戚に当たる)に指揮を学んだ。
桐朋学園短大を卒業後、単身渡欧し、
『ボクの音楽武者修行』という本にも
書かれているように、1959年秋フランスの
ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、
一躍注目を集めた。
当時ボストン交響楽団の音楽監督でこのコンクール
の審査員を務めていたシャルル・ミュンシュにタングルウッドに招かれた。
そこでバークシャー・ミュージック・センターの最高賞
優秀な学生指揮者に贈られるクーセヴィツキー賞を受賞した。
その後、旧西ベルリンで 帝王といわれたヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。
レナード・バーンスタインの目にもとまり、1961年~1962年のシーズンには、
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の副指揮者を務めた。
1962年N響の指揮者となるが、派手な指揮や言動が保守的な楽員の反感を買い、
演奏会をボイコットされるという事件に至った。
それをきっかけに海外での活動が中心になった。
1962年1月、サンフランシスコ交響楽団を指揮して北米でデビュー。
1964年から5年間に亘ってシカゴ交響楽団によるラヴィニア音楽祭の音楽監督を、
また4年間トロント交響楽団の音楽監督を務めた。
1970年にタングルウッド音楽祭の芸術監督に就任。
同年12月にはサンフランシスコ交響楽団の指揮者・音楽監督
(~1976年以降音楽アドヴァイザー)にも就任した。
1973年アメリカ屈指のオーケストラ ボストン交響楽団の第13代音楽監督に就任し
アメリカはもとより世界的にオーケストラの評価を高め、
1976年の欧州公演や1978年の日本公演で多大な成果を得た。
また、中国政府の公式招待により訪中し、北京中央楽団とともに活動し、
1979年に再び訪中し、演奏活動に加えて
中国人音楽家の指導・育成や討論会などで、米中の文化交流にも貢献した。
1979年にはボストン交響楽団を率い、現地の主要な音楽祭のみに出演する
という前例のない欧州公演を行った。
また1981年には同団創立100周年を記念して、ボストン交響楽団にとっては
17年ぶりのアメリカ大陸横断演奏旅行(米国14都市)を行うとともに、
日本、フランス、ドイツ、オーストリア、イギリスを回る世界的演奏旅行も行った。
その後も1984年、88年、91年、93年に欧州公演と、
86年、89年、99年に日本公演を行い、いずれも絶賛を博した。
アメリカのみならずヨーロッパでの評価と人気も絶大なものがあり、
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団などの
名門オーケストラを定期的に指揮している。
また、パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場 等
ヨーロッパ屈指のオペラ・ハウスでも活躍を続けている。
日本においては、創立時より密接な関係にある
新日本フィルハーモニー交響楽団の指揮者陣の首席を務め、
1991年には名誉芸術監督に就任(1999年9月より桂冠名誉指揮者)。
1995年には、やっと 32年ぶりにN響と和解して共演を行った。
1998年には新日本フィルハーモニー交響楽団を率いて
ロシア公演(モスクワ、サンクト・ペテルブルク)を行い成功を収めた。
1998年12月、フランスのシラク大統領より同国の最高勲章である
レジオン・ドヌール勲章を授章し、音楽家としての功績を称えられている。
「クラシックの伝統を持たない日本人ということを最大限プラスに生かし、
楽譜に忠実で正統な楽曲解釈を行っている」とも言われている。
ボストン交響楽団の音楽監督を長年にわたって務め、
指揮者斎藤秀雄の門下生を集って編成した
サイトウ・キネン・オーケストラの指揮者としても活躍中。
また、松本で毎年夏に開かれるサイトウ・キネン・フェスティバルを
国際音楽祭として位置付けることにも貢献。
今後は名門ウィーン国立歌劇場の芸術監督としても更なる飛躍が期待されている。
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彼の場合を見ても、幼児期からの「環境」が やはりとても大事だとわかります!