緑ヶ丘・第二幼稚園 最新かがやき日記

緑ヶ丘・第二幼稚園のかがやく子ども達の成長を見守り、親も教師も園長も子どもに負けず共に成長する日々を綴った日記です。

世界天文年2009と「おうし座」、「プレアデス星団」

2009年01月03日 16時15分20秒 | 宇宙・天体・地学・科学技術・理科関係

平成21年1月3日(土)

今年は、丑年。そして、世界天文年です。

2008年12月27日の毎日新聞『余禄』に以下のような記事がありました。

「なぜ十二支に猫がない」

「そういえば星座も猫座がない(やまねこ座はあるが)」

とご不満の猫好きもいよう。

だが、ならばと「猫座」を作った天文学者がいた。

フランスのジョセフ=ジェローム・ルフランセ・ド・ラランド

という猫好きで、その天文学の著作は江戸時代の日本にも伝わっている

▲ラランドは他に「軽気球座」なども作ったが、

「猫座」ともども現在の88星座には残っていない。

その一つに天体の高度を観測する四分儀になぞらえた

「壁面四分儀座」というのもあった。

これも星座としては消えたが、星座名の方は今も役立っている。

▲「しぶんぎ座流星群」は毎年1月4日ごろに見られる流星群だ。

現在の「りゅう座」と「うしかい座」の境界付近を放射点とし、

かつての星座の所在を今に伝える。

流星の出現数は多いが時間が短く、

年によって日本で見える数は大きく違うという

▲来年(09年)はこの年明け

流星群が日本時間3日夜から4日未明に極大になると予想される。

観測しやすい未明に月明りはなく、条件はいいという。

ご興味ある方には国立天文台ホームページに1月2日から5日までの

観察キャンペーンの呼びかけがある

▲09年はガリレオが

自作望遠鏡で天体観測を始めて400年を記念する

「世界天文年」という。

「しぶんぎ座流星群観察キャンペーン」は、その開幕イベントになる。

引き続き4日には全国各地の天文台などで多彩なイベントが予定されている

▲「みんなで星を見よう」がイベントの標語だが、

来年最大の天文ショーは

7月22日にトカラ列島などで観測できる皆既日食だ。

http://www.nao.ac.jp/phenomena/20090722/index.html

目の前の深刻な現実に心が奪われる今こそ、

実は何より遠くを見る力が必要な時かもしれない。

年明けの夜空の流星は何を教えてくれるだろう。

              

この記事↑を読んで、私も、今晩は

「しぶんぎ座流星群」を探して 

冬空を眺めてみたい と思っています。 

世界天文年2009→ http://www.astronomy2009.jp/ 

            http://210.172.57.121/index.html

 枕草子の235段には、
「星は 昂星。牽牛。明星。長庚(ゆうづつ)。

流星(よばい星)をだになからましかば、まして」
(星はすばる、ひこぼし、明けの明星、宵の明星が良い。

流れ星も少し趣がある。尾を引かなければもっとよいのだけれど。)

昂星は「すばる」のことで、牽牛とは「彦星」(ひこぼし)です。

明星は、

「暁の明星」のことで、夜明けに東天に見える金星のことです。

それに対して、夕暮れに西天に現れる金星の「宵の明星」は、

夕方に見えるということで「ゆうづつ」といいましたが、

これは見える時刻によって名前を変えたというよりも、

同じ金星と思わず、違う星と思っていたのかもしれません。

「よばい星」とは、流れ星のことをいいます。

そもそも「よばい=婚ひ」は

女性に求婚する意味と思う人が多いと思いますが、

源氏物語の時代の夜中に男性が女性のもとへ…

流れていくさまが女性のところに通っていくように見えた?

実はそうではなく、

「よばい」とは、

「よばう」=「こえをかけ呼び続ける」が語源なのだそうです。

大辞林 第二版 (三省堂)より

よばう よばふ 【呼ばふ/喚ばふ/婚ふ】(動ハ四)

〔動詞「よぶ」の未然形に継続の助動詞「ふ」が付いたものから〕

(1)何度も呼ぶ。呼びつづける。
「なくなく―・ひ給ふ事千度ばかり申し給ふ/竹取」

(2)男が女に言いよる。求婚する。
「右大将は、常陸の守のむすめをなむ―・ふなる/源氏(東屋)」

つまりは(1)の竹取物語の方です。=「何度も呼ぶ。呼びつづける。」

   「純粋に想いを寄せ思い遣って声をかけ呼ぶ」という意味です。

誤解の無いように! 

さて、流れ星は尾を引きますが、

清少納言は、「尾などないほうがもっといいわ」

というのは、本当にどうしてでしょう?不吉なイメージ?

藤森先生も「尾を引くからいいと思う」と仰っていますが。

どの星が「いとおかし」なのかは、私も

清少納言の意見を興味深く思いますが、

賛同でないところもあります。

ただし真っ先に挙げている「昴(すばる)」はわかる気がします。

この「」は、まさに今の季節を代表する星で、

その光は、古今東西のやんごとなき方も庶民も

隔てなく魅了してきたことでしょう。

今では、富士重工のマークとなって

車の名前としても知られています。


この昴は、「プレアデス星団」といわれるように、

生まれたばかりの青白い星が百個以上も集まり、

星々を青白いガスが取り巻き、たいへん美しい姿に見えます。

そのようにいくつもの星の集まりということで、

「すばる」という和語は

「統一されている」「ひきいられている」という意味で、

一つの星の名前ではなく、星団をひとくくりとしての名前です。

万葉集で「須売流玉(すまるのたま)」、

日本紀竟宴和歌で「儒波窶玉(すばるのたま)」

などといわれるように、玉飾を糸でひとくくりとしたものを

「すまる・すばる」と呼びました。


 肉眼でも5~7個の星に分かれて見えることから、

ギリシャ神話では、「プレアデス星団」の話の中でのプレアデスは、

狩人「オリオン」に追われて星になった7人姉妹だとされています。

このため、「プレアデス星団」には、

7人の姉妹と、父「アトラス」、母「プレイオネ」の名前が残っています。

 プレイアデスは女神アルテミスに仕えていました。

この「プレアデス星団」は、おうし座の背中に輝いています。

http://www.ne.jp/asahi/stellar/scenes/seiza/tau.html

また、同じくおうし座にあるヒアデス星団のヒアデスの7姉妹は、

父「アトラス」と母「アエトラ」の娘たちであり、

プレイアデス姉妹とは異母姉妹の関係です。

           

 「人に何かを教えることは出来ない。

ただその人が自分自身で気が付くように助けることが出来るだけだ」

天文学の父といわれたイタリアの物理学者、天文学者、哲学者

ガリレオ・ガリレイの言葉です。

彼は、17世紀にコペルニクス地動説を支持し、

バチカンから「異端」として宗教裁判にかけられて有罪となり、

「それでも地球は回っている」

といったことで知られています。

ですから、どうしても科学者的なイメージがあるのですが、

哲学者であるフランシス・ベーコンと共に哲学に

科学的手法を用いたその開拓者としても知られています。


ガリレオは、冒頭の言葉以外にも、含蓄のある言葉をいくつか残しています。

「何も学ぶべきもののない人に会ったことはない」
「学者はしきりに「それゆえ」という言葉を使うが、なんで「それゆえ」なのか、俗人にはさっぱりわからない。なんだか、偉そうな言葉でごまかしているようだ」
「君は、報告を信じるだけで、自分で確めないのか」
「見えないと始まらない。見ようとしないと始まらない」

 先日12月21日、

ローマ法王ベネディクト16世は、バチカンでの礼拝で、

17世紀の天文学者ガリレオ・ガリレイの地動説について

「自然の法則は神の業に対する理解を促した」と述べ、

同法王としては初めてガリレオの研究を公式に認めたようです。

前法王ヨハネ・パウロ2世は

1992年、教会側の非を認め、公式に謝罪したのですが、

現法王は枢機卿時代に

「ガリレオ裁判は正当だった」と発言したことで知られていました。

それが、今回正式にガリレオを認めた形になったのですが、

同時に、礼拝で、

「ガリレオの望遠鏡による初の天体観測から400年になる」

とも述べ、研究をたたえました。

ガリレオは望遠鏡を最も早くから取り入れた一人です。

そして、木星の衛星を3つ発見、その後もう一つ見つけ、

これらの衛星はガリレオ衛星と呼ばれています。

また、月面にクレーターや山、そして黒い部分があり、これを海と名づけました。

さらに、望遠鏡での観測で太陽黒点を観測した最初の西洋人でした。

しかし、望遠鏡で太陽を直接見たために、

晩年に失明してしまったと考えられています。

ローマ法王が言ったとおり、

ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で天体観測を始めてから、

2009年で丁度400周年となります。

この節目の年を「世界天文年」とする決議が、国際連合総会で採択されています。

そして、世界中の天文学者やアマチュア観測者、教育者などが連携し、

一般の人々を巻き込んでさまざまなイベントが行われる予定だそうです。

これを機会に、世界中の人々がそれぞれに夜空を見上げ、

宇宙の中での地球や人間という存在に思いを馳せつつ、

自分なりの発見をしていこうと呼びかけてはどうかというアイデアが、

国際天文学連合 (IAU)の中から生まれてきました。

世界の中でも日本は、昔から月や星を絵画や歌や俳句で愛でてきた国であり、

現在では世界をリードする天文学・宇宙科学の先進国となっています。

また、今夏には、日本付近で条件のよい皆既日食も起こります。

公式名称は

「世界天文年2009(The International Year of Astronomy 2009)」で、

略称は「IYA2009」です。

公式スローガン(標語)は

「The Universe, Yours to Discover」(宇宙…解き明かすのはあなた)です。


sekaitenmon.jpg
 

子どもたちは、本来 自然への興味と科学への関心を持っています。

ぜひ、その心を育てていきたいですね。

親子で、今年も しっかり声をかけてふれあい、大きな夢を育ててください。 

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「おわんくらげ」でノーベル化学賞の下村脩先生は… 

2008年10月09日 20時50分15秒 | 宇宙・天体・地学・科学技術・理科関係

平成20年10月9日(木)

金木犀が薫る朝、秋が日増しに深まってまいりました。

年長組さんは昨日午前中、『ウェル馬場山』へなかよし交流会へ行きました。

まだ、やっと歌詞を覚えたばかりでしたが、9曲をメドレーで歌いました。 

デイサービスで来訪のお年寄りは、いつもよりキラキラする瞳で

笑顔で大喜び。力いっぱい歌に合わせて調子をとり拍手も!

また次回お目にかかれる日まで、どうぞお元気にお過ごしください!

この9曲の歌は1ヶ月半後、11月の『音楽会』で皆様にご披露する予定。

どうぞ、お楽しみに!

     ♪  ♪  ♪       ♪  ♪  ♪ 

さて、ノーベル化学賞に決まった下村脩先生(80)は

7日に物理学賞の受賞が決まった南部陽一郎、小林誠、益川敏英3氏に続き、

2日連続の日本人受賞で、受賞者は計16人になった。

化学賞は02年の田中耕一・島津製作所フェロー以来6年ぶりで、

福井謙一氏(故人)、白川英樹氏、野依良治氏、田中氏に続き5人目。 

下村脩先生(80)は米マサチューセッツ州の自宅で
 
時事通信との電話インタビューに応じ、受賞の喜びを 
 
「受賞は天の導き。亡き恩師に伝えたい」と表現。

 現地時間の8日朝5時スウェーデン王立科学アカデミーから電話があった。
 
「決まり文句みたいに『コングラチュレーション』と言われた後、
 
『もうすぐマスコミが殺到して大変なことになりますよ』と言われた。
 
その後は電話が鳴りっぱなし。その通りになった」 と笑った。

 化学賞での受賞は、全く意外だったという。
 
「わたしがやったことは(受賞理由となった)緑色蛍光たんぱく質(GFP)を
 
発見したことだけ。
 
(共同受賞者の)チャルフィーが、それが役に立つものだということを見つけ、
 
チェンが改良した。だから医学・生理学賞の対象だと思った」

「受賞は非常に名誉でありがたいこと」としつつ、
 
「これまで賞とか名誉に関心を持たなかったし、
 
受賞の連絡を受けてからは対応に追われて忙しい。
 
そういう意味では受賞はあまりうれしくないね.」とも。

 受賞の喜びを伝えたい人は一人だけいる。
 
研究生として2年間お世話になった名古屋大学理学部の故平田義正教授。
 
「非常によくしてもらった。今のわたしがあるのは先生のおかげだ」
 
と振り返った。

 GFPは、クラゲからある物質を得ようとした際の副産物として偶然発見した。
 
「発見は非常にラッキーなこと。わたしは神を信じないが、天の導きだと思った。
ノーベル賞も同じだ」。 
 
ノーベル物理学賞の受賞者とワイアード読者による
 
事前投票での予想勝者を比較した記事(日本語版)では、
 
ある投稿者が皮肉っぽいコメントを書き込んだ。

「やあ、これは実に素晴らしいアイデアだね。ノーベル賞受賞者は、

難解な技術も扱うポピュラーな雑誌の気軽な読者たちによって選ばれるべきだ」

だが、今度は大当たり。「ワイアード」誌 の事前読者投票で

ノーベル化学賞を受賞すると予測(英文記事)されていた、

カリフォルニア大学サンディエゴ校の生化学者Roger Tsien氏が実際に受賞。

Tsien氏は、リアルタイムでの細胞観察のパイオニア。

共同受賞したコロンビア大学のMartin Chalfie氏や、

米ウッズホール海洋生物学研究所の下村脩氏とともに、

緑色蛍光タンパク質(GFP)を研究。

GFPは、自然界ではオワンクラゲを光らせる物質。

研究所では、ゲノムに挿入して、

標的遺伝子が動き出したときに光る物質として利用されている。

この物質によって研究者たちは、

以前は不可能だったレベルで細胞機能を観察できるようになった。

遺伝子や細胞機能をテーマとする論文なら、

今やGFPが関係しないことは滅多にない。

直接関係しないとしても、研究の中では必ずと言って良い程 基本的には

利用するはずと言うことらしい。

Tsien氏、下村氏、Chalfie氏、

そして表舞台には出てこない大勢の同僚や助手、実験技術者など、

この研究の成功に協力したすべての人々に、

心からのねぎらいと お祝いの言葉をお贈りしたい。

 ノーベル化学賞おめでとうございます!

これは余談だが、GFPを発見、分離した下村氏が

これに成功したのは、オワンクラゲの研究から出発。

同氏などGFPに関わった人々を紹介するウェブサイトで下村氏は、

「応用にはまったく興味がなかった」、

「ただ光る仕組みを解明したかっただけだ」 と述べている。

このことは、無意味で難解だと批判されることも多い基礎研究が

重要なものであることを示している。

1960年代の下村氏のGFP発見・分離をもとに、

Chalfie氏とTsien氏は1990年代に、

GFPをトランスジーンとして異種細胞に導入・発現させることに成功した

前述のサイトによれば、下村氏は

この研究のために100万匹以上のオワンクラゲを捕獲したという。

(時事通信やwikipediaは85万匹)

なお、超大物ハッカーケビン・ミトニックの逮捕に貢献したことで有名な

敏腕コンピューターセキュリティ専門家の下村努さんは、

今回ノーベル賞を受賞した下村博士の息子さん。

テイクダウン――若き天才日本人学者VS超大物ハッカー

[邦訳徳間書店刊]は映画化もされ、アメリカでは話題作で

今までは、お父様よりも息子さんの方が超有名だった。

今後は、間違いなくお父様の方が超有名人になるし、

オワンクラゲも一躍脚光を浴び、各地の水族館では人気者に!

http://www3.ocn.ne.jp/~kmitoh/seibutu/kurage/owankurage/owankurage.html

ノーベル化学賞で、一躍有名になった光を放つオワンクラゲ。

山口県下関市の水族館「海響館」が話題のクラゲをさっそく展示、
 
来館者を楽しませている。http://www.kaikyokan.com/

 オワンクラゲは今年5月、職員が近くの唐戸港の岸壁付近で採集した。
 
7月まで一般公開した後、人目につかない飼育槽に移したが、
 
“吉報”を受けて9日から再び2匹を表舞台に登場させた。

 傘の直径は約10センチと約8センチ。
 
水槽には「ノーベル化学賞受賞記念」と記され、写真を撮る来館者も。
 
9日はノーベル賞効果もあって、通常より5割ほど多い来館者。
 
条件が整っていないため特徴的な緑色の発光現象は起きないが、
 
漂い泳ぐ姿に見入っていた。
 
「心からお祝いしたい。もし一度、下村さんに、足を運んでもられば
 
大変な励みになる」と館長は心待ちにお話した。
 
見学していた男性は「一般的には嫌われ者のイメージが強いクラゲだが、
 
大発見の役に立つこともあるんですね」と感心した。
 
 
下関市の水族館「海響館」は、オワンクラゲの展示を
 
「通年はうちだけではないか」と胸を張る。


 実は、オワンクラゲは日本各地に生息し、飼育している施設は少ない。
 
しかも、沿岸に現れるのは春から夏にかけてで、今からでは採集が困難。
 
展示できない施設は残念そうで、福岡市の「マリンワールド海の中道」は
 
「数年前には飼育していたのに。今年も5‐6月に同市沖で見かけたが、
 
まさか話題になるなんて。取っておけばよかった」と悔やんだ。
 
 
鹿児島市の「いおワールドかごしま水族館」も
 
「譲ってもらえるなら、今からでも展示したい」と話している。

 
鶴岡市の加茂水族館も
 
国内でオワンクラゲを展示する数少ない施設の一つで、
 
急きょ展示スペースを拡大した。

 世界一という約40種類のクラゲ展示室「クラネタリウム」を売りにする同館は、
 
約5年前からオワンクラゲの繁殖と展示を行っている。
 
朗報を受け、9日には大きな水槽に移し替え、
 
「下村先生おめでとうございます」などと書かれたプレートを添えた。

「びっくりした。クラゲから成果が上がるなんてすごい」
 
と喜ぶのは村上龍男館長。
 

 愛知県碧南市の碧南海浜水族館が、話題になっているオワンクラゲの
 
蛍光たんぱく質(GFP)を10月11日~11月3日に展示し、
 
初日から3日間、発光たんぱく質(イクオリン)の発光実験も一般公開する。

 GFPは紫外線などを当てれば、いつでも黄緑色に光る。
 
しかし、イクオリンはカルシウムとの反応で約10秒しか青く光らないため
 
1日3回、定時しか実験しない。

オワンクラゲは、同館にはいないが、抽出した発光物質を保存していたそうです。
 
日本各地でノーベル賞にちなんだ試みで、クラゲで、ヒトデを期待している。
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南部陽一郎、小林誠、益川敏英 三博士、ノーベル物理学賞!

2008年10月08日 20時51分32秒 | 宇宙・天体・地学・科学技術・理科関係

平成20年10月8日(水) 

今朝からビッグニュースでもちきりです。 

 南部陽一郎米シカゴ大名誉教授、後輩の小林誠さん、益川敏英さんと三人

ノーベル賞物理学賞受賞決定

おめでとうございます!

 (10月8日0時21分 時事通信配信)

南部陽一郎米シカゴ大名誉教授(87)=米国籍=は、
 
シカゴ市内の自宅で取材に応じ、驚きを語った。「まさかと思った。光栄だ」
 
ノーベル物理学賞の受賞決定を受け、南部さんは
 
「こうなるとは思っていなかったので、驚いた。
 
妻は『いたずらじゃないか』と言っていた」と、戸惑い気味に話した。

湯川秀樹博士のノーベル賞受賞に刺激され物理学を志したという南部さんは、
 
「私の受賞が若い人の刺激になればよいが…」と笑顔を浮かべた。

 後輩の小林誠さん、益川敏英さんと三人での受賞が決まったことについて、
「光栄で大変なこと。彼らの仕事もノーベル賞に値すると思っていたので、非常にうれしい。」と強調。
「日本の教育は独創性が欠けていると言われるが、ばかにしたものではない。」
と力を込めた。
 
 受賞決定後、日本からのお祝いの電話や、
地元シカゴのメディアからの取材が相次ぎ、
6年前に受賞した小柴昌俊さん(82)からも電話を受け、
「生きてるうちにもらってよかったね」と、喜びを分かち合った。 
 
 三氏の物理学賞受賞決定から一夜明けた8日、
 
米シカゴ大の南部陽一郎名誉教授(87),
 
高エネルギー加速器研究機構の小林誠名誉教授(64)
 
京都産業大の益川敏英教授(68)は、それぞれ
 
記者会見やインタビューなどに臨み周囲の祝福に
改めて喜びをかみしめる一方、さらなる研究に意欲を見せた。

【関連写真特集】3氏の喜びの表情 日本人ノーベル賞受賞者の軌跡

 南部氏は、シカゴ大で記者会見した。
研究発表から40年以上たち、長年候補に挙がりながら受賞に至らなかったことについて、
「(ノーベル賞の期待は)若いころはあったが、ここ20~30年はなかった」
と笑い飛ばし、「私はとてつもないことを考え出すのが好き」と喜んだ。

 自らが理事を務める日本学術振興会(東京都千代田区)で会見した小林氏は「研究は真正面からと斜めからの方法がある。一つのアプローチにこだわるのではなく、いろんな可能性を自ら切り開く中から成果が出てくる」と語った。

 益川氏は京都市の京都産業大で会見。
「まだ頭が起きていない。いつもは4時間寝れば大丈夫なんですが、今日は違いますね」
と明るい表情で話したが、話題が南部氏に及ぶと
「偉大な物理学者で仰ぎ見てきた。そういう先生」と声を詰まらせた。
【シカゴ(米イリノイ州)草野和彦、山田大輔、朝日弘行】
 
 若手コンビの1本の論文が世界を変えた。
素粒子論の歴史を塗り替え、ノーベル物理学賞が贈られた「小林・益川理論」。当時の常識では考えられないほど型破りだったこの理論は、研究生活の疲れを癒やす「風呂」の中で生まれた。

 小林誠さんと益川敏英さんは名古屋市生まれ。
ともに物理学者を目指して名古屋大理学部へ進学。益川さんが5年先輩だった。
大学院では、著名な素粒子物理学者だった坂田昌一博士の研究室で机を並べ、活発に議論を交わす間柄になった。

 益川さんが助手として京大理学部へ移ると、小林さんも2年後に続いた。
旧知の2人は、すぐに「何か面白いことをやろう」と話し合った。
選んだのは、宇宙や物質の根源にかかわる「CP対称性の破れ」という謎の現象。多くの学者が挑みながら、解明できていない難題だった。

 研究が始まったのは昭和47年5月。当時、益川さんは教職員組合の書記長も務め、多忙だった。2人は益川さんの時間が空く午前中に議論し、結果を家に持ち帰って熟考。翌朝、また議論する生活を続けた。

 研究は主に益川さんが理論面、小林さんが実験面を担当。益川さんによると、「私がモデルを作り、朝、小林君に話すと、彼がそのアイデアを実験でつぶしていく」という毎日だった。

 当時、発見されていた素粒子クォークは3種類。当初は1つ多い4種類を想定した理論(4元モデル)を組み立てたが、それでは対称性の破れを説明できず、すぐに行き詰まった。

 研究を始めて1カ月ほどたった6月のことだった。家で風呂に入っていた益川さんは、クオークを6種類と考える「6元モデル」を思いつく。

 「風呂から上がった瞬間に、ふっと頭に浮かんだ。割と単純な発想だった。4元モデルの呪縛(じゅばく)が解け、『6元でいける』とポジティブに考えられるようになっていた」 小林・益川理論が誕生した瞬間だった。

 翌朝、小林さんに話すと「実験的にもうまくいきそうだ」。夏休み中のわずか2カ月間で理論を仕上げ、小林さんが英文で論文を書き、学術誌に投稿したのは9月。翌年、掲載された。

 「小林君は頭脳明晰(めいせき)で繊細、私は細かな作業が苦手。まったく違う性格の2人がコンビを組んだ」
大胆な着想で突破口を提示する益川さんと、緻密(ちみつ)な検証でそれを磨き上げる小林さん。抜群の相性の良さが歴史的な快挙を生んだ。

 無名の若手が書き上げた論文は当初、あまり注目されなかった。
「クォークが本当に6種類もあると思うのか」と先輩研究者からいじめられたこともあったという。

 30年余の歳月を経て、ようやく正しさが認められ、最高の栄誉を受けた小林さんと益川さん。だが、その業績について聞かれると、決まってこう答えてきた。
「理論屋とすれば、理論が外れる方が面白い」。あくなき探究心は、いささかも衰えることはない。
                   
 麻生太郎首相は7日夜、2008年のノーベル物理学賞受賞が決まった益川敏英京都大名誉教授と高エネルギー加速器研究機構の小林誠名誉教授にそれぞれ電話で祝意を表明した。

 首相は「おめでとうございます。明るいニュースがこのところなかったので、国民の皆さんもとても喜んでいる」と述べた。

 これに対し、益川名誉教授と小林名誉教授は若者へのエールとして

<ノーベル物理学賞>名大「坂田学派」継ぐ…小林、益川両氏毎日新聞) 

風呂で生まれた歴史「小林・益川理論」研究秘話 ノーベル賞受賞産経新聞) 

 ・ノーベル物理学賞:益川教授ら日本人3氏に授与

ノーベル物理学賞:反戦語る気骨の平和主義者…益川さん

ノーベル物理学賞:小林、益川さんの母校・名大は大歓声

ノーベル賞:日本、環境整備開始 自然科学は米国勢優位

ノーベル物理学賞:ようやく訪れた吉報喜ぶ 南部さん会見

〔写真ニュース〕名大大学院時代の小林氏と益川氏

〔写真ニュース〕笑顔で会見する小林名誉教授

〔写真ニュース〕益川教授、喜びの会見

〔写真ニュース〕お祝いの電話する首相

 

未来のノーベル賞受賞者が、北九州市からも誕生して欲しいと願っています。
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児童文化科学館へ「プラネタリウム」を見にいきました。

2008年10月01日 21時25分03秒 | 宇宙・天体・地学・科学技術・理科関係

平成20年10月1日(水)のち

台風15号は、今朝、鹿児島付近へ接近したようですが、

たいした被害もなくて安堵しました。

本日、北九州市立児童文化科学館へ園外保育にでかけました。

年長組全員「プラネタリウム」を見にいきました。

ドーム外観写真左側の小さな銀色のドームが太陽望遠鏡が入っているお部屋です。右側の大きなドームが、プラネタリウムのドームです。
 昭和45年12月23日に完成しました。

                          

              

秋の星空を堪能して、園児は皆

「ウワーッ!きれい!」と思わず歓声をあげました。

まわりの空は、昼間の景色から夕方の雰囲気に変わり

暗くなった空に皆で「一番星」を探しました。

そして、次に「秋の四辺形」を探しました。

  http://homepage2.nifty.com/turupura/guide/mark/akinoshihenkei.htm

                      

                    

そこから手がかりにして色々な星座を探しました。

天馬『ベガスス座』の胴体の3つの星と、

アンドロメダ座』のα星を結ぶ四辺形が「秋の四辺形」です。

そのすぐ近くには、『南の魚座』の一等星フォーマルハウトが輝き、

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/Planetarium/Constellation/PsA.html

その北には『水がめ座』があります。

(英語では、アクエリアス(AQUARIUS)です。)

天頂部には、『白鳥座』。 

そして北には『おおくま座』のひしゃく形の七つ星。

『こぐま座』のしっぽの先には北極星

年長組の子どもたちは大きなスクリーンに写し出される

『アンドロメダ姫』のお話に見入りました。 

 

ギリシャに勇敢な青年ペルセウスがいました。

ある日、島の王の弟にメドゥサと言う怪物の首を取るよう命令されました。

メドゥサは髪の毛は蛇,大きな金色の翼をもっていて,

その顔を見た者はたちまち石になってしまうと言われます。

ペルセウスは直接顔を見ず,持っていた楯に相手の姿を写し

見事首を切り落としました。


そのころ,エチオピアでは事件が起きていました。

美貌を誇っていた王妃のカシオペアが,

「海の神ポセイドンの娘たちより私の方が美しい。」

といった為、海の神ポセイドンが怒りエチオピアの海岸に津波を起こし,

[怪物くじら]を送り,荒らしていました。

ポセイドンの怒りを静めるためには,王の孫娘のアンドロメダが

[怪物くじら]の生け贄になるしかありませんでした。

アンドロメダは涙ながらに海岸の岩に鎖で縛られていた。

メドゥサの首をもって帰りを急ぐペルセウスが空からこの様子をみました。

アンドロメダに襲い掛かろうとする怪物くじら。

姫を食べてしまう寸前の危機一髪の時に、ペルセウス

メドゥサの首を突き出すと怪物はたちまち海の中で石になり

エチオピアには平和が戻りました。

ペルセウスアンドロメダと結婚し、ギリシャに帰ったというお話です。

 http://homepage2.nifty.com/turupura/season/autumn/and.htm

               

あっと言う間に美しい星空のお話は終わり、

下の階へ降りて色々な科学遊びをいたしました。

外のちびっこ広場には本物のD51型蒸気機関車の展示もあり、

興味津々で運転席にも上がり、しばらく

様々なものを見学しました。

   

D51形蒸気機関車

晴天に恵まれ爽やかな秋の風に吹かれて

無事に園外保育が終了しました。

               

 http://www.interq.or.jp/mercury/shiva/and/

ご家庭でも、時々、家族で星空を眺めながら宇宙の果てにまで

夢を馳せる悠久のロマンを感じる大きな話題を楽しんでください。

そして、プラネタリウムの感動をご家族で! 

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国際宇宙ステーションで土井隆雄さん活躍!

2008年03月16日 22時21分55秒 | 宇宙・天体・地学・科学技術・理科関係

平成20年 2008年03月16日(日)17℃ぽかぽかあたたかい!

先日から注目のスペースシャトルエンデバー(努力) 打ち上げ成功!

 エンデバーは夜空にオレンジ色の火炎を放ちながら上昇し、

約40分後に予定の軌道に入った。

夜間打ち上げは通算30回目。

13日には高度400キロのISSにドッキング。

飛行は約16日間で、ISS組み立て飛行としては最長。

日本人飛行士のシャトル飛行は

05年7~8月の野口聡一飛行士以来で、

26日夜(日本時間27日朝)にケネディ宇宙センターに帰還する予定。

          

13日は、奥様のリクエストの♪ゴジラで目覚め

「きぼう」保管室取り付け開始(10時24分) 

手先の器用な土井さんはアーム担当

    TCDTで与圧服(オレンジスーツ)を着用する土井宇宙飛行士
 2008.2 土井隆雄さん

写真:STS-123クルー

国際宇宙ステーション(ISS)に到着した土井隆雄さんらは

13日午後(日本時間14日午前)、

日本初の有人宇宙施設「きぼう」の

船内保管室をISSに取り付ける作業を始め

今回の任務の最大のヤマ場となった。

完了までには約8時間かかった。

手際よく進み予定より早く終了した。

写真

日本実験棟「きぼう」の建設に向け、船外活動をする宇宙飛行士=NASAテレビから

写真

有人宇宙施設「きぼう」の船内保管室(左下)をISSに取り付ける作業が始まった=NASAテレビから

 船内保管室は「きぼう」で使う実験装置や消耗品を保管する設備で、

直径4.4メートル、高さ4.2メートル、質量4.2トンの円筒形。

人間が普段着で出入りできる。

完成後に使う実験ラックや、

「きぼう」全体のシステムを制御できる装置なども

収納してある。

 作業はまず、

リチャード・リネハンギャレット・リーズマンの2飛行士が

船外に出て

シャトルの貨物室に積んである保管室の結合機構カバーを外し、

ISS側の取り付け場所のカバーを開く。

一方、土井さんは、

シャトルのロボットアームを手動で操作して

保管室を貨物室から取り出し、壁に絶対にぶっつけないように

細心の注意をはらいながら 約1時間かけてISS側の

「ハーモニー」という設備に取り付ける。

          

 結合部に空気漏れがないことが確認できれば、

電源などをつなぎ翌日の土井さん入室に備える。

 「きぼう」は日本が初めて作った有人の宇宙施設。

3回にわけてISSに設置される予定で、

今回の保管室はその第1便に当たる。

 

日本時間3月16日午前8時49分から、

7時間8分にわたり第2回船外活動が行われ、

「デクスター」(特殊目的ロボットアーム)の組立て作業が行われました。

土井宇宙飛行士は、船内保管室のラックの設定作業を引き続き行い、

順調に任務をこなしています。

 

宇宙空間の環境は、地球上と全く異なります。

重力は、地球上の1万分の1から100万分の1という超微なものですし、

各種の宇宙放射線が降り注ぎ、豊富な太陽エネルギーに満ちています。

こうした宇宙だけの特別な環境を利用して、

地球・天体の観測や宇宙での実験・研究などを行うプロジェクトが

国際宇宙ステーション(ISS)計画です。

科学・技術をより一層進歩させ

地上の生活や産業に役立てることを目的としています。


ISSは、

地上約400キロメートル上空に建設が進められている

巨大な有人施設で、1周約90分の早さで地球の軌道上を廻っています。

現在アメリカ・ロシアをはじめ欧州・カナダなど世界15ヶ国が参加しており、

各国が最新技術を結集したこの国際プロジェクトに、

日本も「きぼう」日本実験棟で参加しています。

          
ISSは1998年11月に最初の打ち上げが始まり、

以来構成パーツを合計40数回にわけて打ち上げます。

組み立てはロボットアームの操作や

宇宙飛行士の船外活動(宇宙空間に出て作業すること)

によって行われ、完成予定の2010年には

サッカー場ほどの巨大な「宇宙の研究所」になる予定です。

             

莫大なお金をかけ、各国がしのぎを削って切磋琢磨で

最先端のテクノロジーを駆使して宇宙開発に取り組んでいます。

 我が従弟も、その昔、子どもの頃には、目を輝かせて

宇宙飛行士を目指して夢をふくらませていました。

今では、東京で コンピューター関係の仕事をしています。

視力が良くないとパイロット宇宙飛行士にはなれないとわかり

残念がっていました。

            

さて、2010年には、世の中がどのように変わっているのでしょうか?

世界平和のために役立つミッションが成功するように願っています。

     土井隆雄さん、Fight! 

  土井宇宙飛行士は、1954年、

東京都南多摩郡で生まれました。

小学生のころから理科が好きな少年でした。

中学生のころから星に興味を持ちはじめ、

いろいろな星の写真をとるようになりました。

土井少年は高校生のある夏、

地球と火星が大接近したときに

望遠鏡で夢中になって観察しました。

このときをきっかけに、宇宙のことを

専門(せんもん)に勉強しようと決心したそうです。

子供のころから宇宙ひとすじ

東京大学と大学院で航空工学の勉強をした土井宇宙飛行士は、

 文部省(当時)宇宙科学研究所を経て、

アメリカのNASAルイス研究所(現グレン研究所)で働いていました。

このとき、宇宙開発事業団が宇宙飛行士を募集(ぼしゅう)しているのを知り、

迷わず応募(おうぼ)したそうです。

そして1985年8月に、毛利衛さん、向井千秋さんとともに

宇宙飛行士に選ばれたのです。

宇宙飛行士になってから

土井宇宙飛行士はさらに訓練を続けて、

 1997年11月に

スペースシャトル「コロンビア号」に乗りこみ、

 日本人宇宙飛行士として初めて

船外活動を行いました。

船外活動では、国際宇宙ステーションの

組立てで使われる機器の試験や作業手順を

確認しました。

また、船外活動のパートナーといっしょに、

衛星を手でつかまえるという、

めずらしい作業も行いました。

趣味は、飛行機操縦(そうじゅう)、

グライダー、テニス、ジョギング、サッカー、

そして天体観測だそうです。

宇宙服を着て手をふる土井宇宙飛行士
宇宙服を着て手をふる
土井宇宙飛行士

こどもの興味関心をすくすく伸ばして行きたいですね。

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