私のささやかな日常。
京都市右京区 嵐山にある
小倉百人一首殿堂 時雨殿。
時雨殿では
百人一首の専門家で、時雨殿の館長である
吉海直人先生(同志社女子大学教授)による
百人一首入門講座が連続で開催されています。
9月21日(日)に行われた
百人一首入門講座 第29回では
紫式部と大弐三位が取り上げられるということで
京都へ行き、受講してきました。
57 めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな(紫式部)
58 ありま山 ゐなの笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする(大弐三位)
『百人一首』は年代順に配列されている歌集ですが
紫式部<母>と大弐三位<娘>は番(つがい)になっています。
本来なら紫式部と大弐三位の和歌は離れているべきなのですが。
※ちなみに和泉式部<母>と小式部内侍<娘>の歌は離れています。
藤原定家の時代には、
『源氏物語』が紫式部と大弐三位の合作だと
思われていた可能性があるのでは?とのこと。
(宇治十帖は大弐三位が書いたという説も有力。)
そのため、二人の和歌が『百人一首』の順序では
57・58と並んでいるのかもしれません。
藤原俊成が『六百番歌合』において
“源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり。”
と述べたことは有名です。
俊成が『源氏物語』の価値を高め、
後世、歌人たちのバイブル的な存在となりました。
定家の母で俊成の妻である
美福門院加賀は『源氏物語』の朗読が上手かったのだとか。
歌人としての評価が高いわけではない
紫式部の歌が『百人一首』に撰ばれ
娘の大弐三位の歌と番となっているのは
ふたりが『源氏物語』の作者と考えられていたから。
平安時代中期において、
紫式部の代表歌は“めぐりあひて・・・”ではありませんでした。
定家が『百人一首』で和歌を撰ぶ際、、
紫式部の歌のうち『源氏物語』に関連する歌がふさわしいと考え、
『源氏物語』<雲隠>巻を想起させる
“めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲隠れにし夜半の月かな(月影)”
を撰んだと考えられます。
『後拾遺和歌集』には紫式部の和歌は三首しか入集していないのに対して、
『千載和歌集』(撰者は藤原俊成)では九首、
『新古今和歌集』(撰者は藤原定家ほか)では十四首と評価が高くなっています。
これは歌人としての評価以上に
『源氏物語』の作者としての評価が優先されたのでは。
・・・そんなお話が楽しく語られたのでした。
興味深いお話を拝聴できて幸せでした。
※時雨殿
⇒ http://www.shigureden.or.jp/
百人一首で読み解く平安時代 (角川選書)
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