※こちらの記事はwebサイト『花橘亭~なぎの旅行記~』内、「PICK UP」に掲載していたものです。(執筆時期:2004年)
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熊本に平安時代の歌人・清原元輔をたずねる>清原元輔とは?>清原元輔、賀茂祭で落馬!
『今昔物語』・『宇治拾遺物語』の同一エピソード
驚愕!笑撃!?清原元輔、賀茂祭で落馬!
今となっては昔のことだが、歌人の清原元輔(きよはらのもとすけ)が内蔵助(くらのすけ)になって、賀茂祭<※注1>の奉幣使を務めた折、都の一条大路を通った時に、殿上人(でんじょうびと)が牛車をたくさん並べて見物している前にさしかかったところ、元輔の馬はもの静かに行進せずに、しかるべき人々がご覧になっているのだからと思って、馬を鐙(あぶみ)で強く蹴ったため馬が狂ったように暴れ、元輔は落馬した。
年老いた者である元輔が頭を真っ逆さまにして落ちたのである!!
見物していた公達が「ああっ大変だ!」と見ていると、元輔はいとも素早く起き上がったのだが、冠<注2>が脱げてしまっていた・・・。
あらわになった頭には、髻(もとどり)が全くない。(シーン。。。)
まるで素焼きの瓶(かめ)をかぶったような頭だった・・・!!(つまりハゲていたのね。)
馬の口取をしていた従者がうろたえてあわてふためき、冠を拾ってかぶせようとするが、元輔はその冠を着けようとせず、後ろのほうにかきやって、
「ああ、騒がしい!しばし待て!公達に申し上げたいことがある!」
と言って、殿上人たちの牛車の前に歩み寄った。
日のさしたるに頭きらきらとして、いみじう見苦し。<原文そのまま>
(ちょうど日が射していたので頭がキラキラと光ってまことに見苦しい。)
大路の者は、人だかりをして笑いののしる事限りない。牛車に乗った者たちや桟敷席の人たちも笑いののしったが、元輔はその内のひとつの牛車の方に歩み寄って言った。
「君たち、この馬より落ちて冠を落としたのを愚か者と思われるのかな?それは思い違いというものですぞ。そのワケは、慎重で心用意のある人でも、物につまずいて倒れる事は常のことでしょう。まして馬は分別のあるものではない。この大路は実に石が出てゴツゴツしている。馬は口もとを手綱で引っぱられているために、歩こうと思っても思うように歩けない。そこをああ引きこう引きして、口取の男がぐるぐる引き回すから、どうしても倒れるようなことにもなるのだ。馬を悪いと思うべきではない。
唐風の鞍は皿のように平らで、鐙(あぶみ)には足を踏み掛けることもできない。しかもその上に、馬がひどくつまづいて私は落ちたのだ。それは悪いことではない。
また冠の落ちた事は、冠は紐などで結びつけておくものではなく、冠の巾子(こじ)の中にかきいれた髪で留めてあるわけだ。それなのに、私の頭の両側の毛が抜けてなくなってしまっているので、髻(もとどり)が全くない!だから冠が落ちても、冠を恨むべきではない!( ̄^ ̄)
~~~(略。以降、うんちくが続きます。/笑)~~~
されば、事情も存じ上げないこの頃の若い君たち!お笑いになるべきではありませんぞ。お笑いになるのはそれこそ愚かというものですぞ。」
と言って、牛車ごとに指を折って数えて言い聞かせる。
こんなふうに言い終わってから、「冠を持って来い」と言って、元輔は冠を受け取りかぶった。その時に、ドッと声があがってその場にいた者たちが一斉に爆笑した。
口取の従者曰く、「馬から落ちなされた直後に冠をかぶられずに、どうしてこんなどうでもよいことをおっしゃっておられるのです!?」と問えば、
「バカなことを言うな。こうして道理を言い聞かせてやったからこそ、この公達は後々にも笑わないだろう。さもなくば、口さがない公達はいつまでも笑い続けるだろうに。」と言った。
元輔は、折につけて人を笑わせることをする人物なのであった。
<『今昔物語集』巻第二十八と『宇治拾遺物語』巻第十三 より>
※ストーリーはほぼ同じです。
注1 賀茂祭(かもまつり)
賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の祭り。葵祭(あおいまつり)のこと。
奉幣使一行の行列は華麗で多数の見物客が訪れた。
注2 冠(かんむり)
巾子(こじ)の中に髻(もとどり)を入れて、笄(こうがい)で留めることで、冠を着けます。
元輔さんは、髪の毛がなかったので、髻(もとどり)も当然なかったわけで…。落馬した際、冠がツルリと落ちてしまったのです。
(上の写真は、京都の風俗博物館で撮影。)
【参考】
「日本史大事典」 平凡社 発行
「平安時代史事典」 角田文衞 監修/角川書店 発行
【本文引用・参考】
「日本古典文学全集24 今昔物語集 4」 馬淵和夫・国東文磨・今野進 校注・訳者/小学館 発行
「新編日本古典文学全集50 宇治拾遺物語」 小林保治・増古和子 校注・訳者/小学館 発行
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熊本に平安時代の歌人・清原元輔をたずねる>清原元輔とは?>清原元輔、賀茂祭で落馬!
『今昔物語』・『宇治拾遺物語』の同一エピソード
驚愕!笑撃!?清原元輔、賀茂祭で落馬!
今となっては昔のことだが、歌人の清原元輔(きよはらのもとすけ)が内蔵助(くらのすけ)になって、賀茂祭<※注1>の奉幣使を務めた折、都の一条大路を通った時に、殿上人(でんじょうびと)が牛車をたくさん並べて見物している前にさしかかったところ、元輔の馬はもの静かに行進せずに、しかるべき人々がご覧になっているのだからと思って、馬を鐙(あぶみ)で強く蹴ったため馬が狂ったように暴れ、元輔は落馬した。
年老いた者である元輔が頭を真っ逆さまにして落ちたのである!!
見物していた公達が「ああっ大変だ!」と見ていると、元輔はいとも素早く起き上がったのだが、冠<注2>が脱げてしまっていた・・・。
あらわになった頭には、髻(もとどり)が全くない。(シーン。。。)
まるで素焼きの瓶(かめ)をかぶったような頭だった・・・!!(つまりハゲていたのね。)
馬の口取をしていた従者がうろたえてあわてふためき、冠を拾ってかぶせようとするが、元輔はその冠を着けようとせず、後ろのほうにかきやって、
「ああ、騒がしい!しばし待て!公達に申し上げたいことがある!」
と言って、殿上人たちの牛車の前に歩み寄った。
日のさしたるに頭きらきらとして、いみじう見苦し。<原文そのまま>
(ちょうど日が射していたので頭がキラキラと光ってまことに見苦しい。)
大路の者は、人だかりをして笑いののしる事限りない。牛車に乗った者たちや桟敷席の人たちも笑いののしったが、元輔はその内のひとつの牛車の方に歩み寄って言った。
「君たち、この馬より落ちて冠を落としたのを愚か者と思われるのかな?それは思い違いというものですぞ。そのワケは、慎重で心用意のある人でも、物につまずいて倒れる事は常のことでしょう。まして馬は分別のあるものではない。この大路は実に石が出てゴツゴツしている。馬は口もとを手綱で引っぱられているために、歩こうと思っても思うように歩けない。そこをああ引きこう引きして、口取の男がぐるぐる引き回すから、どうしても倒れるようなことにもなるのだ。馬を悪いと思うべきではない。
唐風の鞍は皿のように平らで、鐙(あぶみ)には足を踏み掛けることもできない。しかもその上に、馬がひどくつまづいて私は落ちたのだ。それは悪いことではない。
また冠の落ちた事は、冠は紐などで結びつけておくものではなく、冠の巾子(こじ)の中にかきいれた髪で留めてあるわけだ。それなのに、私の頭の両側の毛が抜けてなくなってしまっているので、髻(もとどり)が全くない!だから冠が落ちても、冠を恨むべきではない!( ̄^ ̄)
~~~(略。以降、うんちくが続きます。/笑)~~~
されば、事情も存じ上げないこの頃の若い君たち!お笑いになるべきではありませんぞ。お笑いになるのはそれこそ愚かというものですぞ。」
と言って、牛車ごとに指を折って数えて言い聞かせる。
こんなふうに言い終わってから、「冠を持って来い」と言って、元輔は冠を受け取りかぶった。その時に、ドッと声があがってその場にいた者たちが一斉に爆笑した。
口取の従者曰く、「馬から落ちなされた直後に冠をかぶられずに、どうしてこんなどうでもよいことをおっしゃっておられるのです!?」と問えば、
「バカなことを言うな。こうして道理を言い聞かせてやったからこそ、この公達は後々にも笑わないだろう。さもなくば、口さがない公達はいつまでも笑い続けるだろうに。」と言った。
元輔は、折につけて人を笑わせることをする人物なのであった。
<『今昔物語集』巻第二十八と『宇治拾遺物語』巻第十三 より>
※ストーリーはほぼ同じです。
注1 賀茂祭(かもまつり)
賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の祭り。葵祭(あおいまつり)のこと。
奉幣使一行の行列は華麗で多数の見物客が訪れた。
注2 冠(かんむり)
巾子(こじ)の中に髻(もとどり)を入れて、笄(こうがい)で留めることで、冠を着けます。
元輔さんは、髪の毛がなかったので、髻(もとどり)も当然なかったわけで…。落馬した際、冠がツルリと落ちてしまったのです。
(上の写真は、京都の風俗博物館で撮影。)
【参考】
「日本史大事典」 平凡社 発行
「平安時代史事典」 角田文衞 監修/角川書店 発行
【本文引用・参考】
「日本古典文学全集24 今昔物語集 4」 馬淵和夫・国東文磨・今野進 校注・訳者/小学館 発行
「新編日本古典文学全集50 宇治拾遺物語」 小林保治・増古和子 校注・訳者/小学館 発行